作品タイトル不明
第二十三話 どこかに置き忘れたもの
王弟エルンストは、救護院を出て、夜の王都に消えていった。
アルトは送っていくと申し出たが、エルンストは固辞した。
「自分の足で王都を歩いて、そこにいる人々を見たいのだ」
エルンストは、夜の王都の通りを見つめながら言った。
「思えば、私はいつも馬車の中から王都を見ていた」
「……お探ししていたものは、見つかりましたか?」
アルトの問いに、エルンストは小さく笑った。
「分からん」
それは、王弟らしくないほど素直な答えだった。
「だが、それが存在しえないものではないのかもしれないとは思えるようになった」
「そうですか」
「あんな小さな子どもに、そう思わされるとはな」
エルンストは苦笑した。
「これからは、今までの贖罪に生きるつもりだ。もしヴェルナー卿やリディア嬢に会えるのであれば、謝罪したい」
アルトは何も言わず、ただ深く頭を下げた。
※
王都の夜を、辻馬車が走っていく。
馬車の小窓から、クラリスがアルトに声をかけた。
「アルトさん……エルンスト様を恨んでいる?」
アルトは、しばらく黙っていた。
車輪の音だけが、夜の石畳に響く。
「クラリス様がいなければ、恨んでいたような気がします」
「えっ?」
「僕はこの十年、ずっと孤独でした。王都の人々と、どこか距離を感じていて……普通に暮らしている人々が妬ましく思えることもありました。自分の運命を、どこかで恨んでいたのだと思います」
「……そう」
「ですから、以前の僕であれば、エルンスト様をただ恨んだかもしれません」
アルトは手綱を握り直した。
「でも、今は少し違います」
「考えが、変わったということ?」
「はい」
アルトは静かに頷いた。
「エルンスト様も、人を救うために必死にもがいていらっしゃった。クラリス様のように」
「あら……」
「もちろん、同じではありません。クラリス様と違って、エルンスト様には大きな罪があります。エルンスト様のしたことによって、ヴェルナー侯爵家も、リディアも、犠牲になりました」
アルトの声が、少しだけ沈む。
「許せるかどうかは、まだ分かりません」
「……」
「けれど、ただ恨むだけでは、きっと何も見つからないのだと思います」
クラリスは、黙ってその言葉を聞いていた。
「少なくとも、エルンスト様を恨むことよりも、これからどうするかの方が大切だと思っています」
「……そうね」
クラリスは、大きく頷いた。
「私も、アルトさんに協力するわ」
努めて明るい声だった。
「ありがとうございます」
アルトは静かに礼を言った。
「今夜はどちらに行かれますか?」
「今夜はまっすぐ帰ろうかしら。辺境から戻ってきて、エルンスト様のこともあって……何だか疲れてしまったわ」
「かしこまりました」
アルトは手綱を鳴らそうとした。
その前に、クラリスが小さく口を開く。
「アルトさん」
「はい」
「明日も、会えるかしら」
アルトは、すぐには答えなかった。
けれど、やがて静かに言った。
「申し訳ございません」
「すでにご予約が?」
「いえ」
アルトは前を向いたまま答えた。
「明日は、父に会おうと思います」
クラリスは息を呑んだ。
ヴェルナー侯爵家。
失脚したアルトの家。
「……そう」
クラリスは、静かに答えた。
「では、明後日」
「はい」
アルトは小さく微笑んだ。
「明後日、お迎えに上がります」
辻馬車が、夜の王都を駆けていく。
どこかに置き忘れたものを、探すように。