作品タイトル不明
0549 成功のお祝い
『龍泉邸』には、敷地内に広大な訓練場がある。
四百メートルトラック二個分、といえば分かるだろうか。
そこは宿泊者専用であり、自由に利用する事ができる。
宿泊料金が高いため、この宿に泊まるのは、大商人や地方領主がほとんどだ。
彼ら自身は訓練場を使うことは 稀(まれ) だが、彼らを守る人たちは、日々の訓練を欠かさない……。
それは、プロ意識といってもいいだろう。
ここ数日、『龍泉邸』には、数人の大商人と、数人の地方領主が、供の者たちを連れて宿泊している。
それは当然、第六皇子リュンの正妃となる、シオ・フェン公主の 輿(こし) 入(い) れ、並びにその後の婚礼関連のために滞在しているのだ。
婚礼関連が行われる皇宮とその周辺まで、徒歩で十分ほどの距離にある。
それは、決して近い距離というわけではない。
近さだけなら、他にも宿はいくつもある。
だが、徒歩十分というのは、ある意味ちょうどいい距離でもある。
近すぎれば、いろいろと探られやすくなり、いろいろと動きにくくなる。
また、この『龍泉邸』に泊まる者たちは、多くの手勢を引き連れている。
彼らの息抜きにも、訓練場、大浴場、その他諸々の施設は、非常に都合がいいのだ。
そんな、手勢同士、数日同じ宿にいれば、だいたい顔を知るようになる。
そんな彼らは気付いていた。
昨日から、新しい客が増えたことに。
一組は十人の武の者たち。
これは、元々泊まっている、ある地方領主の新たな家臣たちらしい。
だがもう一組……二人組。
黒マントの異国の男と、ローブの男。この二人はいったい……。
朝から、訓練場の隅で一人の剣士が練習をしている。
剣士だが、剣を振っているのではない。
「むんっ」
気合を込めた声を出すと、体が浮き上がる。
そして、そのまま前方に……。
ザザーッ。
「くぅ……」
転ぶアベル。
「惜しかったです。というか、浮いていたし、飛んでもいましたよ」
涼が応援している。
「だよな? 良い感じだよな?」
転んでばかりだが、アベルの顔は楽しそうだ。
夢にまで見た、空を飛ぶという行為。
それが、現実となりつつあるのだから、当然と言えば当然か。
もちろん、今日は朝からやっているが……昨日昼過ぎに宿に入ってから、断続的にやっているのだ。
「それにしても、これだけ練習してもアベルが魔力切れを起こさないというのは驚きですね。この飛翔環の機構が凄いのか、アベルが実は魔力をいっぱい持っているのか……」
「この前、リョウは、魔力とはジューリョクがなんとか言ってなかったか?」
「ええ、まあ、そうなんですけど……。でも、余剰次元にある重力を呼び込むための、呼び水的な感じの魔力は、体内にあるやつを使っていると思うんですよね。だから、誰でも無理をすれば魔力切れは起こすのかなと」
「ふ~ん、よく分からんな」
アベルはそう言うと、再び、飛翔の練習に向かう。
(よく分からない事を考えるよりも、体を動かす方を選ぶ…… 脳筋(のうきん) の特徴である)
「リョウ、今、何か失礼な事を考えなかったか?」
「な、何も考えていませんよ! ほら、練習に集中してください」
こんな時でも鋭いアベルの追及に、焦る涼。
もちろん、アベルはあまり気にすることなく、再び飛翔環での飛翔の練習に向かう。
人は、好きな事、楽しい事は続けられる。
周りから見て、どれほど結果が出ていないとか、上手くいっていないと言われても関係ない。
関係なく続ける。
なぜなら、好きだから、楽しいから。
続ければ上達する。
そう、続ければ上達するのだ。
これは、絶対だ。
一見、上達していないように見えても、上達している。
大丈夫。
安心して、続けるといい。
ある日、突然、結果が出るから。
なぜかは知らないが、人はそういう構造になっているのだ。
これは仕方ない。
変えようがない。
だから、続ければいい。
必ず上達するから。
「上達しない」「結果が出ない」という人は、あるタイミングで、上達した結果が欲しいと思っている……そのタイミングで望んだ結果が出なかったから、そう言うだけだ。
試合で。
試験で。
試練で。
そう、欲しいタイミングには間に合わないかもしれない。
だが、それは、決して、『上達していないわけじゃない』
上達の速度が足りなかっただけだ。
間違ってはいけない。
絶対に、人は、続ければ上達する。
そうできているのだ。
涼の目の前に、結果を掴もうとしている剣士がいる。
その日の夕方。
ついにアベルは、飛翔に成功した。
「おめでとう、アベル!」
「おう、ありがとうな」
涼が拍手をし、アベルは満面の笑みを浮かべている。
地面からの高さは、十センチ程度。
だが、地面に落ちることなく、一定の速度で五十メートルを飛びきった。
教則本によると、これが安定してできるようになると、方向転換、急停止、あるいは高い高度での飛翔も可能になってくるらしい。
つまりアベルは、自由自在の飛翔への第一歩を、ついに踏み出した!
「今日はお祝いですね!」
「おう、食堂で好きなものを食べてくれ。今夜は俺の 奢(おご) りだ!」
「うん、アベル。全て宿泊費の中に入っているので、アベルの奢りにならない事は知っています」
「よく分かったな」
「ボケは僕の役目なのに……祝いの日に、アベルに役割をとられました」
とりあえず、二人はお風呂に入ってさっぱりして、食堂に向かった。
午後六時ということで、まだそれほど人は多くない。
食堂と言ってはいるが、街の食堂ではなく、高級ホテルのメインダイニングの方が、イメージに近いだろう。
大商人や領主たちの護衛の者たちも利用するのだが、さすがにきちんと作法を身に付けているのか、深酒をしたり、騒ぎだしたりする者はいない。
「なんとなくですが、ちゃんとした護衛の人たちばかりですよね」
「なんだ、ちゃんとした護衛って」
「つまり、冒険者のような 無頼漢(ぶらいかん) はいない、ということです」
涼の、 独断(どくだん) と 偏見(へんけん) が 炸裂(さくれつ) する。
「……俺たち、冒険者だよな?」
「気をつけないと、場違いになっちゃいますね」
アベルも涼も、確かに冒険者ではあるのだが、実は国王陛下と公爵閣下でもある。
そのため、必要な場合には、ちゃんとお上品に振る舞うこともできるのだ。
教養、万歳!
二人は『龍泉邸』の食堂に入った。
昨晩同様に、案内の男性が二人を席に導こうとするのだが……。
「え?」
思わず、涼の口から言葉が漏れた。
「どうした?」
アベルが問う。
そして、涼の視線を追った。
何やら、食堂の奥の方にある、三本足の歪な黒いテーブルを見ている。
とはいえ、テーブルにしては少しだけ、床からの高さが高い。
「まさか……グランドピアノ?」
涼の呟きは、辛うじてアベルには聞こえた。
とはいえ、知らない言葉だ。
「あ、あの、すいません」
涼が、案内してくれている男性に呼び掛ける。
「あれの、近くの席とかがいいのですが……」
涼が指さしたのは、黒い歪なテーブル。
先ほど、グランドピアノと呟いたものだ。
「かしこまりました」
案内の男性はそう言うと、そのテーブルのすぐ近くの席に二人を案内した。
「リョウ?」
「アベル、昨日の夜、ここでご飯を食べた時に、あれ、ありましたっけ?」
「いや、見なかったな。カーテンの奥に引っ込んでいたんだろう」
「今日、出てきているということは……今夜は使われるということですよね」
涼は、何やら興奮しているようだ。
「リョウは、これが何か知っているのか? さっき、ぐらん何とかって言ったのは聞こえたんだが」
「ええ。多分、グランドピアノです。外見は、完璧にそうなんですが…… 蓋(ふた) が閉じた状態なので、確信は持てません」
「グランドピアノ? それは何だ?」
「楽器です」
「ほぉ……」
涼の、楽器という答えを聞いて、アベルは、その歪なテーブルをしっかり見る。
楽器というものは、どのような形状の物であれ、共通する一つの役割がある。
それは、音を出すということだ。
だが、アベルには、どう見ても音が出るようには見えない。
いや、唯一可能性があるとしたら……。
「手で叩けば音が出るな」
「……アベルが考えている場所は、蓋です。手で叩く場所ではありません」
なぜか、アベルがぼけて涼がつっこんだ形になっている。
ボケ担当を自任している涼としては不満なのだが、仕方ない。
「ああ、まずは晩御飯を頼みましょう。せっかくの、アベルの祝いの席です。ピアノは逃げませんから」
「おう、そうするか」
ピアノが気にはなっても、お腹も空いている。
アベルの飛翔成功のお祝いもやりたい。
ならば、まずは楽しく食すべし!
二人が、いつもよりもゆったりと食べ進めている間に、食堂の客も増えてきた。
そして、ついに……。
「お?」
アベルが何かに気付き、思わず声が漏れる。
それで、涼も気付いた。
一人、着飾った女性が出てきた。
グランドピアノの蓋を開ける。
綺麗に磨かれた蓋の内側に反射して、いくつもの弦が張られているのが見える。
「ああ、やっぱり、僕の知っているグランドピアノです」
涼が、嬉しそうに言う。
「ほぉ。楽器なのか。だが、でかいな。絶対、持ち運びできないだろ?」
「もちろんです。重さは、何百キロもありますからね。中央諸国には、ピアノは無いですよね?」
「あんな楽器は聞いたことないな」
涼の問いに、アベルは頷いた。
アベルは、ヴァイオリンが弾ける。
弾けるというより、涼の基準からすれば名手と呼んでもいいほどのレベルだ。
小さい頃から、ナイトレイ王家の人間は、ヴァイオリンを弾けるように練習させられるらしいから、今でも弾けるそうだが……。
そんな、音楽にも 造詣(ぞうけい) の深いアベルが知らないというのだから、中央諸国にはピアノは無いのだろう。
そもそも、なぜ『ファイ』にあるのかが、大いなる疑問ではあるのだが……。
そのうちに、女性が曲を弾き始めた。
食事中のBGMだ。
会話を損なうことなく、それでいて食欲をそそり、気持ちのいい空間を形成する。
決してその場の主役となる演奏ではなく、出しゃばらず、だが人を気持ちよくする。
そういう意味では、とても優れた演奏であった。
もちろん、涼の知らない曲。
おそらくは、この『ファイ』で作られたものだろう。
ピアノという楽器は、誰かが……恐らくは転生者がこの『ファイ』で再現したのだろうが、曲は『ファイ』のオリジナル。
地球の文化と『ファイ』の文化の融合。
それは、なかなかに素敵な経験だ。
「いいな」
アベルの呟きに、涼も頷いた。
いい音楽は、誰が聞いてもいいものなのだ。
二人は、心地よい音楽に身を委ねるのであった……。