作品タイトル不明
第120話「兄のお悩み」
僕は談話室の真ん中に置かれたコタツに、肩までどっぷり浸かっていた。
一度入れば二度と出られない魔の家具だ。
窓の外では、木枯らしがビュービューと音を立てているけれど、この中なら無敵だ。
「……メル」
ふいに背後から声をかけられて、僕はのんびりと振り返った。
そこには、少し厚手のコートを羽織ったレオ兄が立っていた。
「レオ兄? どうしたの、その格好」
「ああ、これから村の見回りに行くんだ。冬支度の進み具合を確認しておきたくてな」
「へぇ、大変だね。いってらっしゃい。僕はコタツの見張りしてるね」
いつもの調子で軽口を返しながら、他人事みたいにひらひらと手を振った。
けれど、レオ兄はその場を動こうとしない。
ちらりと見ると、なんだか少し言いにくそうな顔をしている。
「……あのな、メル。もしよかったらなんだが……一緒にどうだ?」
「えー。外、寒いじゃん。コタツから出たくないよ」
思わずいつものノリで即答してしまった。
「そうか……。そうだよな。すまない、忘れてくれ」
レオ兄は寂しそうに眉を下げて、踵を返そうとした。
いつもの頼れる背中が、今日はなんだか小さく見える。
(……はぁ。しょうがないなあ)
あんな顔見せられたら、さすがに「嫌だ」とは言えない。
「……分かったよ。行くよ」
「本当か!?」
レオ兄がパッと顔を輝かせて振り返る。
「うん。ちょっと散歩したい気分だったしね」
僕はわざとらしい言い訳を口にして、コタツから重い体を起こした。
◇
屋敷を出ると、ひんやりとした空気が頬を刺した。
晩秋というより、もう冬みたいだ。
吐く息がうっすらと白い。
僕たちは並んで、村への道をのんびりと歩いた。
「今年の冬は冷え込みそうだ。父上が、雪が早まるかもしれないと言っていてな」
「へぇ。だから急に見回り?」
「ああ。万が一、街道が雪で閉ざされたら、物資の搬入が難しくなる。今のうちに村の備蓄状況を把握しておかないと、取り返しのつかないことになるからな」
レオ兄の横顔は真剣そのものだ。
ちょっと時間が空けば、こうして領民のことを考えているらしい。
「ふうん。次期領主様も大変だね」
僕なら「どうにかなるでしょ」で済ませて、コタツで丸くなっているところだ。
やっぱり、僕は領主向きじゃない。
そんな話をしているうちに、村の入り口が見えてきた。
村の中では、村人たちが忙しそうに冬支度を進めていた。
家の軒先には大根みたいな根菜が干され、あちこちから薪割りの音が聞こえてくる。
『ねえナビ。あれ、何してるの?』
《冬に向けた保存食作りです。寒風に晒して乾燥させることで、保存性が高まり、旨味成分が凝縮されます》
ナビの解説を聞きながら、「へぇ」と景色を眺めた。
こういう生活の知恵を見るのは、嫌いじゃない。
広場の横を通りかかると、子供たちの歓声が聞こえてきた。
公園にはたくさんの子供たちが集まり、元気に走り回っている。
寒さなんて関係ないって顔だ。
「盛況だな」
「そうだね。みんなが楽しそうでよかったよ」
満足げに遊ぶ子供たちの姿を横目で見届け、そのまま兄の歩調に合わせて歩き続けた。
◇
それからもしばらく、僕たちは村の中をあちこち歩き回り、レオ兄は村の倉庫や数軒の家を訪ねて、次々と話を聞いていった。
「薪の備蓄はどうだ? 足りそうか?」
「ああ、若様。おかげさまで今年は十分ですじゃ」
「根菜の保管場所は湿気に気をつけてくれ。腐らせては大変だ」
レオ兄は真剣な顔で、村人たちの相談に乗っている。
その少し後ろをのんびりついて歩いた。
ある倉庫の前で、村人が野菜の積み方に悩んでいた。
「どうも風通しが悪くて、奥の方が傷んじまうんです」
レオ兄が腕を組んで悩んでいる。
『ねえナビ、何かいい方法ある?』
《形状の異なる野菜を交互に積むことで隙間を作り、通気性を確保する方法を推奨します》
なるほど。たしかに、それなら奥まで風が通りそうだ。
僕はレオ兄の袖をちょいっと引っ張った。
「ねえレオ兄。こうやって交互に積んだら、風が通りやすくなるんじゃない?」
「……! なるほど、確かにそうだな」
レオ兄はすぐにそのアイデアを村人に伝えた。
村人は「おお、これなら!」と喜んで作業に戻っていく。
「助かったよ、メル。お前はよく気がつくな」
「たまたまだよ」
僕は肩をすくめた。
兄の役に立てたなら、まあ、悪くない気分だ。
◇
一通りの確認を終え、僕たちは次の場所へと移動した。
村外れの静かな道。
「ふう……今日はけっこう歩いたね」
僕がそんなことを言ったところで、レオ兄がふと、独り言のように口を開いた。
「……メル。お前は将来、どうしたいんだ?」
「え?いきなり何?」
「いや、フェリクス殿下にも誘われていただろう? その気になれば、王宮魔術師にだってなれる器だと思ってな」
僕は首を横に振った。
「まさか。王宮なんて面倒くさそうだし、絶対に行きたくないよ。僕は将来、何もしないで、この村で一生のんびり暮らしたいなぁ」
「はは、お前らしいな」
レオ兄は少し笑って、それから遠くを見るような目をした。
「……俺は、領主以外の道を考えたこともなかった」
「レオ兄はずっと頑張ってるもんね」
「だがな……。最近、ときどき思うんだ。俺は領主に向いていないんじゃないかって」
その言葉に、驚いて兄を見上げた。
「えー、絶対そんなことないよ。この村のこと、こんなに考えてるのに。兄さん以外には無理だよ」
本心からの言葉だった。
真面目で、責任感があって、優しい兄だ。これ以上の適任者はいない。
「ありがとう。……だがな、どうも俺は計算や数字の管理が苦手でな。予算の組み立ても、いつも時間がかかってしまう」
レオ兄は困ったように頭をかいた。
「父様の方が、そういうの苦手そうに見えるけど?」
あの大雑把で豪快な父様が、緻密な計算をしている姿なんて想像できない。
「いや、ああ見えて父上は計算が得意なのだよ。帳簿を見る目も鋭いし、暗算も速い」
「へえ、意外!」
それは知らなかった。父様、意外とインテリだったのか。
「俺は父上のようにはなれないかもしれん……」
弱気になっている兄の背中を、ポンと叩いた。
「大丈夫だよ。兄さんはちゃんとしてるし、苦手なことがあってもいいじゃない。誰かに手伝ってもらえばいいんだよ」
「……誰かに、か」
「そうそう。全部一人でやる必要なんてないんだから」
その言葉に、レオ兄は少しだけ表情を緩めた。
『ねえナビ。計算が苦手な人に、何かいい方法ってない?』
《以前、お祭りで作成した簡易計算板の完全版――そろばんの導入を推奨します。桁数を増やし構造を最適化すれば領主業務の複雑な計算にも対応可能です》
(……あ、そっか!そろばんか!)
子供用に簡略化したやつじゃなくて、ちゃんとしたやつなら桁数も多いし使い勝手もいい。
あれなら、兄さんの悩みも解決できるかもしれない。
「ねえ、レオ兄。ちょっと思いついたんだけどさ」
「ん? なんだ?」
「収穫祭の時、子供たちが使ってた計算板って覚えてる?」
「計算板……? ああ、そういえばリリィたちが何か木の板を使って計算していたな。あれはお前が作ったのか?」
「うん。あれのもっと凄いやつを作れば、兄さんの計算も楽になるかもしれないよ」
「本当か!? あれが役に立つのか?」
レオ兄が興味深そうに身を乗り出した。
「たぶんね。……ちょっと考えてみるよ」
僕は含みを持たせて笑った。
兄さんが楽になれば、僕が手伝わされる可能性も減る。
帰ったらさっそく、ナビに設計図を出してもらおう。
◇
帰り道。
空が茜色に染まり始めていた。
家々の煙突から夕食の準備をする煙が立ち上り、いい匂いが漂ってくる。
「……今日は、来てくれてありがとうな」
兄がぽつりと呟いた。
「え、そんな大げさなもんじゃないでしょ」
そう返すと、レオ兄は少し苦笑して続けた。
「最近、少し仕事で根を詰めすぎていたみたいでな。気持ちに余裕がなくて……でも、お前が隣にいてくれると、不思議と落ち着くんだ」
兄の大きな手が、僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。
くすぐったいけど、なんだか温かい。
「……また、気が向いたら一緒に行くよ」
そっぽを向いて言うと、兄は嬉しそうに笑った。
「ああ。ぜひ頼むよ」
冷たい風が吹いたけれど、隣の温もりのおかげで、ちっとも寒くはなかった。
僕たちは並んで、温かいシチューが待っている屋敷へと歩いていった。