作品タイトル不明
第119話「甘いひと休み」
カーテンの隙間から朝日が差し込んでくる。
まぶしくて、僕は布団をかぶり直した。
(今日は絶対に動かない……)
昨日は一日中公園で遊び方を教えたり、安全確認で駆け回ったりしていた。
おかげでまだ体に疲れが残っているし、今日はもう一歩も布団から出たくない気分だ。
『ナビ、昨日の疲れ、まだ残ってるか確認して』
《バイタルデータ確認。疲労の蓄積を検知しました。本日は活動レベルを落とし、休息を最優先すべきと判断します》
よし、お墨付きももらったことだし、今日は徹底的にダラダラしよう。
布団を頭までかぶって、気持ちよく二度寝モードに入った。
◇
遅めの朝食を食べ終わるころには、屋敷の中はすっかり静かになっていた。
イリ姉は、とっくに朝食を終えて「今日も一番乗りよ!ルカたちに負けてられないわ!」と公園へ飛び出していったらしい。
あの底なしの体力には呆れるばかりだ。
レオ兄も見回りついでに公園を見に行き、父様は執務室、母様もどこかへ出かけてしまった。
つまり、今の屋敷は僕だけの天国だ。
みんなが出かけたのを見届けてから、僕は談話室へと移動した。
扉をそっと開けると、暖炉の薪だけがパチパチと心地よい音を立てていた。
「……最高だ」
暖炉の真正面にある一番ふかふかのソファに身を投げ出した。
ずぶり、と体がクッションに沈み込む。
窓の外では冷たい風が木を揺らしているけど、ここだけはぽかぽか天国だ。
(静かだなぁ……)
聞こえるのは薪が燃える音と、たまに窓ガラスがガタつく風の音だけ。
クッションを抱きしめ、天井をぼんやりと眺めた。
何もしなくていい時間。こういうのが一番の贅沢だ。
そのままうとうとし始めた時、廊下を誰かが通る気配がした。
静かで控えめなエリスの足音だ。
「……あ、エリス」
僕が声をかけると、扉がそっと開いてエリスが顔を出した。
「あら、メルヴィン様。ここでお休みでしたか」
エリスは洗濯物の入った大きな籠を抱え直して、微笑んだ。
その指先が寒さで真っ赤になっているのに気づく。
「エリス、指先が真っ赤だよ。寒そうだね」
「今日は風が冷たいですからね。外干しをしていると、どうしてもかじかんでしまって」
そう言って、冷えた手をはぁーっと息で温めようとして、こすり合わせた。
「風邪ひかないようにね」
「はい。ありがとうございます。では、残りの洗濯物を干してきますね」
エリスは一礼すると、足早に廊下を戻っていった。
その後ろ姿を見送ってから、再びふかふかのソファに深く沈み込んだ。
暖炉の熱がじんわり伝わってきて、体の中までぽかぽかしてくる。
(外は寒そうだなあ……。ここは天国だ……)
パチパチと薪が爆ぜる音を聞いていると、ふと口寂しくなってきた。
この完璧なリラックスタイムに、甘くて温かい飲み物があれば、もっと最高なんじゃないか。
(なにか暖かい飲み物でも飲みたいな……)
『ねえナビ。何か体が温まる美味しい飲み物ない?』
《ホットミルクにすりおろしたリンゴを加えるレシピを推奨します。糖分とビタミンが摂取でき、リラックス効果も見込めます》
『リンゴとミルクか……。いいね、それ』
(……よし。作ってこよう)
僕はのんびりとソファから起き上がり、厨房へと向かった。
◇
厨房に入ると、ヒューゴたちが魚料理の試作で盛り上がっていた。
香ばしい匂いと活気のある話し声が響いている。
「あ、坊ちゃま。なにかご用ですかな?」
僕に気づいたヒューゴが手を止める。
「ううん、気にしないで。ちょっと温かいものが飲みたくなっただけだから」
「お茶ですかな? すぐに用意させますが」
「いいよ、自分で作るから。ヒューゴたちは続けてて」
そう言って、空いている調理台のほうへ向かった。
(せっかくだし、エリスたちの分も作っていこうかな。みんな寒そうだったし)
僕は大きめの鍋を用意し、たっぷりの牛乳を注いだ。
まずはリンゴの準備だ。
鍋の上にリンゴを浮かせ、そっと風魔法を流し込む。
イメージするのは刃じゃなくてヤスリ。
ごく細い風が、表面をなでるようにこすっていく。
しゃらしゃら……。
白い粉みたいになった果肉と果汁が、ふわっと牛乳の中に落ちていく。
そこに砂糖も加え、仕上げにかかる。
『ナビ、温度調整お願い。沸騰させないで、飲み頃の温度で』
《了解しました。熱伝導を制御し、最適温度65度まで急速加熱します》
じわりと熱を伝えるイメージで魔力を送った。
ナビの制御のおかげで、吹きこぼれることもなく、数秒で飲み頃の温度になる。
ふわぁっ、と。
甘酸っぱいリンゴとミルクの優しい香りが立ち上った。
「よし、できた」
あっという間に鍋いっぱいのホットドリンクが完成した。
僕はカップと中身たっぷりの鍋をトレイに乗せ、魔法でふわりと浮かせた。
そのまま居間へ戻ると、ちょうどエリスが洗濯物を干し終えて戻ってきたところだった。
「あ、メルヴィン様。いい香りが……」
「エリス、お仕事お疲れ様。はい、これ」
湯気の立つカップを手渡す。
「まあ……! ありがとうございます」
エリスはカップを両手で包み込むように持つ。
カップの温かさで真っ赤だった指先がじわじわとほぐれていく。
「……おいしい。甘くて、落ち着きますね」
そのまま、ほっと息を吐いた。
そこへ、裏口の方から話し声が聞こえてきた。
「うー、さむさむ!今日は冷えるねえ」
「手がかじかんで薬草の選別が大変でした……」
庭仕事から戻ってきたソフィアと、薬草庫から出てきたリディアだ。
二人とも鼻先を少し赤くして、手をこすり合わせながら廊下を歩いてくる。
「あれ?なんか甘くていい匂いがする!」
鼻の利くソフィアが、すぐにこちらに気づいた。
「二人も飲む? まだあるよ」
僕は新しいカップを取り出し、鍋からなみなみと注いで渡した。
「えっ、いいんですか?いただきまーす!」
ソフィアが豪快に一口飲んで、目を丸くする。
「うまっ!!なにこれ、めっちゃ温まる!」
「……リンゴの香りですね。すごく優しい味です」
リディアも、カップの湯気を顔に浴びて、嬉しそうに目を細めている。
指先が温まると、二人ともふーっと力の抜けた顔になった。
甘い香りと湯気で、ひんやりしていた屋敷の空気まであったかくなった気がする。
「じゃあ、僕は向こうで飲むから。鍋に残ってる分は、あとで他のみんなにも分けてあげてね」
「はい。皆にもお配りしますね」
エリスたちが嬉しそうに頷くのを見届けてから、僕は自分のカップを持って暖炉横のソファへと戻った。
「さて……。最高のお昼寝タイムの再開だ」
ソファに深く腰掛け、カップに口をつけた。
甘い温かさが胃に落ちて、体の中からポカポカしてくる。
(……ふあ)
飲み終えてカップをサイドテーブルに置いたころには、もう瞼が重くなっていた。
そのままゴロンと横になると、エリスが優しく毛布をかけてくれた。
「ゆっくりなさってくださいね」
(……ふあ)
暖炉の火の音とお腹の中の温かさ。
そのままぐっすりお昼寝コースに突入した。
◇
――ドタドタドタッ!
その足音で僕は目を覚ました。
扉の向こうから聞き慣れた声と気配が、勢いよく近づいてくる。
「ちょっとメル! ずるい!」
公園から帰ってきたイリ姉が、バン!と扉を開けて飛び込んでくる。
「ふぁあ……おかえり……」
「エリスたちから聞いたわよ!美味しいミルクを作って配ったんですって!?なんで私がいないときにやるのよ!」
ソファに詰め寄り、僕の肩を揺さぶる。
「明日また作るよ……」
「本当ね!? 約束だからね! 明日絶対だから!」
イリ姉はそう言うと、満足げに僕の隣に座り込み、冷えた手を暖炉にかざした。
パチパチと薪が爆ぜる音が心地よく響く。
(……明日のことは、明日考えよう)
その音を聞きながら、もう一度ふぁあっと大きなあくびをした。