作品タイトル不明
8話 嵐の館を歩くもの
扉が閉まる音が、やけに重く響いた。
「落ち着くまで、こちらでお待ちください」
そう言い残して、護衛は廊下に立つ。
残された静寂が、やけに重かった。
(……何も、分からない)
ルシエルドは倒れた。
毒の可能性が高い。
——それなのに。
(何も、教えてもらえない)
婚約者であるはずの自分は、蚊帳の外だ。
胸の奥に
——苛立ちと不安が、じわじわと広がっていく。
「お嬢様」
控えめなノックのあと、アンナが入ってきた。
「先ほど、お医者様が呼ばれたようですが
……詳しいことはまだ」
「そう」
短く返す。
ゆっくりと鏡の前へ歩く。
そこに映るのは、完璧に整えられた
“辺境伯令嬢”。
「アンナ」
静かに呼ぶ。
「……協力してちょうだい」
アンナが、わずかに目を見開く。
「お嬢様、何を——」
「リナを」
その一言で、空気が変わった。
「いけません!」
即座に、強い声。
「ここは辺境伯領ではございません!
周囲も信用できる者ばかりではない中、お嬢様を外にお出しするなど——」
「分かってるわ」
アリステラは、少し困ったように微笑む。
「危険なことはしない。ただ……婚約者なのに、ルシエルド様のご様子も教えてもらえないの。ご無事かどうか、それだけ確認したら、すぐ戻るわ」
本心だ、嘘ではない。
アンナは、しばらく黙り込む。
「……すぐ、戻られますね」
小さく、ため息をつく。
「ええ」
数分後——鏡の前には、“リナ”がいた。
呼吸を整える。
——今だ。
護衛の隙を突き、外へ出る。
嵐の音に紛れて、足音も消える。
(人が少ない)
それが逆に、不気味だった。
その時、遠くで誰かが走る気配。
咄嗟に、身を潜める。
使用人姿の男が、慌てた様子で横切っていく。
やけに、周囲を気にしている。
音を消して、距離を詰める。
男は奥の扉に入るとそのまま、姿を消した。
急いで駆け寄り、そっと中を覗き見た。
備蓄室だ。
樽や箱が整然と並び、隠れる場所は、見当たらない
一歩踏み込んだ、その瞬
「——誰だ」
背後からの声に、勢いよく振り向く。
「え……レオ?」
思わず漏れた声に、自分でも息を呑む。
「……リナ?」
レオの目が、わずかに見開かれる。
一瞬だけ、空気が緩む。
——だが、すぐに張り詰めた。
「なんでここにいる」
鋭い視線が、迷いなく突き刺さる。
返す言葉が、出てこない。
——王都まで護衛すると言って聞かなかった、ダンじいの姿が脳裏をよぎる。あれを止めたのは、自分だ。
「私は…アリステラ様の護衛として同行してる」
「……護衛?」
「おじいちゃん――ダンじいの代わりによ」
庭師ダン。退役軍人で、『リナ』の祖父の設定だ。
レオは、じっと見る
「……そうか」
完全には信じていない事が伝わる。
「そっちは?」
「殿下の命令だ」
(殿下)
胸がざわつく。
「……殿下、ご無事なの?」
そのひと言にレオの空気が、わずかに変わった。
「……なんでそれを気にする」
探るような声音に、警戒を感じ取る。
「婚約者なんだから、当然じゃない…」
言葉を続ける
「アリステラ様の」
レオは、わずかに目を細めて——
「……生きてる」短く、それだけ言った。
胸の奥が、少しだけほどける。
(よかった)
ふと、思い出す
「……さっきの人」
アリステラが周囲を見る。
「ここに入ったはずなのに」
レオも、静かに室内を見渡す。
「……いないな」
二人で室内を探る。
「……見ろ、ここ」
壁際の不自然な継ぎ目を見つけた。
押すとわずかに、動く――隠し扉
互いに視線を交わす。
レオが、ゆっくりと扉を開けた。
その先には——小さな部屋。
空気が、淀んでいる。
「……罠の可能性もある」
低く呟く。
「分かってる」
アリステラも頷く。
「探すぞ」
そして
——カタン。
「これ!」
引き出しの二重底から、封蝋の施された手紙が現れた。
見慣れない紋。
だが——妙に、嫌な気配を纏っている。
開いた瞬間、嫌な予感が確信に変わる。
毒の入手方法。
計画の指示。
そして——
一行だけ、書かれていた。
『対象は、辺境伯の娘』
息が、止まる。
(狙われたのは……私)
指先が、震える。
「どういうこと……」
静かに呟くレオの声と共に、雷が鳴る。
「……来るぞ」
次の瞬間。
扉の向こうで、足音が止まった。