軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

18話 それでも見えない何か

煙は、まだ完全には晴れていなかった。

崩れた梁、焼け落ちた床、焦げた匂いが、

喉の奥に残る。

転がる影は、もう動かない。

人の流れに紛れ、外へ出る。

消火に走る使用人たちの声が飛び交う。

そこではすでに、騎士たちが動いていた。

水を運び、負傷者を運び出し、周囲を制圧する。

指示は飛んでいる。

統制も取れている。

それだけ確認して、視線を切る。

視線を横へ向ける。――リナ。

一体何者なんだ。

さっきの戦いを、思い返す。

煙で視界は潰されていた。

敵の数も、位置も、完全には把握できない状況。

それでも。

あいつは剣を振わずに、戦いを回していた

指示のタイミング。

間合いの取り方。

危険の察知。

一つ一つが、的確すぎた。

(偶然でも、当てずっぽうでも無い)

(戦場慣れ……いや、違う)

あの動きは、確かに完成されている。

無駄がなく、正確で、迷いがない

しかし――血の匂いがしない

戦場を潜ってきた人間特有の“粗さ”がない。

命のやり取りを繰り返した者に残る、あの歪み。

それが、感じられない。

(なのに、技術だけが異様に高い)

違和感の正体が、そこにあった。

(叩き込まれている……?)

長い時間をかけて、徹底的に。

だが――

ならばあの経歴の説明がつかない。

嵐の夜の再会後、調べた経歴は拍子抜けする程、

綺麗なものだった。

“ごく普通の平民の娘”

祖父は退役軍人、その息子夫婦の一人娘。

時折、祖父の手伝いとして辺境伯邸に出入りしている。

そして、婚約者。

あの護衛騎士——ジョシュアが婚約者だと思っていた。

だが違った。

婚約者は、商家の次男。

……まだ、あの男の方が筋が通る。

不自然なほどに、一般人だった。

だからこそ、ずっと引っかかっている。

祖父や辺境伯の騎士たちからも、多少、剣術の手ほどきは受けているらしい。

それでも。

(その程度で、あの域には届かない)

一朝一夕でも、片手間でもない。

“選ばれた環境”と“積み重ね”がなければ、ああはならない。

(……足りない)

決定的に、何かが。

静かに、結論が落ちる。

(――どこを隠している)

(誰に、なんの為にそこまで鍛えられた)

アリステラは、周囲を見回した。

人のざわめきはまだ残っているが、騒ぎは落ち着きつつある。消火と救助も、すでに収束に向かっていた。

それなのに。

胸の奥だけが、静まらない。

あの視線。

戦いの最中でも、逸れることはなかった。

(何かを疑われてる)

ほとんど確信に近い。

それでも――

(敵だとは、思われていない)

あの判断。

迷いなく、合わせてきた動き。

息が、わずかに詰まる。

振り払うように、目を閉じる。

(……だめ)

腕の中に引き寄せられた。

意識が、あの瞬間に引き戻される。

忘れなければ、と何度も思うのに。

少しでも気を抜けば、すぐに浮かんでくる。

声も、距離も、あの体温も。

レオは、下級の補給部隊員ではない。

ルシエルドの密偵――それで間違いない。

今後も、危険があれば対峙することになる。

だからこそ。

(知られてはいけない)

私の正体も。

そして――この想いも。

もし知られれば。

彼に余計なものを背負わせることになる。

忠誠を誓った主の婚約者に、想いを向けられているなど――

そんな事実は、あってはならない。

そんなものは彼にとって、ただの“負担”でしかない。

だから。

(この気持ちは、消さなければいけない)

強く、そう言い聞かせる。

それなのに

――どうしても消えないのが、一番厄介で苦しい

「……リナ」

レオが視線を向け、ゆっくりと近く。

(……ここに、長くいるべきじゃない)

あの視線。

あの疑念。

これ以上、同じ場所にいれば——

(踏み込まれる)

「行くわ」

短く言う。

レオは何も言わない。

ただ、わずかに目を細めた。

(……やっぱり)

その探るような様子に危険を感じ

その場を離れる。

火事は程なく鎮火した。

混乱の形跡だけがそこに残っていた。

「全員、確保した」

ルシエルドの声は、いつも通り抑揚がない。

“アリステラの退避場所”である別宿に、処理を終えたルシエルドは報告に来た。

「実行犯は口を割るだろう。だが――上には辿り着けない」

静かに断言する。

「金の流れは追えるが、名は出ない。いつものやり口だ」

アリステラは眉をひそめる。

「……やはり、王都側でしょうか」

「ほぼ間違いない」

それ以上は言わない。

だが、指し示す先は明白だった。

「本来なら、もう少し準備を整えるはずだ」

「それをせずに、強引に仕掛けてきた」

「あちら側に、焦りが見える」

視線が、わずかに鋭くなる。

「――我々が王都に入る前に、決めたかったのだろう」

その一言で、すべてが繋がる。

「だが」

ルシエルドは淡々と言い切る。

「これだけでは、断罪はできない」

証拠は、まだ決定打に欠けている。

この段階で王妃の名を出せば、ただの憶測と退けられる。

さらに、側妃の子であるルシエルドの訴えは、

権力争いの一環と疑われ――讒言と見なされかねない。

「……今後も、狙われると?」

側で控えていたジョシュアの問いに。

「ああ」

迷いなく、肯定する。

「むしろ、本番はこれからだ」

「守りを強化する。気を抜くな」

短い言葉に、すべてが込められていた。

――ここから先は、安全圏ではない。

(王都)

視線を、わずかに落とす。

そこへ向かえば、もう戻れない。

(……レオ)

消そうとしても、浮かぶ名前。

けれど。

(迷っている場合じゃない)

静かに息を整えた。

翌朝、部隊は何事もなかったかのように出発した。

馬車の外には、穏やかな景色が広がっている。

まるで、すべてが過ぎ去ったかのように。

――だが。

(終わっていない)

今回の件は、ほんの一端に過ぎない。

敵はまだ、こちらを見ている。

視線を上げる。

揺れる馬車の中で、その瞳だけが静かに研ぎ澄まされていく。

――迷うな。迷いは隙になる。

母の声が、胸の奥に響く。

――焦らなくていい。盤面を読みなさい。

父の声が、静かに重なる。

守られるだけではいられない。

この先へ進むと決めたのは、自分だ。

王都――すべてが渦巻く場所へ。

アリステラは、静かに息を吐いた。