軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6話 この婚姻が背負うもの

出発の朝

昨日と同じ空のはずなのに、

どこか違って見える。

(今日、ここを離れる)

その事実だけが、世界の色を変えていた。

(ちゃんと、終わらせる)

(これは、ただの婚姻じゃないから…)

王都で交わされる約束は、

多くを背負うものだ。

そこに、個人の感情は入らない。

(あの人も)

ふと、思い浮かぶ。

仮面の奥の、感情を見せない瞳。

(守らなければならない立場にいる人)

それは、自分も同じだ。

胸の奥に、静かに落とす。

言い聞かせるように。

「お嬢様、そろそろ」

アンナの声が、いつもより少しだけ柔らかい。

「ええ」

短く答える。

鏡の前には、“アリステラ”がいる。

整えられた髪。

飾られたドレス。

隙のない、辺境伯令嬢の姿。

(これが、私)

――分かっているのに。

(……リナは、もういない)

胸の奥が、わずかに軋む。

屋敷の前には、すでに騎士団が整列していた。

馬車。

旗。

整えられた隊列。

昨日、窓から見たそれは——やはりどこか葬列のように見えた。

(戻れない)

(もう——進むしかない)

「アリステラ」

低く、よく通る声に呼ばれる。

振り向けば、

母——辺境伯カリスターラ・ヴァルディスが立っていた。

戦場では“女神”、敵からは“鬼神”と恐れられる当主。

一歩後ろには、父アルベルトの姿。

武ではなく、知でこの領を支えてきた男。

「支度は整っているようね」

視線が上から下へと一度流れる。

その一瞬で、すべてを見極めるように。

「はい、お母様」

自然と背筋が伸びる。

カリスターラは小さく頷いた。

「王都では、ヴァルディスの名を背負うことになる」

静かな声音だが、その重みは揺るがない。

「軽々しく扱われることは許さないわ」

——誰に対しても。

その含みが、はっきりと伝わる。

(……守る気だ)

娘を

そして、この婚姻の意味を。

「……あなたなら、大丈夫でしょう」

短い言葉。

けれど母の愛が伝わる、それで十分だった。

父が一歩、前に出る。

「無理はするな」

いつもの頼りない姿を隠した、優しく凛とした声。

「王都は、ここよりもずっと息苦しい場所だ」

その一言に、わずかに現実が混じる。

(王都——)

権力が渦巻く場所。

笑顔の裏に刃が潜む場所。

「はい、お父様」

小さく頷く。

その後ろで、使用人たちが静かに頭を下げている。

見慣れた顔ばかり。

(ここを、出る)

父母に、そして今日まで見守ってくれた屋敷の者たちに――

深く一礼する。

顔を上げ、前を向く。

ルシエルドが、前に立っている。

仮面に隠された、その表情は分からない。

だが——

その立ち姿には、一切の隙がない。

(この人も、背負っている)

王都という場所で。

誰かに狙われる立場で。

それでも、揺るがずに立っている。

「準備は整っている」

抑揚のない、事務的な声。

昨日と同じ距離。

「いつでも出立可能です、殿下」

丁寧に礼をとる。

「ご配慮に感謝いたします」

形式通りの言葉。

けれど、その奥にあるものは——

(共に立つ、ということ)

(レオは——)

視線を上げかけて、やめた。

ここにいるのは、前線に出る騎士たち。

補給や後方を任される彼が、こういう場に出てくることはない。

(……忘れよう)

ゆっくりと、馬車が進み出す。

見慣れた屋敷。

見慣れた庭。

見慣れた道。

すべてが、後ろへ流れていく。

(さよなら)

言葉にはしないまま。

初恋も、

過ごした時間も。

ここに、置いていく。

それでも——

胸の奥に残るものは、消えないまま。

アリステラは、そっと目を閉じた。