作品タイトル不明
16話 偽りの令嬢
部屋は静かだった。
外の喧騒が、遠くにぼやけている。
鏡の前に座りながら、アリステラ——“リナ”は自分の姿を見つめていた。
整えられた髪。
控えめだが質の良いドレス。
背筋は伸び、視線は落としすぎず、上げすぎない。
“アリステラ”ほど完璧ではいけない。
それでいて、貴族の令嬢を“演じている”と分かる所作。
辺境伯令嬢としての自分とも違う。
“リナ”としての自分とも、まるで違う。
目指すのは——
“どこにでもいる貴族令嬢”。
(……これでいい)
小さく、息を吐いた。
◇
「……え?」
アンナが、固まっていた。
「え?い、今なんとおっしゃいましたか?」
「だから、私が“身代わり”になるの」
さらりと告げる。
次の瞬間、アンナは両手で頭を抱えた。
「お嬢様!?それ、逆です!!普通は“リナを身代わりにする”んです!!」
「だから、そうするのよ」
「違います!!そうじゃなくて!!」
珍しく声を荒げるアンナに、少しだけ苦笑がこぼれる。
「お嬢様が、お嬢様の身代わりになったら……それ、身代わりじゃないんです。ただのご本人登場です!」
必死な声音。
胸が、少しだけ痛む。
「分かってるわ」
やわらかく返す。
「でも、この先——殿下と並ぶなら」
一度、言葉を区切る。
「いつまでも守られているだけじゃ、だめでしょう?」
その一言に、アンナはぐっと言葉を詰まらせた。
「……それは、そうかもしれませんけど……」
納得しかけて、すぐに首を振る。
「だからって、こんな危ない真似……!」
「お願い、アンナ」
少しだけ声を落とす。
「今回は、私にやらせて」
真っ直ぐに見つめる。
その視線に、アンナはしばらく耐え——
やがて、観念したように大きく息を吐いた。
「……本当に、無茶ばかりなさいますね」
ぼやきながらも、袖をまくる。
「ですが、やるからには徹底しますよ」
そして、じっと見据えた。
「いつもの装いでは、あまりにも“アリステラ様”になります」
「……そうね?」
「ええ。ですから——」
わずかに口元を引き締める。
「“リナを令嬢に変装させる”形にします。変装に変装、ですね……言っていて混乱してきました」
その言葉に、思わず小さく笑みがこぼれる。
「アンナ、あなたがいて心強いわ。ありがとう」
「……今さらです」
ぶっきらぼうに返しながらも、その手は迷いなく動き出した。
◇
すべての準備は整い、後は護衛の合流を待つだけだった。
(……任務に集中しないと)
そう思うのに。
胸の奥が、落ち着かない。
(来るわけ、ないのに)
否定しようとしても、期待が消えない。
——コン、と扉が叩かれる。
「失礼する」
その瞬間、その声に心臓が大きく跳ねた。
(……うそ)
扉が開く。
護衛の男たちが、数名。
その先頭に。
(……いた)
一瞬で、呼吸が浅くなる。
見間違えるはずがない。
何度も思い出した、その姿。
ほんのわずかに——
安堵にも似た感情が、胸をよぎる。
——レオ。
思考が、白く途切れる。
けれど。
ここで崩れるわけにはいかない。
ゆっくりと、顔を上げる。
“アリステラを演じる身代わり”として。
ふと、目が合う。
胸の奥が、ざわついた。
(落ち着いて)
これは任務だ。
敵を誘い出すための、役割。
——それだけ。
そう言い聞かせるのに。
どうしても。
視線が、逸らせなかった。