作品タイトル不明
第九話 大事な人を失ってしまっても
数日後の夜、クラリスがアルトの辻馬車に乗った。
「アルトさん、ガレスさんをお乗せになったそうね?」
クラリスがそう切り出してきた。
「ガレスさんをご存じなのですか?」
アルトは驚いて尋ねた。
「ええ、もちろん。ガレスさんには、王都救済事業を手伝っていただいているもの。戦災遺族の方たちへの物資配布をご担当いただいているの。お年を召していても、元王都守備兵の方だから、とても頼りになるのよ」
「そうでしたか」
「けれど……奥様が亡くなってから、少し様子が変わったように見えるの」
「様子が、ですか?」
「ええ。落ち込んでいるのかと思ったら、むしろ以前より穏やかになっていて……。前は少し頑固で、近寄りにくいところもあったのだけれど」
クラリスは困ったように笑った。
「何か吹っ切れたようにも見えるの。奥様を亡くされたばかりなのに、どう受け止めればいいのか分からなくて。何だか亡くなられた奥様が不憫だわ」
「クラリス様、お言葉ですが、それは違うと思います」
「えっ?」
アルトが珍しく少し強い声を出したので、クラリスは驚いた。
「ガレスさんは、悲しんでいないのではありません」
「そうなのかしら……。私にはそう見えないのだけれど」
アルトは手綱を握ったまま、言葉を続けた。
「ガレスさんは、奥様を失ったのではなく、奥様が残してくださったものに、ようやく気づいたのだと思います」
クラリスは黙って、アルトの横顔を見た。
「ご本人にしか本当のところは分かりません。ですが、少なくとも、ガレスさんが奥様を疎ましく思っていたわけではないことだけは、ご理解ください」
「そう……。ごめんなさい」
「いえ……こちらこそ、差し出がましいことを申しました」
二人は少しの間、沈黙する。
そこに、クラリスが思い立ったように口を開く。
「アルトさんにとって、婚約者の方……リディア様も、そういう方なのかしら」
アルトはすぐには答えなかった。
「いなくても、リディアさんを傍に感じているの?」
「……どうでしょう」
「ごめんなさい。変なことを伺ってしまったわ」
「いいんです」
アルトは、少しだけ目を伏せた。
「僕は、よく分からないのです。リディアがいないことが、当たり前になってしまっていて」
「そう……」
「でも、ガレスさんのことがあって、少し思ったんです」
馬車の車輪が、静かに石畳をなぞっていく。
「大事な人が目の前からいなくなっても、その人は本当の意味で消えるわけではないのかもしれません」
クラリスは黙って聞いていた。
「その人が残した言葉や、想いや、祈りが、残された人の中で続いていく。そして、その人の生き方が、また別の誰かに渡っていく」
アルトは少し恥ずかしそうに笑った。
「うまく言えませんが……そうして、この王都も、この世界も、誰かが誰かに残したものでできているのだと思うと、少しだけ救われる気がしたのです。そんな世界に生きていることが少し嬉しく思えて……」
クラリスが、ふっと微笑んだ。
「それは、とてもすてきな考えですね」
「……話しすぎました」
「いいえ。もっと聞いていたいくらいだわ」
アルトは照れたように視線を逸らし、話を変えた。
「今日は、どうしましょう?」
クラリスはまた笑みを浮かべる。
「今日は、行きたいところがあるの」
「そうなのですか?」
アルトは意外そうに答えた。
「あら、そんなに驚くことかしら」
「いえ……失礼いたしました」
「戦災遺族の方たちの共同住宅へお願い」
「遺族の方々のところですか?」
「ええ」
クラリスは静かに頷いた。
「あなたの今のお話を、あの方々にも聞かせてあげたいの」
アルトは困ったように苦笑した。
「僕が話しても、うまく伝わるか分かりません」
「大丈夫よ。上手に話す必要はないわ」
クラリスは窓の外へ目を向けた。
「ただ、大切な人を失っても、残るものがあるのだと、誰かが思い出せればいいの」
アルトはしばらく黙っていた。
やがて、静かに答える。
「かしこまりました」
辻馬車は今日も、王都の夜を走る。
大事な人を失った人々のもとへ。
それでも、残された灯りが消えないように。