軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第6話 合わない収支

フェルゼン家の贈り物が二度も同じ家に届いたと、社交界はもう知っていた。

婚約の解消が両家で正式に話し合われ、私が実家のレオンハート家に戻って、ひと月が過ぎた。

戻ってからの日々は、拍子抜けするほど静かだった。朝、自分の家の帳簿を開く。自分の家のための算段をする。誰かの夜会の席順を、誰かの贈答の格を、誰にも頼まれていないのに覚える必要がない。考えてみれば、ずいぶん久しぶりのことだった。実家の家政など、目をつぶっていても回せる。母が遺した家だ。勝手は知り尽くしている。

出された紅茶は、温かいうちに運ばれてきた。当たり前のことが当たり前に起きるというのが、こんなに楽だとは思わなかった。一度フェルゼン家の冷めた紅茶に慣れてしまった舌には、温かい紅茶がやけに沁みた。

そうして取り戻した静けさに、最初のさざ波が立ったのは、レナート伯爵夫人の茶会でのことだった。

「ねえ、聞きまして? フェルゼン家のこと」

夫人たちの輪の中で、誰かが扇の陰でそう切り出した。私は少し離れた席で、菓子に手を伸ばしかけた手を、そのまま止めた。止めたことを気取られないよう、ゆっくりと茶器を持ち直す。

「ベルナール侯爵家への贈り物。去年と同じ品だったんですって」

扇の陰で、含み笑いが広がった。

ああ、と私は思った。来た、というより、やはり、という感覚に近かった。あれほど言い置いてきたのに。紙にも書いた。一枚目の、いちばん上に。ベルナール侯爵家には去年と同じ品を贈るな、と。読まなかったのだろうか。読んでも、意味が分からなかったのだろうか。あるいは、読んだ誰かが、それを軽く考えたのだろうか。

「侯爵家は記録を取る家でしょう。すぐに気づかれて、たいそうご機嫌を損ねたとか」

「あら、それだけではないのよ。ハーゼ男爵家には、招待状の返事を出し忘れたそうで」

「まあ」

夫人たちの声に、隠しきれない楽しさがにじんでいた。他家のしくじりというのは、上等な茶菓子と同じくらい、社交の場を盛り上げる。私はそれをよく知っている。芝居小屋の楽屋裏でも、貴族の応接室でも、人が人の失態を肴にする光景は、何ひとつ変わらない。

「フェルゼン家といえば、つい最近まで、ずいぶんしっかりした采配だったのに。急にどうなさったのかしら」

その一言で、輪の中の何人かが、ちらりとこちらを見た。私のほうを。

見られていることは、視界の端で分かった。けれど私は、菓子の皿に目を落としたまま、何も言わなかった。皿の上には、砂糖菓子のかけらが、白い粉になって散っていた。私はそれを、指の先でそっと寄せた。

夫人たちは、わざわざ私に尋ねたりはしない。賢明な人たちだ。婚約を解消したばかりの令嬢に、元婚約者の家の不始末をどう思うかと尋ねるほど、無作法ではない。けれど、尋ねないことそれ自体が、一つの答えを語っていた。誰のおかげで、これまでフェルゼン家の采配が滞りなかったのか。口に出さずとも、彼女たちはもう、見当をつけている。

「采配というのは、人がいて初めて回るものですものね」

レナート伯爵夫人が、扇を閉じながら、穏やかにそう言った。誰の名も出さない言い方だった。けれど、その視線が一瞬だけ私のほうへ流れたのを、私は見逃さなかった。彼女は分かっている。分かっていて、名を出さずに済ませてくれている。

私は小さく会釈を返した。それ以上は何もしなかった。何もしないことが、この場でできる唯一の上品な振る舞いだった。

茶会の帰り、馬車の中で、アガサがぽつりと言った。

「あちらは、大変ですわねえ」

声に、隠しきれない満足がにじんでいた。アガサは、私の扱いを誰より近くで見てきた人だ。今ごろになって婚家が立ち行かなくなっていると聞いて、胸がすく思いがあるのだろう。私を気遣ってか、言葉は短く抑えていたけれど、本音は顔に出ていた。

「アガサ」

「はい」

「あまり、嬉しそうにしないの」

「……まあ。お嬢様ったら、ご自分こそ、口の端が」

私は窓の外へ顔を背けた。口の端は、上がっていない。たぶん。上がっていないはずだ。

正直に言えば、いい気味だと思う気持ちが、まったくないわけではなかった。半年のあいだ、できて当たり前のものとして扱われた働きが、抜けて初めてその穴の大きさで証明される。これほど分かりやすい返答もない。私が言葉でいくら訴えても伝わらなかったことが、私がいなくなるという、たった一つの事実で、勝手に証明されていく。

けれど、それを声に出して喜ぶほど、私は子どもではないつもりだった。喜べば、私もまた、他家の失態を肴にする夫人たちの一人になる。それは、なんというか、品がない。母が見ていたら、ため息をつくだろう。

ベルナール侯爵家への重複した贈り物。ハーゼ男爵家への返事の遅れ。私の頭の中の帳簿は、頼まれてもいないのに、また勝手に何行か書き足していた。あの家の采配は、まだ崩れ始めたばかりだ。これくらいで済むはずがない。贈答の不始末は、一つ表に出れば、芋づる式に次が出てくる。記録というのは、そういうものだ。一つ綻べば、そこから全部ほどけていく。

それが誰の手で表に出るのかは、私には関係のない話だった。

——はずだった。

レオンハート家に戻って数日後、一通の手紙が届いた。差出人は、フェルゼン家。けれど、筆跡はマティアス様のものではなかった。几帳面で、無駄のない、見覚えのある字。一度だけ、書斎で紙を押さえる手を見た、あの人の字だった。

封を切る前から、私はなぜか、自分の頭の中の帳簿が、まだ閉じきっていなかったことに気づいていた。