軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第7話 控えの帳簿

当主自らが、私の家の扉を叩いた。

手紙には、用件がごく短く書いてあった。折り入って相談したいことがある、ついては伺ってもよいか、と。それだけだった。回りくどい前置きも、社交辞令の挨拶も、ほとんどない。あの引き継ぎの紙を読む速度を思い出した。無駄を削る人なのだ。手紙の文面まで、几帳面に痩せている。

数日後、クリストフ様はレオンハート家の応接室にいた。当主が、元・弟の婚約者の実家を、一人で訪ねてくる。本来なら、なかなかに据わりの悪い構図である。けれど当人は、据わりの悪さなど気にした様子もなく、出された紅茶に礼を述べ、まっすぐ本題に入った。

「贈答の不始末が、続いている」

前置きはそれだけだった。私は、知っています、とは言わなかった。社交界の噂を耳にしていることを、わざわざこの場で明かす必要はない。私は黙って、続きを待った。

「ベルナール侯爵家への重複した品。ハーゼ男爵家への返事の遅れ。それだけなら、こちらの不注意で済ませられた。だが、調べていくうちに、もっと妙なことが出てきた」

クリストフ様は、持参した帳簿を卓の上に広げた。フェルゼン家の贈答記録。私も何度も目を通した、見覚えのある綴りだった。

「記録の上では贈ったことになっている品が、贈り先に届いていない。逆に、記録にない品が、別の場所に渡っている。数が、合わない」

私は帳簿に目を落とした。

合わないはずだった。私には、合わない理由に、おおよその見当がついていた。けれど、それを今ここで口にしていいものか、少し迷った。私はもう、この家の人間ではない。他家の内情に、軽々しく口を挟む立場ではない。

その迷いを、クリストフ様は見透かしたようだった。

「あなたが何か気づいているなら、聞かせてほしい。立場のことを気にしているなら、無用だ。これは、こちらの落ち度を片付けるための相談だ。あなたを巻き込むのは心苦しいが、この記録を一番よく知っているのは、たぶん、あなただ」

筋が通っていた。そして、心苦しいが、と一言添えるところが、弟とは違った。マティアス様は、私に面倒を押し付けるとき、心苦しいなどと思ったことは一度もなかったはずだ。「君ならすぐだろう」で済ませてきた人だ。

「……一つ、お尋ねしてもよろしいですか」

「ああ」

「この記録は、フェルゼン家にある正式な綴りですね。私が手元に控えていた写しは、別にあります」

クリストフ様の眉が、わずかに動いた。

「控え?」

「ええ。贈答の采配を任されていたあいだ、私は自分用に、同じ記録を一冊、別に取っていました。何かあったときに、突き合わせられるように」

これは、用心というより、ただの癖だった。代筆の仕事をしていた頃から、私は人の言葉を一度では信じない。書いた物は残す。残した物は、いつか食い違いが出たときの、唯一の証人になる。美しい言葉で包まれた本音を、山ほど清書してきた人間の、職業病のようなものだ。

「その控えを、見せてもらえるか」

「お持ちします」

私は自室から、革表紙の綴りを取ってきた。表紙の角が、少し擦り切れている。半年のあいだ、何度も開いた証だった。卓の上で、フェルゼン家の正式な綴りと、私の控えを並べる。クリストフ様が、二冊を見比べ始めた。

照合は、静かに進んだ。羽ペンの先で、クリストフ様が一行ずつ突き合わせていく。私はその隣で、覚えている限りの経緯を、淡々と補った。この品はこの家へ。この日付の贈り物は、本来こちらへ届くはずだった。

そして、ある一行で、クリストフ様の手が止まった。

「この、淡い青のリボンで包まれた指輪」

私は、その一行を見た。覚えている。忘れるはずがない。私の名で記録された、私宛ての指輪。

「記録では、あなたに贈られたことになっている。だが、現物は」

「ローラの手元にあります」

言葉が、思ったより平らに出た。

「あの日、私への贈り物として届いた指輪を、マティアス様が、その場でローラに渡されました。記録は私宛てのまま。現物だけが、別の指へ。記録と現物が食い違う品は、これだけではないはずです。一度こういう渡し方が当たり前になると、記録は意味をなさなくなりますから」

応接室が、しんと静かになった。

クリストフ様は、しばらく帳簿の一行を見つめていた。それから、低く息を吐いた。怒りとも、呆れともつかない息だった。

「……これが、何頁にもまたがっているのか」

「おそらく。私が手を引いてからは、記録すら満足に取られていないかもしれません。記録が乱れれば、贈った品も、贈っていない品も、区別がつかなくなります。同じ家に二度贈ってしまうのも、返事を忘れるのも、もとをたどれば、同じ綻びから出ています」

クリストフ様は、私の控えの綴りを、もう一度ゆっくりとめくった。一頁ずつ。半年分の、几帳面な筆跡を。

「これを、よく残していたな」

「癖です。書いた物は、捨てられない性分で」

「助かる癖だ」

それから、クリストフ様は顔を上げて、私を見た。

「この控えが、一番正確だ。フェルゼン家の正式な綴りより、よほど信用できる」

短い言葉だった。けれど、当主が自分の家の正式な記録より、出ていった元・弟の婚約者の私的な控えのほうを信用すると、面と向かって言ったのだ。それがどれだけのことか、私にも分かった。

不覚にも、また喉の奥が少し動いた。今度は、ちゃんと堪えた。あの書斎で初めて労われた日の二の舞は、踏まない。

「もったいないお言葉です」

私は、二度目の「もったいないお言葉です」を、なるべく感情を均して言った。均しきれたかどうかは、自信がない。

「ところで、一つだけ」

クリストフ様が、綴りを閉じながら言った。

「この控えにある、あなた宛ての指輪。記録の上では、まだあなたのものだ。現物がどこにあろうと、記録上の持ち主は、あなたになっている」

私は、少しだけ、言葉を失った。

それは、ただの事実確認だった。けれど、その事実が何を意味するのか——あの指輪を、もしこの人が記録どおりに扱おうとするなら、何が起きるのか。考えかけて、私は途中で考えるのをやめた。

その指輪のことは、もう、私の手を離れたはずだった。

離れたはずなのに、記録の上では、まだ私につながっている。

革表紙の角を、私は指でなぞった。擦り切れた縁が、指の腹に少しだけ引っかかった。