軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第29話 生きて越える夜

雪が降る夜には、暖炉の火があっても指先が白塔の冷たさを覚えていた。

冬至の前日、白樺薬草分室は予定より早く閉めた。研修に来ていた薬師たちは、雪が深くなる前に施療所へ戻らなければならない。私は講義卓の明礬紙を乾燥箱へ戻し、受領帳の最後の頁に鍵を掛ける時刻を記した。

普段と同じ仕事だった。午後に降り始めた雪が窓を白く塗るまでは。

紙を留める指が震えた。

前の人生でも、白塔の窓の外では雪が降っていた。私が療養薬を差し出された時、暖炉はなく、部屋の明かりは薬盆を運んできた侍女が持つ灯りだけだった。飲まなければならないと思ったのか、逃げられないと諦めたのか。最期の自分の気持ちは、もう判別できない。

ただ、杯の底に紫の澱があったことと、扉の外の声だけが残っている。

「分室長、鍵はこちらでお預かりしましょうか」

リュシーが、私の手元へ気づいて声を掛けた。私は反射的に首を横に振り、すぐに言い直す。

「いいえ……今日はお願いしてもいいかしら。施錠を見届けたら、受領簿にあなたの名も記して」

「承知しました」

彼女は理由を尋ねなかった。いつものように鍵を受け取り、乾燥箱と記録棚を順に確認する。分室長になったからといって、全てを自分の手で閉じなければならないわけではない。そのことを私はまだ練習している。

セルヴァン院長は、帰宅前に私の肩へ厚い外套を掛けた。

「今日は帳面を持ち帰ってはいけません。必要な記録はここにあり、冬至を越えても逃げません」

「はい」

いつもなら何か言い返すのに、今日はそのまま頷いた。

外へ出ると、雪は足首へ届くほど積もっていた。小邸は分室のすぐ隣なのに、門から玄関までの道が長く見える。ミナが灯りを持って迎え、私の靴から雪を払いながら、顔を上げずに言った。

「暖炉に薪を足しました。夕食は温かなスープにいたします。飲み物は私が淹れますが、お召し上がりになるかはお嬢様がお決めください」

彼女は、私が話したあの夜を覚えている。

「ありがとう」

玄関をくぐると、暖炉の熱が頬へ当たった。明るい居間、乾いた薪の匂い、壁に掛けた母の薬草図。白塔と違うものを数えれば、落ち着けると思っていた。

けれど、夕闇が深くなるほど、身体は過去の時刻を知っているかのように強張った。スープは少しだけ口にできたが、茶には手を伸ばせない。カップに毒がないことを確かめても、喉が飲むことを拒む。

ミナは片付けを急がず、編みかけの布を手に同じ部屋へ座っていた。

「アシュフォード伯爵に、ご連絡を差し上げますか」

私は暖炉の火を見た。彼は待つと言った。私が選べる朝まで。だからこそ、怖い夜だけ彼を呼ぶのは、自分に都合がよすぎるように思えた。

それは、また誰かへ遠慮して一人になる考え方なのだと、気づくまで時間がかかった。

「来ていただけるか、尋ねて。お願いがあるの」

ミナはすぐ立ち上がり、使者へ短い書状を託した。

ノエルが来たのは、雪がさらに深くなった頃だった。外套の肩へ白い粉を載せたまま玄関で雪を払い、居間へ通されても、すぐ私のそばへ近づくことはしなかった。

「お呼びくださってありがとうございます。どのように過ごすのがよいでしょうか」

私は椅子の肘掛けを握っていた手を開いた。

「同じ部屋にいていただくのは、まだ落ち着かないかもしれません。でも、一人になると、あの塔へ戻る気がします。隣の書斎で、灯りを消さずにいていただけますか」

願いは奇妙に聞こえただろう。婚約の返事を待つ男性へ、壁一枚隔てて一晩起きていてほしいと頼むなど、上品な令嬢の振る舞いとは言い難い。

ノエルは理由を飾らずに頷いた。

「分かりました。書斎で報告書を読みます。扉は閉めず、あなたが望むところまで開けておきます。ミナ殿にも同席いただきます」

「ありがとうございます」

「感謝は朝を迎えてからにしましょう。私も、眠くなれば茶を頼むかもしれません」

わずかな冗談に、呼吸がひとつ緩んだ。

書斎と居間の間の扉は、指二本分だけ開けられた。ノエルの灯りが床へ細い帯を作り、その光の中で、時折頁をめくる音がする。ミナは居間の長椅子で針仕事を続け、眠くなると糸を取り落としては慌てて拾った。

夜半、外で風が強くなり、窓を雪が打った。

私は急に息が吸えなくなった。寝台に入ることもできず、居間の椅子から立ち上がり、手が卓の水杯に当たる。水が少しこぼれ、木の上へ広がった。

「お嬢様」

ミナが布を取ろうとしたが、私は首を振った。

「大丈夫ではないわ」

初めて、その言葉を口にできた。

「怖い。まだ、死ぬような気がするの」

書斎から物音が止まった。ノエルは扉の向こうから声を掛ける。

「ここにいます。扉を広く開けますか」

私は床へ落ちた細い光を見た。抱き締めてほしいわけではない。誰かの手に全部を預けたいわけでもない。ただ、私が頼んだとおりに、ここへ残ってくれる人の声が必要だった。

「そのままで。声だけ、聞かせてください」

「分かりました。雪はまだ降っていますが、庭の灯りは消えていません。分室の看板にも雪が積もり始めています。朝になれば、払わなければなりませんね」

あまりに日常的な話で、涙がこぼれた。

「看板は、私が払います。分室長ですから」

「では、私は箒を運びます」

「それくらい、自分で運べます」

声がかすかに笑いへ変わった。ミナが布で水を拭き、何も言わず新しい杯を遠くない場所へ置く。

夜はすぐには終わらなかった。火を足す音、書斎の頁の音、ミナが湯を沸かす音を聞きながら、私は何度も目を閉じては開いた。苦しい時間を一度越えれば全て消えるわけではない。けれど今回は、薬杯も鍵の掛かった扉もなかった。

やがて、窓の暗さが薄くなる。

扉の下から延びていた灯りは、白い朝の光に混じり、境目が分からなくなった。

私は立ち上がり、窓を自分で開けた。冷たい空気が頬を刺す。白塔の冷たさとは違う。庭へ積もった雪の匂いであり、暖炉の煙と朝の空気が混じった、生きている家の冷たさだった。

ミナが泣きながら笑った。

「お嬢様、おはようございます」

「おはよう、ミナ」

書斎の扉が開き、ノエルが立っている。彼は眠そうな顔を隠しきれず、それでも私を見る目は静かだった。

「おはようございます、オフィーリア嬢」

私は外套を取り、庭へ出た。雪は膝下まで積もり、最初の一歩で靴へ入り込む。冷たさに思わず声が出ると、ノエルが後ろで笑いをこらえた。

「箒より先に、長靴を用意すべきでした」

「今さら言わないでください」

雪に足跡を付け、看板の前へ進む。私は手袋で板の上の雪を払い、分室長としての名を露わにした。

死んだ夜は、もう過ぎた。

私は振り返り、ノエルを探す。彼は約束通り少し離れて立ち、私が口を開くのを待っていた。

「ノエル様」

初めて、役職ではなく彼の名を呼んだ。

「春に、月白草の種を蒔きます。その日に、私の返事を聞いていただけますか。もう恐れて先延ばしにするのではありません。私が選んだ仕事の最初の季節に、選んだ未来を告げたいのです」

彼は雪の中で深く礼をした。

「喜んで待ちます」

ミナが玄関の方から、二人分の厚い外套を持ってきた。

「お話は春へ持ち越しでも、朝食は今日召し上がっていただきます。温かなパンが冷めますので」

私は笑いながら頷いた。生きて迎えた朝には、返事より先に朝食と、雪を払う仕事が待っている。それが嬉しかった。

分室の戸を開ければ、昨夜閉じたままの帳面と乾燥箱が待っている。死を越えたからといって仕事が祝祭に変わるわけではない。続きがあることが、私には何よりの贈り物だった。

冬の朝に残ったのは、私の足跡と、春まで続く約束だった。