軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

20話 侵入者

その日はついにやって来た。

空は快晴だった。

城下町はお祝いムード一色だという。

アリステラは、婚礼衣装に身を包んでいた。

「とてもお綺麗です…お嬢様…」

アンナが感慨深く呟く。

純白のドレスは、無駄を削いだ静かな気品を纏っている。

肩から裾へと流れるAラインは、細い身体をやわらかく包み、動くたびに淡く揺れた。

手首までを覆うロングスリーブは繊細なレースで仕立てられ、透ける白がその儚さを際立たせる。

背後に長く引くトレーンは、音もなく床を滑り、光を受けてほのかにきらめいた。

ただそこに立つだけで、目を奪う静かな美しさだった。

「アンナの腕がいいからよ。いつもありがとう」

そう微笑む顔の中に僅かに曇りが混じる。

「このあとの予定を、もう一度確認して参りますね」

アンナはそう言って部屋を後にした。

深く息をつき、窓の外を見る。

心にまだ残る、消しきれない想い。

決めたはずだ。

迷う理由など、もうないと。

この婚姻も、この先も——すべては自分で選んだ道。

それなのに。

一瞬だけ、別の未来を思ってしまう。

あの戦いの中で交わした呼吸。

言葉よりも先に通じた、あの瞬間。

(……忘れなければ)

静かに目を伏せる。

「……馬鹿ね」

小さく零した声は、誰にも届かない。

それでも、その想いは——簡単には消えてくれなかった。

ドアが、軽くノックされた。

(アンナね)

「どうぞ」

「失礼いたします——」

——入ってきたのは、アンナではなかった。

見慣れた侍女服。

顔にも覚えがある。

だが。

足音が、わずかに重い。

視線に、違和感。

一歩、近づいてくる距離の取り方が——近すぎる。

「お召し替えの最終確認に参りました」

声は、丁寧。

抑揚も自然。

それなのに。

(……距離の取り方が、違う)

訓練された者のそれだ。

“仕えている”者の間合いではない。

アリステラの指先が、わずかに動く。

(……おかしい)

侍女は、さらに一歩踏み込んだ。

「ドレスの裾を、少々」

その手が、伸びる。

その瞬間。

鼻先をかすめる——わずかな甘い匂い。

(——薬)

理解した瞬間、身体が動く。

だが遅かった。

袖口から、霧状のものが噴射される。

咄嗟に息を止める。

半歩、後ろへ引く。

それでも。

一瞬、吸い込んだ。

(しまっ——)

視界が、揺れる。

床が遠のく。

膝が、崩れる。

「……っ」

倒れかけた身体を、支えられる。

その腕は、驚くほど無駄がない。

(やっぱり——)

意識が、急速に霞んでいく。

視界の端で、もう一人。

扉の外に、影。

(複数……)

声を出そうとするが、舌が回らない。

(まずい)

完全に、意識を持っていかれる前に——

合図を残さないと。

指先から、そっと力を抜く。

小さなそれが——音もなく、床に落ちた。

それでいい。

(……気づいて、アンナ)

そして——

(来て)

誰にとは言わないその願いが、浮かんだ瞬間。

意識が、暗闇に沈んだ。

アンナは廊下を、足早に戻っていた。

(お嬢様、少し顔色が悪かった)

式直前だ。

アリステラの様子が気になる。

扉の前で、足を止めて違和感を感じた。

護衛が居ない…そして——静かすぎる。

中から、気配がしない。

「……お嬢様?」

ノックをするが、返事はない。

胸の奥が、ざわりと波打つ。

「失礼いたします」

慌てて扉を開けた瞬間——空気が、違った。

(……いない)

部屋は整っている、乱れはない。

しかし、

そこにいるはずの人が、いない。

一歩、踏み込む。

視線が、床をなぞる。

——白の中に、わずかな違和感。

しゃがみ込み、指先で拾い上げる。

小さな——小指用の指輪。

一見すれば、ただの細い指輪。

アンナの指が、わずかに震えた。

(……これ)

そっと、裏返す。

ごく小さな紋章が内側に刻まれている。

ヴァルディスの家紋。

それは、装飾ではなく、“身元を示すための印”。

そして——

(合図)

辺境にいた頃。

言葉が使えない状況で、危険を知らせるために決めたもの。

この指輪を“外して残す”ことは——

「……強制連行」

低く、言葉が落ちる。

自然に外れるはずがない。

これは、お嬢様が自ら残したもの。

アンナの表情が、一瞬で消える。

(やられた)

迷いは、ない。

立ち上がり、踵を返すと全力で走り出した。

廊下の視線も、声も、すべて無視して。

向かう先は一つ。

(殿下に——)

扉を叩き、返事も待たずに部屋へ滑り込む。

「ルシエルド殿下!!」

声が、響く。

「お嬢様が——」

息を整える暇もなく、言い切る。

「アリステラ様が、連れ去られました!」

手の中の指輪を、強く握りしめたまま。