作品タイトル不明
第122話「香ばしい匂いの黒い水」
調理場に入ると夕食の仕込みをしていたヒューゴが麻袋を抱えたエリスと僕に気づいて顔を上げた。
「おや、メル坊ちゃま。今度は何を始められるんです?」
「ヨナスさんが珍しい豆を持ってきてさ。気になったから試してみたくなったんだ」
麻袋から緑色の豆を取り出して見せた。
ヒューゴは興味深そうに覗き込み、髭を撫でる。
「見たことのない豆ですな」
「南のほうの島で採れる豆なんだって」
「それをどうするおつもりで?」
「黒くなるまで炒って砕いてお湯で煮出すと飲み物になるらしいよ」
「ほう……飲み物にですか」
「うん。とにかく一回作ってみる。」
フライパンに手を伸ばそうとするとエリスがすっと前に出た。
「火のそばは危ないので、私がやります。メルヴィン様は離れていてください。」
「え、でもこれ、ずっと振り続けないといけないよ?」
「メルヴィン様の手を煩わせるわけにはいきません。それに火加減を見ながら手を動かす作業は私のほうが向いております」
「わかった。じゃあお願い。焦がしたくないからこんな感じでずっと揺すって」
「かしこまりました」
エリスは鉄のフライパンに生豆を広げ、カマドの火にかけて一定のリズムで揺すり始めた。
ザッ、ザッと一定の音が続く。
『ナビ、焼き加減の指示を頼むよ』
《了解。豆の水分が抜けパチパチという爆ぜる音がし始めたら、そこからさらに色がつくまで加熱を続けてください》
最初は草のような青臭い匂いが漂っていた。
ヒューゴが鍋の中を覗き込み、顎をさする。
「まだ青いですな。本当に真っ黒になるまで炒り続けてよろしいのですか?」
「うん。じっくり水分を飛ばすのが大事なんだ」
単調な作業だけど、エリスは真剣な顔で手を動かし続けている。
ヒューゴが「本当にこれが美味しくなるんですかな?」と不思議そうな顔をしている。
でもしばらくするとパチッ、パチッと豆が弾け始めた。
それと同時にさっきまで青臭かった匂いが消えて、代わりに香ばしい匂いがふわっと立ち上ってくる。
「いい匂いですな……麦を焦がした時とも違う、なんとも言えない良い香りですな」
パチパチという音が連続して響き、香りがどんどん強くなっていく。
『ナビ、これそろそろかな?』
《はい。ここで火から外すと、香りと苦味のバランスが良好です》
「よし、ストップ!そのくらいでいいよ。火から下ろして広げて冷ましておいて」
「承知しました」
エリスがフライパンを台に置き、平らな皿に豆を広げる。
「さて、次はこれを粉にしなきゃいけないんだけど」
「石臼ならありますが、使いますかい?」
『ねえナビ、石臼を使ったほうがいい?』
《いえ、手作業では時間がかかりますし、粒も揃いにくいです。風魔法を使って一気に粉砕することを推奨します》
『オッケー、じゃあ魔法でやるよ』
僕はヒューゴに向き直って、首を横に振った。
「ううん、魔法でやるから大丈夫だよ」
「魔法で?」
ヒューゴたちが不思議そうに見ている中、僕は冷めた豆をボウルに入れて右手をかざした。
『で、どういうイメージでやればいいの?』
《風魔法のウィンドカッターを応用します。ボウルの中で小さな竜巻を起こし、風の刃で切り刻むイメージです。細かい制御はこちらで行います》
『わかった。じゃあ、いくよ』
ナビに言われた通り、ボウルの中で小さな渦が回るイメージで、魔力を流し込む。。
ヒュルルルッ!
ボウルの中で小さなつむじ風が起こり、あっという間に豆が砕けていく。
飛び散らないように風の壁で蓋をしつつ均一な粉になるようにコントロールする。
「ほう……。これは見事ですな。豆をこれほど綺麗に粉砕されるとは」
《終了です。魔法を解いてください》
「よし、これくらいかな」
魔法を解くと、ボウルの中には細かい焦げ茶色の粉ができあがっていた。
さっきより強い香りがふわっと広がる。
「まあ……。いい香りですね」
「うむ、なんとも深みのある香りですな。鼻がすっとしますぞ」
ボウルの粉に鼻を近づけ、僕はワクワクしながらナビに呼びかけた。
『ナビ、このあとはどうすればいい?』
《次は抽出です。この場にある道具だけで行う方法としては、粉を布で包んで縛り煮出す方法を推奨します。》
『よし、じゃあそれでいこう!』
「エリス、鍋でお湯を沸かしてくれる?」
「はい。すぐにご用意いたします」
「ヒューゴ、煮出すのに使える布ってある? 粉が漏れないやつ」
「ございますとも。スープ用の漉し布がちょうどいいでしょう。紐もすぐに用意しますぞ」
ヒューゴは棚から清潔な白い布を取り出し、紐と一緒に渡してくれた。
差し出された布に粉をのせ、端をまとめてひもで結ぶ。
「エリス、お湯は沸いてる?」
「はい。もう沸いています」
「ありがとう。ヒューゴ、鍋を火から外してくれる?」
「承知いたしました」
ヒューゴが鍋をカマドから外し台の上に置く。
「よし……じゃあ、入れるよ」
湯気の上がる鍋にに布包みをそっと沈めた。
入れた途端、鍋から香ばしい匂いが広がった。
「おおっ……!こいつはすごい」
ヒューゴが鼻をひくつかせて、思わず声を漏らした。
「お湯につけた瞬間、湯気まで香ばしい匂いになりましたな」
「ほら、見て。色が変わってきた」
箸で軽く袋を揺らすたびに鍋の中が濃い色に染まっていく。
「なんと……。真っ黒ですな。透明だったお湯がここまで変わるとは。」
「よし、これくらいかな。これで豆の飲み物の完成だ!」