作品タイトル不明
第三十八話 決戦③
優勢なのはリンダム王国軍だった。もはや攻守は入れ替わり、タイウェルの配下たちが勢いを失っている一方で、エドウィンの率いる軍勢の士気は最高潮に達している。
タイウェルの配下たちは多少は腕っぷしに自信があるようで、実際それなりに強い者も中にはいるが、実戦慣れした戦士たちの方が実力で上回っている。その後ろに続いて突撃した民兵たちも、粗末な武器を振るって果敢に戦っている。
「殺せ! 殺せ! 勝利は目の前だ!」
下がろうとして足をもつれさせ、倒れ込んだ目の前の敵に戦斧を叩き落としながら、エドウィンは吠える。敵兵の背中がずたずたになるまで何度も何度も戦斧を振り下ろし、正面から別の敵が迫ってくると、血に濡れた戦斧を投げつけて牽制。腰に帯びている剣を抜くと、今度はその剣を振り回して激しく戦う。
エドウィンは決して戦いが好きなわけではない。まったく戦うことなく己の目的を達成し、己の手中にあるものや周囲にいる者を守れるのであればそれが理想的だと思っている。
しかし、現実はそう上手くはいかないと理解している。守るべきものを守るために、欲しいものを手に入れるために、戦いこそが唯一の選択肢となることもあると分かっている。
傭兵団長だった頃は、報酬を得て配下たちとその家族を食わせていくために、雇い主を守って戦わなければならなかった。そして今は、築き上げた国を守るためにより大きな力を得なければならず、そのためにはより多くの領土や財産や民を勝ち取らなければならない。
自分を信じてくれる妻とこれから生まれてくる我が子。自分を慕う家臣たち。自分に庇護してもらえると信じている民。そして、王という極上の称号と、それに付随する魅惑的な権力。その全てを守り続けるために、もっと強くならなければならない。
王を志し、そして王になった以上、必要とあらば家臣や民を率いて戦うのは自分の義務であり宿命である。そう受け入れている。だからこそ己を厳しい現実に、今このときは凄惨な戦場に適応させ、心の内から殺意を呼び起こして戦いに臨む。
盾を構え、剣を振るいながら、戦場を感じる。硬質な打撃音と鈍い破壊音、怒号と断末魔が耳に響く。戦場に特有の、血と臓腑と殺意の濃厚な匂いが脳を深く鋭く刺す。殺す者がいる。殺される者がいる。指一本分の、布一枚分の僅かな差が勝者と敗者を分ける。生と死の境界線がこの目で見える。槍の一突きが、戦斧の一振りが、剣の一閃が、あの世とこの世の境目に線を引く。
決して好きではない。しかしそれでも、戦場の一部になって命の奪い合いに臨んでいると、どうしようもなく滾る。獣じみた高揚が全身に満ち、思考までもが血に染まる。
目の前の敵が果敢に振るう槍の穂先を躱し、そのまま振り回される槍の柄を盾で受け止め、剣で叩き折る。壊れた槍を捨てて短剣を抜いた敵の盾を蹴りつけて態勢を崩させ、自身も円盾を構えて体当たりをくり出し、転ばせる。無防備になった敵の頭に剣を振り下ろし、沈黙させる。
そうして周囲を見回すと、もはや自軍の勝利は決まっていた。敵軍は完全に崩壊し、誰も彼もが逃げ始めていた。
民兵の多い軍勢で下手に追撃を仕掛ければ、こちらの軍勢まで散り散りになってしまい、思わぬ反撃を受けて死傷する者や見知らぬ地で行方不明になる者が出るかもしれない。即座に理性を取り戻してそう判断したエドウィンは、追撃を命じることはせず、代わりに皆に呼びかける。
「敵は逃げ去った! 我々の勝利だ! 諸君、勝鬨を上げろ!」
王の言葉を受け、戦士たちは一斉に武器を掲げて吠える。民兵たちもそれを真似て、未だ冷めぬ高揚を吐き出すように叫ぶ。皆の高らかな声が、リンダム王国軍の勝利を世界に知らしめる。
「……タイウェル・ドゥムノスは逃げおおせたようです」
エドウィンの死角を守り続けていたジェラルドが言い、それを受けてエドウィンは彼が指差す方を向く。すると確かに、タイウェルが数人の供を連れて逃げ去っていくのが見えた。武器も盾も放り捨て、鎖帷子まで脱ぎ捨てた姿で、再び馬に乗って逃げていく背中はひどく無様だった。
「おお、いつの間にあれだけ遠くに」
「戦闘のどさくさに紛れて逃走の距離を稼いだんでしょう。要領の良い奴だ」
呆れたようにジェラルドが言い、エドウィンはそれに微苦笑を返す。
「馬まで取り戻して手際よく逃げたとなれば、今から追いかけたところで捕えられまい……まあいいさ。どうせ奴にはもう何の力もないし、逃げ帰る場所も分かっている」
そう言って、エドウィンは視線をタイウェルから戦場へ戻す。
「まずは怪我人の手当てを。死体はひとまずこちらの仲間のものだけ集め、ロイドたちに預ける。残りの者たちにはしばらく休息を取らせ、その後はタイウェルの拠点まで前進だ」
「御意のままに、国王陛下」
頷いたジェラルドが皆にエドウィンの指示を伝え、戦闘の事後処理が始まる。
・・・・・・
タイウェル・ドゥムノス率いる軍勢の損害は、甚大なものだった。
彼の配下のうち、ほぼ全軍にあたる五十人ほどがこの決戦に参加していたようで、そのうち実に二十人近くが戦闘で死んでいた。それと同数程度の者が負傷して逃げ損ねていたが、戦士たちによって全員が始末されたため、結果的に生きて逃げ延びた者は二十人に満たなかった。
タイウェルによって動員された民兵の死者は六人。そのほとんどがクロスボウの矢を受けた者だった。さらに十人程度の負傷者がおり、こちらに関しては傷口を洗って清潔な布で縛るなど、できるだけの手当てがなされた。
敵軍から得られた戦利品は膨大だった。タイウェルの死んだ配下たちが持っていた槍や戦斧や短剣、まだ使えそうな円盾が回収され、逃亡の際に放棄されたものも拾い集められた。タイウェルが脱ぎ捨てた鎖帷子も発見され、今回の戦闘における最大の戦利品となった。
その他に、タイウェルの死んだ配下たちが身に着けていた装飾品の類や、死体から剥ぎ取られた衣服や靴なども、少なからぬ価値のある戦利品として回収された。
大勝利とそれに見合う大量の戦利品を得た一方で、リンダム王国軍も損害を被った。
どれほど圧倒的な勝利を収めようと、犠牲が皆無とはいかない。白兵戦に臨んだ戦士と民兵のうち、七人が死んだ。そのうち、戦士の死者は三人だった。
戦闘の事後処理が一段落した頃。後方の野営地の一角、死者たちが丁寧に並べられた場。死んだ戦士の一人、大きな信頼を置いていた側近の亡骸の前に、エドウィンは立っていた。
「……サベルト」
エドウィンが見下ろしながら呼びかけても、地面に横たわるサベルトが応えることはない。彼はもう二度と言葉を発さない。
目は閉じられ、まるで穏やかに眠っているようにも見える。しかし首元には痛々しい傷があり、服も顔も血にまみれ、彼が壮絶に散ったことが分かる。彼の最期を偶然見ていた戦士の話では、なかなか腕の立つ敵と一対一で戦っていた最中、別の敵が死角から投げた戦斧が不運にも首元を直撃し、倒れたのだという。
エドウィンは片膝をつくと、サベルトの亡骸、その肩にそっと手を置く。
「寂しくなるよ。いずれ神々の国で再会しよう」
穏やかに微笑し、呟くように言う。
人は死ぬと神々のもとへ旅立つ。死者とは神々の国でまた会える。この別れは人の世においてのものであり、永遠に彼と会えなくなったわけではない。
それでもやはり、親しい者の死は悲しい。
目を閉じ、彼の魂が安らかであるよう神々に祈った後、エドウィンは立ち上がる。エドウィンの傍らでは、ジェラルドとレオフリックも、親しかった戦士の亡骸をじっと見つめている。
並べられた死者たちの近くでは、この外征に随行している祭司――以前タイウェルへ書簡を届ける仕事を完遂して以来、フィオナと並んで重用されている老祭司が目を伏せ、小声で聖句を唱えながら死者たちの冥福を祈っている。
「……さて。完全な勝利に向けて、そろそろ前進を開始しようか。サベルトたちの犠牲に報いるためにも」
エドウィンが言うと、ジェラルドが微笑しながら頷く。
「そうしましょう。ここであまりぐずぐずしていては、神々の国から見ているサベルトに軽口を叩かれます」
「……サベルトさんの軽口なら、神々の国からでも聞こえそうですね」
ジェラルドに続いて、レオフリックが珍しく冗談を言った。ジェラルドは笑みを深めながら息子の肩を叩き、エドウィンも可笑しそうに、少し無理をして笑った。