作品タイトル不明
本編 ~『崩壊の予感』~
婚約解消から十日ほど経った頃、社交界の噂は少しずつ形を変え始めた。
最初は、可憐な妹と公爵家嫡男の恋を祝福する声が多かった。
病弱な妹を想うセドリックと、姉の婚約者だと知りながら想いを止められなかったノエル。事情だけを切り取れば、悲恋の末に結ばれた二人に見えなくもない。母も父もそれを望んでいたし、ノエル自身も涙を交えて語るのが上手だった。
けれど、恋物語は日々の振る舞いまでは飾ってくれない。
「セドリック様が、昨日ノエル様をお連れした店をご存じですか?」
朝、マリナが茶器を整えながら、ためらいがちに口を開いた。
ヴィオラは目を通していた資料から顔を上げる。
「どちらでしたか?」
「南通りの、香辛料理で有名な店でございます」
店そのものは悪くない。むしろ王都でも評判は高い。だが、香辛料の香りが強く、体の弱い令嬢を連れて行くには向かない。少なくとも、ノエルはあの手の料理を好まないだろう。
「ノエルは、香りの強い料理が苦手でしたね」
「はい。途中で気分が悪くなり、ほとんど召し上がれなかったそうです」
「そうですか」
ヴィオラは資料へ視線を戻した。
以前なら、セドリックが店を選ぶ前に助言していた。ノエルの体調や好みを踏まえ、明るく、席の間隔が広く、料理の香りが重すぎない店を候補に挙げただろう。
だが、もうそれはヴィオラの役目ではない。
「それから、贈り物も……」
「何を贈ったのですか?」
「赤い宝石の耳飾りだとか」
「赤ですか……」
「ええ。かなり大ぶりの」
ノエルは、はっきりした赤を身につけると顔色が負ける。似合うのは淡い桃色や、柔らかな真珠だ。宝石も大ぶりなものより、小ぶりで可憐に見えるものを好む。
おそらくセドリックは、宝石商に勧められるまま高価な品を選んだのだろう。
高価であれば喜ばれる。
そう考える男性は、前世の結婚相談所にも少なくなかった。
「ノエルは喜んでいましたか?」
「その場では、大変お喜びになったそうです。ただ、夜会では身につけていらっしゃいませんでした」
「そうでしょうね」
ヴィオラは短く答え、再び資料へ目を落とした。
同情はしなかった。
セドリックなら一人でできる。ノエルはそう言った。ならば今は、二人でその言葉の意味を確かめる時間なのだ。
ヴィオラが手を貸す理由は、もうどこにもなかった。