軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十二話 静けさは嵐の母

見黒様が宮廷に来られて、四年が経った。

見黒様は十六歳になられた。

わたくしの日誌は、七冊目に入っている。

四年の間に、この国は大きく変わった。変わった、という言い方は正確ではないかもしれない。良くなった。静かに、着実に、良くなった。花木の神託に端を発した綱紀粛正と減税は実を結び、民の暮らしは目に見えて安定した。

杞憂の聴取や市井からの民情収集は、今では毎週の慣例となり、家臣や民衆たちは「見黒様にお話しする杞憂」を持つことを一種の誇りとしている。

二年前のお披露目の儀以降、見黒様の存在は城の外にも広く知れ渡った。民は見黒様を「黒髪の聖女」とも呼んだ。祝日には城の前に花を贈る者もいるという。

隣国との関係も、この数年は穏やかだった。

かつて東の国境で兵の動きがあった件は、ラルフ将軍の迅速な対応により大事には至らなかった。それ以降、東方との間には暗黙の均衡が成立していた。商人の往来は続いていたし、国境の町では両国の市が立つようにもなっていた。

万事が順調だった。

あまりにも、順調だった。

その日の報告は、いつも通りのものだった。

大臣が三名、見黒様のもとに定例の報告に来た。税収は安定している。今季の収穫見込みは昨年並みかそれ以上。東方との交易は順調。西方の港からの船も予定通り。

「現在、各方面において万事順調に運んでおります」

大臣がそう締めくくった。

見黒様は、窓の外を見ておられた。

少し間があった。

それから、ふっ、と笑われた。

小さな笑みだった。微笑みというよりは、何かを思い出したような、あるいは何かに気づいたような笑みだった。

「……万事怠らないことね」

大臣が、顔を上げた。

「は……?」

「塗り潰すほどに、あたりを見まわしなさい」

大臣たちの間に、緊張が走った。

見黒様は窓の外から視線を戻され、大臣たちを見た。

「静けさは、しばしば嵐の母なのよ」

謁見の間が、しんと静まった。

大臣の一人が、唾を飲み込む音がした。

見黒様はそれ以上何も仰らなかった。本に手を伸ばされた。いつもの仕草だった。

大臣たちは深々と頭を下げて退出した。

廊下に出たあと、三人の大臣が足を止めた。

「……見黒様が、警戒を仰せになった」

「順調すぎる、と。そう仰っているのだ」

「『塗り潰すほどに見まわせ』——あれは、隅々まで調べよということだ」

その日のうちに、各部署への再調査が命じられた。

わたくしは、見黒様のお傍でその一部始終を見ていた。

「塗り潰すほどに、あたりを見まわしなさい」——あの言い回しは、わたくしがこれまで読んだどの書物にもなかった。軍学書にも、政治論にも、詩集にもない。見黒様独自の言葉だった。

その意味するところは明白だった。死角を作るな。見落としを許すな。平穏に見える場所にこそ、危険が潜んでいる。

しかし、なぜ見黒様がこの時期でそれを仰ったのか。

わたくしは一つだけ、気になっていたことがあった。

昨日、見黒様が読んでおられた本の中に、鍛冶の技術論があった。わたくしが選書したものではなく、見黒様が書庫で自ら手に取られたものだった。

見黒様はその本を読みながら、一箇所だけ、長く目を止めておられた。

どの頁かは見えなかった。しかし、あの本は東方から流入した鉄鉱石の品質について論じた書だったはずだ。

見黒様が鍛冶の技術論を手に取られた理由は、わたくしにはわからない。しかし、見黒様が何かをお読みになり、翌日に「警戒せよ」と仰ったのだとすれば——見黒様はあの本の中に、何かを見出されたのだ。

あの方にとって、本は水鏡と同じだ。

常人には見えないものが、見黒様には見える。

再調査の結果が出たのは、五日後のことだった。

東方との交易品の中に、異変が見つかった。

この半年間、東方から入ってくる鉄の品質が微妙に落ちていた。純度が下がっている。僅かな差だったので、現場の検査では見過ごされていた。しかし、改めて数値を並べてみると、はっきりと下降していた。

これが意味するところを、大臣たちはすぐに理解した。

東方が、上質な鉄を自国内に留保し始めている。交易には質の落ちたものを回している。

鉄を留保する理由は、一つしかない。

武器を作っているのだ。

報告を受けた陛下の顔が、引き締まった。

「アカリ殿の仰る通りだった。静けさの裏に、嵐が育っていた」

ラルフ将軍が即座に動いた。国境の警備が強化され、外交の使者が派遣された。

大事には至らなかった。早期に察知できたからだ。

大臣たちが改めて見黒様のもとに報告に来た。

「見黒様の予見通りでございました。東方が鉄の留保を——」

見黒様は少しだけ目を見開かれた。

「あら、そう」

いつもの返答だった。

大臣たちは深々と頭を下げて去った。

わたくしは日誌に書いた。

「見黒様は、鍛冶の技術論を一読されただけで、東方の軍備増強を見抜かれた。あの方の目は、文字の向こうに国の動きを見る。これを神託と呼ばずして、何と呼ぶべきか」

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十六歳になった。

背がまた伸びた。鏡で確認した。黒髪は腰を超えた。座ると床につきそうだ。切るつもりはないけどね!

(長い方が映えるし。窓辺に座ったとき、髪が床に流れる感じ、前世の漫画で見た構図そのものだわ)

四年目の宮廷生活は、もう完全にルーティンだった。朝起きて、鏡を見て、本を読んで、池に行って、たまに大臣が来て、杞憂を聞いて、民衆から集まった話を読んで、夜に厨二セリフを練習して寝る。最高の生活だ。

エルの選書はますます磨きがかかっていた。最近は、わたしが「何か新しいジャンルが読みたいわ」と言っただけで、翌日に三冊の中に見たことのない分野の本が混ざっている。先週は工業発展の技術論が入っていた。

で、書庫で鍛治に関する本も見つけたので合わせて読んでみた。鍛冶の技術論。鉄鉱石の品質と精錬技術について論じた本だった。前世で読んだクラフト系のゲームを思い出して手に取った。ゲームだと鉄鉱石の品質はレア度に直結する。良い鉄からは良い武器ができる。当たり前の話だ。

読んでいて、一箇所引っかかった。

東方から入ってくる鉄の品質について、著者が「近年は安定している」と書いていた。この本は数年前に書かれたものだ。「安定している」と書かれていた時期の品質と、最近エルが持ってきた交易記録に載っていた数値を、なんとなく頭の中で比べた。

(……あれ。下がってない?)

確証はなかった。なんていうか、漫画の設定資料を読んでたら誤植を見つけたような感覚に近かった。数値を正確に覚えているわけではない。でも、なんとなく引っかかった。

不意に、前世のFPSで鍛えた勘が冴え渡った。

FPSでは、敵がいない時間が長いとき、大抵ろくなことにならない。マップの角を曲がった瞬間にスナイパーがいる。順調にキルを重ねているときに限って、裏取りされている。なろう系の漫画でも同じだ。「このまま何事もなければいいのですが……」と誰かが言った次のページで、必ず何かが起きる。

(順調すぎるときほど、何か仕掛けられてる)

それはゲームの話だ。ゲームデザイナーが意図的にそうしているだけの話だ。

でも。

でも、現実でも同じかもしれない。

交易が順調。税収が安定。外交に問題なし。全部順調。全部うまくいっている。

(FPSでこれやったら、絶対次のラウンドでボコられるやつだわ)

翌日、大臣が来て「万事順調です」と報告した。

わたしは窓の外を見ていた。

(やっぱ引っかかるな。順調すぎる。鉄の品質のこともあるし。まあ、わたしの勘違いかもしれないけど)

ふっ、と笑った。前世のFPSの対戦部屋で、順調なラウンドの後に深呼吸するときの笑いに似ていた。

「……万事怠らないことね」

(これは前に読んだ軍記に出てきた言い回し……ふふ、使えた)

「塗り潰すほどに、あたりを見まわしなさい」

(クリアリングの概念なんかないからねぇ。なんかそれっぽく言い換えてみたけど、かっこよ……!)

「静けさは、しばしば嵐の母なのよ」

(これも前世の漫画にあったな〜たしか海賊漫画だった気がする。格好良くて覚えてるよねそんなんさ)

大臣たちが緊張した顔で去っていった。

(……ちょっと脅かしすぎたかな。まあ、用心するに越したことはないでしょ)

五日後に、エルが少し硬い顔で報告に来た。

「見黒様。東方との交易品に異変が見つかりました。鉄の品質が、この半年で下がっていたそうです」

「あら」

「上質な鉄を東方が自国に留保し始めている可能性があると……」

「……ふぅん」

(え、まじで? やば、わたしのFPSで培われた勘マジで当たった)

心の中では相当驚いていたが、顔には出さなかった。ここで驚くと神託少女っぽくない。

「ラルフ将軍が国境の警備を強化されるそうです。陛下も外交の使者を……」

「そう。ラルフなら安心ね」

(将軍、頼もしいなあ。強キャラ護衛、四年経っても健在。ありがたい)

エルが退出した。

わたしは窓の外を見た。

(鉄の純度が落ちてるって、つまり向こうが武器を作ってるってことよね。あの鍛冶の本に書いてあった通りだわ。良い鉄は武器に回される。品質の落ちた鉄は交易に出される。ゲームだったら完全に「次のボスに備えて装備を整えてるフェーズ」だわ。……FPSの勘って、現実でも使えるのね)

少し怖かった。

でも、早めに気づけたのなら、それでいい。前世のFPSでも、クリアリングをちゃんとやるかやらないかで生存率が全然違った。死なないの大事。現実でも同じだ。見まわすことに損はない。

本を開いた。今日の三冊は、西方の航海記と、詩集と、恋愛譚の新刊だった。

(ふふ、この後に恋愛譚。この緩急、エルの選書センスだな)

読み始めた。

しばらくして、エルが持ってきてくれた例の青い実の焼き菓子に手を伸ばした。

(……頭使った日は、甘いものがいつもより美味しいわね)