作品タイトル不明
第七話 墓地帰りの老兵
アルトの辻馬車は、墓地の門前で客の戻りを待っていた。
王都の外れにある、古い共同墓地だった。
やがて黒い喪服を着た老人——ガレス・オルドが墓地から戻ってきて、黙って馬車に乗り込んできた。
「ご自宅まででよろしいですか?」
アルトが尋ねるが、ガレスは窓の外を見たまま、しばらく黙っていた。
辺りは静かで、ガレスの耳に声が届いていないはずはなかった。
アルトは、二度同じことを聞かなかった。
やがて、ガレスが小さくため息をついた。
「……行ってくれ」
消え入るような声だった。
「かしこまりました」
アルトは手綱を軽く鳴らした。
馬車がゆっくりと動き出す。
乱立する墓石が視界を流れ、やがて見えなくなった。
誰も口を開かなかった。
馬の蹄が土を踏み、車輪がゆっくりと轍をなぞっていく音だけが響いていた。
しばらくして、ガレスが口を開いた。
「アルトさん、すまんが……少し、遠回りしてもらえんか」
「どちらへ?」
ガレスは少し考え込んでいるようだった。
「……どこでもいい。適当に走らせてくれるか」
「かしこまりました」
行き先のない客を乗せて、 探しものの馬車(ロスト・キャリッジ) は王都を走る。
ガレスは黙って窓から外を眺めていたが、ふと口を開いた。
「……家に帰るのが、どうにも気に食わん」
「ご自宅に、ですか?」
「ああ」
ガレスは短く答えた。
「年寄りがひとりで家に帰るだけのことだ。何を怖がる必要がある。そう思うのだがな」
そこで、ガレスは苦々しく笑った。
「どうにも、足が向かん」
アルトは何も言わなかった。
「妻が死んだのだ。マルガレーテという」
「奥様ですか」
「ああ。まあ、長く一緒にいただけだ。珍しい話でもない」
ガレスは窓の外を見たまま言った。
「夫婦など、長く一緒にいれば空気みたいなものだ。いるのが当たり前で、ありがたいとも思わん。いなくなって初めて、家の中の何もかもが使い物にならなくなるだけだ」
「よい奥様だったのですね」
「知らん」
ガレスはぶっきらぼうに言った。
「よい妻だったかどうかなど、他人に説明するものではない。
ただ……わしが家に帰ると、あれは必ずいた。機嫌が良くても悪くても、必ず家にはあれがいた」
アルトは黙ってガレスの話を聞いた。
「子どももできなくてな。あれは、わしにずっと後ろめたい気持ちを抱いていたみたいだった。馬鹿な話だ。そんなこと、わしにとってはどうでもよかった」
ガレスは小さく息を吐く。
「だが、そういうことも、まともに言ってやらんかった」
馬車の車輪が、石畳へ乗り上げる。
「若い頃に王都守備隊へ入ってから、わしはずっと、王都の民を守ってきたつもりだった。それが、わしの生きる意味だと思っていた」
「王都を守ってくださっていたのですね。ご立派なお仕事です」
「立派でない仕事などない。辻馬車のように、人を行きたいところへ運んでくれる仕事も立派なものだ。わしのような老人も、こうして遠出ができる」
「恐縮です」
「だがな……引退してから分かったのだ。今でも、わしが従事した仕事には誇りを持っている。だが、わしにとってもっと大事なものは別にあったのだ」
ガレスは窓の外へ目を向けた。
「あれがいなければ、不摂生なわしは、仕事もまともに続けられなかっただろう。飯を食え、酒を控えろ、風邪を引くから外套を着ろとうるさくてな」
そこで、ガレスは小さく笑った。
「まったく、口うるさい女だった」
その笑みは、すぐに消えた。
「なのに、いなくなると静かすぎる。家というのは、あんなに音のない場所だったか」
「……そうですか」
「礼を言うべきことなど、いくらでもあったはずなのにな」
ふと、ガレスが窓の外を見て眉をひそめた。
「おまえさん、まるでわしらの思い出の場所を知っているみたいだな。さっきから、あれとよく行った場所ばかり通っている気がする」
「この馬車は、 探しものの馬車(ロスト・キャリッジ) なんです」
ガレスは目を見開いた。
「 探しものの馬車(ロスト・キャリッジ) ……! この王都に実在したのか」
「はい」
「そうか……。ということは、わしはまだ、あれのことを探しているんだな」
ガレスは鼻で笑うように息を吐いた。
「笑ったらいい。いい年寄りが、死んだ女房を探しているらしい」
「いえ……。笑うなど……」
アルトは静かに言った。
「とても、大切な方だったのでしょう」
ガレスは、何も答えなかった。
辻馬車は王都を走り続け、日は落ちていく。
やがて、馬車は古い祈祷所の前で止まった。
「……ここは」
ガレスの声が、わずかに震えた。