作品タイトル不明
24話 利き手
「なぁ……簡単なことだよ、王子」
男の声が、ねっとりと絡みつく。
「兵を退け、我ら“浄火”に逆らうなと命じろ。
――それだけでいい」
男はゆっくりと口角を吊り上げた。
「ああ、それと——ヴァルディスにも伝えろ。国境沿いの兵を退かせろと」
まるで慈悲でも与えるような口調。
「そうすれば、お前も花嫁も助かる」
男は、すでに勝者の顔をしていた。
アリステラが、視界の端でわずかに動く。
男のすぐ傍に転がされている。
助けに入るには——距離が遠すぎる。
今、強引に動けば間違いなく、間に合わない。
自分一人なら、突破は難しくない。
しかし——
アリステラを連れては、不可能だ。
(どう動く)
焦りを押し殺し、視線だけを巡らせる。
一手、間違えれば終わる。
囲まれてはいるが敵は、すぐには斬りかかってこない。
(時間を稼いでいる……?)
(違う。何かを待っている)
「そうか、我々を拒むか!」
男の叫びが、訓練場に響き渡る。
「ならば! 聖なる炎で、偽りの血ごと焼き尽くしてくれる!!」
ルシエルドの後方。
瓦礫の陰で、炎矢が持ち上がる。
その時だった。
―――「レオ!!」
その名が、脳を撃ち抜いた。
「ダンじい、後ろ! 水やり!!」
——かつて、“リナ”と交わした暗号。
『庭師の孫っぽいでしょ?』
『視界、遮るの』
身体が、先に動いていた。
ルシエルドは咄嗟に身を沈め、打ち捨てた剣を右手で掴み取る。
その勢いのまま、地を薙ぐ。
剣先が地を抉り、土煙が爆ぜた。
視界が、白く曇る。
次の瞬間、炎矢がその横を掠めて飛び抜けた。
土煙の中。
一閃。
「が……っ!」
血飛沫が舞う。
崩れ落ちた仲間を見て、敵の一人が息を呑んだ。
「右手だと……!?」
「情報では、第三王子は左利きのはず——」
言い終える前に、敵の喉が裂けた。
右手で剣を振るう姿は、先ほどまでとは別人のようだった。
動揺が走る。
利き手を変えた程度ではない。
剣筋そのものが違う。
迷いがない。
速さも、威力も落ちていない。
(なんだ、こいつは——)
◇
次々と敵をなぎ倒す“ルシエルド”
アリステラはその姿をみて、有り得ないと思っていた。
(そんな…)
(だってあれは…あの動きは…)
――レオ
「クソっ……なんだ、あれは……」
先ほどまで余裕を浮かべていた男の顔から、笑みが消えていた。
一歩、後ずさる。
「あり得ない……」
低く吐き捨てた直後、男の姿は土煙の奥へ消えていた。
気づけば、周囲に立っている敵は、もういない。
残されたのは、土煙と血の匂い。
そして。
目前には、片膝をつきこちらへ手を伸ばすルシエルド。
——なのに。
その姿が、一瞬だけ“レオ”に見えた。