作品タイトル不明
第三十四話 忠実な家令
翌日から、外征に向けた準備が本格的に始まった。戦士たちは各人里から兵を召集するための伝令として王国領土内を駆け回り、あるいは物資や装備をまとめたり、民兵が到着し始めると彼らに簡単な訓練を施したりと、それぞれ忙しく動いて役割を果たした。
王であるエドウィンも、自身の装備を手入れし、家臣たちから様々な報告を受け、都にやってきた民兵たちを激励して彼らの士気を高めたりと、軍勢の大将としての務めに臨んだ。
そんな中で、またもや使用人ドーラと広間で二人になるときがあった。側近たちも彼らの家族も偶々館を出払っており、クレアは妊娠中の身体を労わるために仮眠をとっていたため、エドウィンが館に帰ってきたとき、広間にはドーラだけがいた。
「ドーラ、お茶を淹れてもらえるかい? 疲れたから少し休みたい」
「かしこまりました、すぐに準備いたします」
丁度手が空いていたらしいドーラは、そう答えて広間の隅、調理用の炉に向かうと、水瓶から汲んだ水を沸かして手早くお茶を淹れ、テーブルの定位置についたエドウィンの前に丁寧に置く。
「……あの、国王陛下」
「ん? 何だい?」
エドウィンがお茶を一口飲んで息を吐いたとき、ドーラが口を開いた。彼女の方から話しかけてくるとは珍しい。そう思いながら、エドウィンは傍らを振り返る。
「今回の戦いは、より大規模なものになるだろうと戦士の皆さんから聞きました。去年の盗賊団との戦いや、西から侵入した軍勢との先の戦いよりも、さらに大きく激しいものになるだろうと」
「ああ、そうだね。数の上ではおそらく、これまでで最大規模の戦いになる。タイウェルの方も必死に兵をかき集めるだろうから、そうなれば百人規模の軍勢がぶつかり合うことになるだろう。僕や戦士たちも経験したことのない大きな戦いだ……敵側の民兵はともかく、タイウェルと奴の配下に関しては、立場を守ろうと真面目に戦うと考えるべきだ。実力はたかが知れていても、まともな戦意のある者が五十人以上も挑みかかってくるとなれば、決して油断ならない敵と言える」
「……左様ですか」
エドウィンが平然として語る一方で、ドーラは深刻な表情で黙り込む。そしてその表情のまま、再び口を開く。
「陛下の御無事でのお帰りを、王家の使用人として心より願っております。神々が陛下をお守りくださるよう、私もお嬢様と一緒にお祈りいたします」
そう言われ、エドウィンは小さく片眉を上げた。
我が子同然の大切な令嬢が、ある日突然やってきた得体の知れない青年に精神的に依存し、人生の何もかもを委ねている。そのような不安定な状況に、ドーラが複雑な思いを抱き続けていることはエドウィンも分かっていた。このまま自分も状況に身を任せ、得体の知れない青年を王と仰ぎながら生きていいのかと悩んでいることを察していた。
王が自分の内心を見透かしていることに、ドーラの方もまた気づいている様子だった。なのでエドウィンとドーラは、表向きは主従として互いに接しながら、しかし心理的には微妙な距離感を保ってきた。
だからこそ、彼女がどうやら心からこちらの身の安全を慮ってくれているというのは、エドウィンにとって驚くべきことだった。
王の表情を見てその内心の疑問を理解したのか、ドーラは意を決した様子でさらに続ける。
「……陛下はお嬢様に夢を見せ続けると、お嬢様が幸せな物語を生きていけるよう救世主であり続けると、以前仰いました。その宣言を実行していただかなければ困ります。これからもずっと、王としてお嬢様の人生をお守りいただかなければ。なので、陛下のご無事を心より願っております」
ドーラの言葉を受けたエドウィンは、しばしの間を置き――楽しげに笑った。
つまるところ、彼女は腹を括ってこの自分に全てを任せることにしたらしい。クレアの人生の庇護者として、クレアと共に人生を歩んでいく者として、エドウィン王を認めた上で忠誠を捧げると覚悟を決めてくれたらしい。今の言葉が彼女の決意の表れだと、そのように理解した。
「もちろん、僕は生きて帰ってくるさ。この先も長く続く王としての人生を、王妃であるクレアと共に歩み続けると約束しよう……そして、僕にクレアの人生を委ねると覚悟してくれた君には、ただの使用人以上の立場を与えると今決めた」
言いながら、エドウィンは顔だけでなく身体ごと彼女の方を向く。
「ドーラ、君を王家の家令に任命する」
「家令……ですか?」
聞き慣れない言葉だったためか、ドーラは小首を傾げる。
「そう、家令だ。帝国貴族たちの館で、家政を統括したり財産の管理をしたりする役職を示す言葉らしい。その役職に君を任命する。つまり君は今日から、王の館が正しく機能するよう家事の采配をすることに加えて、王家に納められる税と、王家がこの先手にする戦利品の管理も担うことになる。要は、君が過去に担っていた農場の運営補佐の規模を大きくしたような仕事だ。君ほど優秀な者ならば、それくらいの仕事は問題なくできるはずだ」
エドウィンの説明を聞いたドーラは、彼女にしては珍しく唖然として固まり、そして少し困ったような表情になる。
「……仕事自体は、確かにできると思います。ですが……それほどの要職を、私などに任せていただいてよろしいのですか? 農場の運営を手伝っていたとはいえ、ただの使用人だった人間に」
「もちろんだ。むしろ、君以上の適任者はいないと思っているよ……君はクレアを守るために、彼女の庇護者である僕を支えてくれる。決して裏切らず、全力で、生涯をかけて。そうだろう?」
そう問われた時点でエドウィンの意図を察したのか、彼女は納得した様子で首肯する。
「はい、仰る通りです」
「そう言ってくれると思っていた。だからこそ君を選んだ。絶対的な信頼をもって館と財産を任せることのできる家臣、これがどれほど貴重でありがたい存在か……これから先、君には王家の足元を支えてほしい。期待していいだろう?」
再び問われ、ドーラは表情を引き締めると、彼女らしい几帳面な所作で一礼した。
「お任せください。ご期待に応え、家令として陛下と王家をお支えしてまいります」
彼女の返答を受け、エドウィンは満足げに笑む。
優秀な戦士が揃っている一方で、文官に関しては人材が心許なかったリンダム王家の家臣団。王の相談役から事務官の役割までを一手に引き受けていた祭司長フィオナに加え、家令としてドーラが加わったことで、安定感は一気に増した。
王妃とこれから生まれてくる我が子を、国の中枢たる館を、力の源泉たる財産を、信頼して預けることのできる側近を得た。なんという安心感だろう。