作品タイトル不明
226.グレミリオン邸と他愛ない時間
「まあまあ、オーレリア様。よくいらしてくださいました」
馬車を降りると、到着を待ってくれていたらしく、すぐに屋敷から出てきたモニカが出迎えてくれる。
「こんにちは、今日はお邪魔します」
「毎日でも来てくださっても、私はとても嬉しいです。……旦那様」
「うん?」
「お嬢様を、応接室にご案内しないと」
ちらちらと目配せを送るのに、ウォーレンは首を傾げたあと、ああ、と合点したように呟いた。
「オーレリア、その、応接室までだけど」
そう言って肘を出されるのに、ようやくオーレリアもエスコートをしてもらうのに思い至る始末だ。
ウォーレンとは知り合って以降、気の合う友人として付き合っていたし、婚約をした後も基本的にその頃の感覚で行動を共にしていたので、観劇や足場の悪い場所などに行く場合を除けば並んで歩くのにエスコートしてもらうこと自体なかったけれど、婚約中の貴族は基本的に、少し歩くにしてもエスコートを受けるのが当たり前なのだろう。
先日、拠点でとっさに手を握っていてほしいなどと言い出してしまったことを思い出して、少し頬が熱くなる。あの時は転んではいけないという意識が強かったし、ひどく大それたことをしようとしている状況に勇気が欲しかったということもあるけれど、思えばかなり大胆なことを頼んでしまったものだ。
ウォーレンがまったく気にしている様子がないのが救いだと思いながら、あまり広くはないけれど、丁寧に手入れがしてあるのがわかる庭に面した応接室に通される。
窓際には豪華なバラの花が大きな花瓶に飾られていて、テーブルに着くとすぐにモニカが紅茶を運んできてくれた。
「先日体調を崩されていたと伺ったので、ティーフードは軽いものをご用意しました」
「ありがとうございます。いただきます」
温かい紅茶に添えられたのは、りんごがバラの形になるように飾られた小さなアップルパイと、夏には嬉しいミルクプリンとイチゴのゼリーが二層になった涼し気なデザートだった。
アップルパイは好きなだけ食べられるようにとだろう、大きな皿に円形に盛りつけられていて、小さな花畑のようである。
「とても可愛いですね」
小さな花を口に入れると、甘さは控えめだが、その分バターの香りがしっかりと口の中に広がる。紅茶はあっさりとした後味のもので、口の中に残るりんごの香りとよく合っていた。
「美味しいです」
「お嬢様がいらしてくださると、屋敷がとても華やぎますね」
ニコニコと嬉しそうに笑うモニカに、オーレリアもつい表情が綻ぶものの、向かいに座るウォーレンは裏腹に、どこか居心地が悪そうだった。
「ええと、モニカ、ちょっとオーレリアと話があるから」
「あらあら、私としたことが気が付かず、申し訳ございません、旦那様。オーレリア様、どうぞゆっくりなさってくださいませ」
明らかにモニカを追い払おうとしている様子なのに、モニカは全く気にしたそぶりを見せず、相変わらず優しく笑いながらそっと席を外してくれた。
「ごめん、オーレリア。モニカがすごくはしゃいでて、今日来てくれるって聞いてからずっと嬉しそうにしていたんだ」
モニカは、ウォーレンが婚約をしている相手とうまくいっているのが嬉しいのだろう。契約上の婚約者であることを考えると少し良心が痛むものの、歓迎してもらえるのは素直に嬉しかった。
「いえ、こちらこそいろいろと気を遣っていただいてありがたいです。この紅茶もすごく美味しいです」
「母が紅茶が好きだったから、モニカも自然と詳しくなったみたいだ。俺は飲めればなんでもいいというタイプだから、張り合いがないみたいだけど」
「私も詳しいことはよくわからないです。アリアだと、どこそこで採れた葉であるとか、夏摘みや秋摘みとか、いろいろわかるみたいなんですが」
「まあ、今飲んでる紅茶が美味しいと感じるならそれでいいよね」
「はい」
笑い合いながら、のんびりと雑談を楽しんでいると、時間がゆっくりと過ぎていく感じが心地よい。
去年ウォーレンと知り合って以降、二人でいろいろな場所に一緒に行ったけれど、何かを見て感心しているときや美味しいものを食べて感想を言い合っている時も楽しいけれど、こうして他愛ない会話をのんびりと交わしている時間が一番リラックスできる気がする。
窓辺に飾られた薔薇からは甘い芳香が漂っていて、こうしていると、彼と再会した日を思い出した。
あの時咲いていたのは秋の薔薇だったけれど、むせ返るような香りの中、吹いた風をやり過ごして顔を上げると、ずっと心配していた行方知れずの友人が立っていたことに、本当に驚いたものだった。
「今度、アウレル商会はカルナバルの方に手を広げるって聞いたけど、オーレリアもそっちに行くことになりそう?」
「いえ、支店を出すのではなく工場を作ることになって、基本はジャスマン商会が主導してくれているので、私は王都から動かないと思います。あちらの代表者の方とお話をすることはあると思いますが……」
ミーヤが技術指導として出向が決まっていて、もしかしたらアリアも視察として足を運ぶかもしれないけれど、今のところオーレリアが向かう予定はない。
「カルナバルだと、往復一週間はかかるもんね。あっちで予定を消化したら十日くらいは留守になるだろうし」
「はい。本来ならアリアと一緒に私も顔を出した方が良いんでしょうが、セラフィナとの面会もありますし、王宮から王都を出ないように依頼されていて」
その言葉に、ウォーレンは眉の間に深く皺を寄せた。
「そんなこと言われたんだ。オーレリアは王宮に雇われているわけじゃないんだから、仕事の上で必要なら、そんな約束に縛られる必要はないよ」
「いえ、私とアリアの二人ともが王都を空けるのは避けた方が良いと、アリアからも言われているので」
「そっか。……もし遠出する予定があるなら、声をかけて。護衛ぐらいならするから」
「ありがとうございます。でも、ウォーレンも何かと忙しくないですか?」
「それがそうでもなくて、というか正直予定がある方が助かるんだ」
情けないんだけどとウォーレンはぼやくように言う。
「グレミリオン侯爵家の領地は、優秀な代官が治めているから、俺が出る幕はないし、下手に領地経営に手を出すとかえって領民に迷惑をかけることになると思う。かといって、本格的に冒険者に復帰するのはギルドから止められているし」
「そうなんですか?」
ウォーレンはプラチナランク、現在冒険者の中では最高位に位置する実力の持ち主である。
黄金の麦穂は一度パーティを解散して拠点も手放している。縁あってアウレル商会の事業にも何かと手を貸してもらっている状態だけれど、彼らのつながりは保たれているし、状況が落ち着けばいつでも再結成できるものだと思っていたが、どうやらそう簡単な話ではないらしい。
「侯爵に陞爵したときに、冒険者資格の返上をという話も出たんだけどね。もともと伯爵位を持っていた俺が冒険者になれたのも、エレノアさんがギルド長を説得してくれたのが大きかったし、これ以上迷惑をかけるわけには行かないかなと思ったんだけど、アルフレッドがギルドを説得してくれて、中層以下に潜るときはギルドに申請を出すという条件で資格の保持が認められたんだ」
行方不明になっては困る貴族の跡取りなどは、ギルドに申請の段階で冒険者の資格を取れないことがあると言うのは以前聞いたことがあった。
伯爵として王家を出たウォーレンが冒険者をしていたこと自体、特例中の特例だったのだろう。
「アルフレッドさんの説得って、すごく効きそうですね」
「うん。過去に貴族の庶子で家を出て冒険者になった後、ほかの兄弟が事故や病気で亡くなって家を継いだというケースが何度かあったみたいなんだ。そのときは冒険者の資格の返上を要求しなかったのに、俺が資格を返上するならよくない前例ができるだろうと、資料をこれくらい積んでの説得だったよ」
そう言ってこれくらいと両手のひらを重ねるようにして厚みを表現されると、その高さはゆうに二十センチほどもあり、相当な量だったことが窺える。
オーレリア自身、アルフレッドに助けられたことがあるけれど、本当に頼りになる人である。
「ぶらぶらしているのは性に合わないし、何か仕事をしようと思っているんだけど、名ばかりとは言え侯爵家の当主という時点で雇ってくれるところはないし、何か事業をしようにも俺は商売は素人だから、失敗するのが目に見えているし。かといって、貴族の仕事をするのは色々と障りがあって」
貴族の仕事といえば、つまり社交ということだろう。ウォーレンが侯爵位ですら重荷に思っていることは見ていればわかるし、下手に貴族として成功することも避けたがっているのは明らかだ。
「いっそ、名前を偽って人足の仕事でもしようかと思ったけど、俺は王都では顔が結構知られているんだよね……」
「ああ、そうですよね」
何しろエディアカランの踏破を達成した冒険者パーティーの一人である。去年の秋は大々的にパレードを行ったし、その際華やかな肩書き付きで新聞にも印刷されていた。
ウォーレンの名前と身分を知っている者はそれこそそこら中にいるだろう。
「ごめん、情けない話を聞かせちゃって」
「いえ、大事な問題だと思います」
オーレリア自身、貧乏性が抜けないところがあるので何もせずにのんびりしているだけでは不安になる気持ちは、よく理解できる。
働かずにのんびりと暮らしたいと思う人もいれば、それでは頭と体が鈍って耐えられないと思う人もいて、ウォーレンは明らかに後者であり、高い身分と財産を持ちながらそれを持て余している状態らしい。
「というわけで、手が空いてるから、拠点の大掃除をする時や月下桃が食べたくなったらいつでも言って。カバンいっぱいに摘んで持ってくるから」
気恥ずかしくなったらしく照れくさそうに言うウォーレンに、オーレリアも笑って頷く。
「ありがとうございます。もし私が遠くに出張に行くことがあったら、道中の護衛はウォーレンにお願いしても良いですか?」
「それはもちろん、いつでも引き受けるよ」
笑い合って、それきり話題は変わり、また他愛ない話に戻る。
この優しい人に充実した毎日を送ってほしいと、心から思う。
そして願わくば、時々こんな風にのんびりと過ごす時間を、良いものだと思ってほしかった。