作品タイトル不明
25話 ずっと傍にいた
目前には、片膝をつきこちらへ手を伸ばすルシエルド。
土煙の向こう。
仮面の奥の視線が、真っ直ぐに自分を見ていた。
「……立てるか」
低い声。
けれどその声音は、どこか聞き覚えがあった。
アリステラが答える前に、ルシエルドはそっと肩へ手を添える。
無理に引き起こすのではなく、壊れ物を扱うような手つきで、ゆっくりと身体を支えた。
「……っ」
痺れた身体に、上手く力が入らない。
そのまま座らせるように抱き起こされ、背へ腕が回る。
近い。
血と土埃の匂い。
それなのに、なぜか安心してしまう自分がいた。
ルシエルドは、後ろ手に縛られた縄へ視線を落とす。
そして剣で断つのではなく、指先で結び目を解き始めた。
その手つきが、驚くほど丁寧だった。
「レ…オ…?」
掠れる声でそっと呟く。
「ん」
ルシエルドから発せられるいつもの軽い返事。
「……レオ?」
仮面の奥を見つめる。
震える指先で、そっとその縁へ触れた。
「……ほんとに?」
アリステラの手に、ルシエルドの手が静かに重なる。
「……ああ」
低く落ちた声。
そのまま、ルシエルドは自ら仮面へ手をかけた。
仮面が、外れる。
——その瞬間。
アリステラの呼吸が止まった。
「……っ」
声にならない。
ただ、堪えきれなかった涙だけが零れ落ちる。
仮面の下にはずっと想っていた、忘れたくてもできなかったその顔が覗いた。
「うそ…だって、殿下の利き手は左手…」
レオは右利きだ。
「両方使えるんだ」
「だって立ち方だって、声だって…」
「ルシエルドの時は、意識してんの。軽い騎士団長なんて威厳ないだろ?」
「背だって、殿下の方が高いよ?」
「靴で調整してる」
「火事のあった日、私が見た後ろ姿は?」
「俺がレオの時は、替え玉」
こんなに近くにいたのに。
ずっと、気づけなかった。
人のわずかな違和感には、あれほど敏感だったのに。
自分の想いが、見えるはずのものを曇らせていた。
「リナ…いや、アリステラ…」
ルシエルドは、ギュとアリステラを抱きしめ包み込む。
「……ずっと感じてた違和感、これだったのか」
ルシエルドの呟きに、アリステラは泣き笑いのまま頷く。
「ふふ……やっぱり、疑ってたのね」
「そりゃそうだろ。あれだけ強い一般人、どこにいるんだよ。怪しすぎるって」
抱きしめる力が強くなる。
「忘れようと思ってた……」
いつもと違う、ルシエルドの弱い声。
「お前が他の男に取られるのが悔しくて……気が狂いそうだった」
苦しそうに落ちた声に、アリステラの胸が締め付けられる。
「全部投げ出して、攫いに行こうかとも思った」
静かな沈黙が落ちる。
「あんなに悩んでたのに——」
両手で、そっと頬を包み込まれる。
「最初から、ここにいたんだな」
真っ直ぐに、視線が重なる。
「俺のすぐそばに……」
かすかに笑う。
「嬉しすぎて、頭おかしくなりそうだ」
額が触れそうな距離で、ルシエルドは低く囁いた。
「お互い、上手く化けてたな」
抱きしめ合い、お互いの鼓動を確かめる。
ちゃんと、ここにいる。
その温もりに、ようやく現実が追いついてくる。
——ふと。
ルシエルドが小さく笑った。
「で? 病弱で、おとなしくて、儚いご令嬢だったっけ?」
口元をわずかに歪める。
「儚いご令嬢は、敵のど真ん中で俺に暗号なんか飛ばさねぇだろ」
アリステラは、わずかに頬を膨らませた。
「……だって、“やばい時は呼べ”って言ったの、そっちでしょ」
ルシエルドは一瞬目を見開き、それから喉の奥で笑った。
その顔は、もう“第三王子”ではなかった。
戦場で何度も背を預けた、あの男の顔。
笑みが、静かに消える。
「リナ」
真っ直ぐに視線が重なる。
「——まだ、戦えるか?」
空気が変わる。
甘さの残る距離のまま。
それでも、問われたのは“覚悟”だった。
アリステラは、ゆっくりと笑う。
「誰に聞いてるの?」
隣にレオがいる——それだけで、胸の奥に不思議なほど力が満ちていく。