軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第54話 さようなら、無力だった僕

エレオノーラとの戦いを終えた後、王城で一晩休息をとった俺たちは、人目を避けつつ王都の地下へと向かっていた。

王族と一部の側近しか知らされていない、王城の真下に広がる広大な遺跡。

ここを隠すために、わざわざこの場所に城を建てたのではないか――。

湿った石壁が続く。頭上から降り注ぐ圧迫感は、古い地層に閉じ込められた化石になったような息苦しさを伴っていた。

「もうすぐ着くぞ」

先輩の前を行く背中が、迷路のような通路を進んでいく。

やがて、鼻の奥に粘りつくカビの臭いと、肌を刺すような濃密な魔力の澱み。

足音が反響するだけの長い螺旋階段を降り切ると、開けた空間に出た。

その最奥に、巨大な鉄の扉が鎮座していた。

「でけぇ……」

ただ、大きいだけではない。

見上げるほどの高さ。天を衝くほどの質量。あまりの分厚さに、空間そのものが歪んで、こちらの肺を押し潰そうとしてくる。

喉の奥が乾いた音を立て、本能が「己の矮小さ」を警告してくるようだ。

視線が、扉の中央へ吸い寄せられる。

そこにある巨大な 閂(かんぬき) の部分に、禍々しい文章が彫り込まれていた。

『「魂を鋳溶かし、神を鍛える坩堝なり」……と記述されているようですね』

脳内で、ナビ子の声が響く。

どうやら本当に人工的、神工的につくられた代物のようだ。

「先輩、このダンジョンって入り口を塞いでも大丈夫なんですか?」

俺はふと疑問を口にした。

本来、ダンジョンの入り口を人工物で塞ぐことは推奨されない。

内部の魔力が滞留し、スタンピードを引き起こす原因になるからだ。

「あぁ。普通のダンジョンなら御法度だが、こいつは『神格』が造った特別製だ。内部の魔力を完璧に循環させてるから、暴走したり溢れ出たりすることは一切ねぇよ」

「へぇ……ダンジョンまで造れるってとんでもないですね」

「相当ランクの高い神様だったんだろうな。入った人間に応じて、試練の内容は変わる。……その人間に『今、最も足りないもの』を気付かせるようにな」

「……で、どうやって入るんですか?」

「え? いや、普通にその閂を持ち上げて入るんだよ」

先輩があっけらかんと言う。

俺の視線は思わず、目の前にある巨大な鉄塊へと戻った。

太さは大人の胴体ほどもあるだろうか。

「え?」

「心配しなくていい、最深部をクリアすれば転移陣があるからな。閂を閉められても、閉じ込められたりしねぇよ」

「いや、そうじゃなくて、え?神様が作ったダンジョンの入り口、人力なんですか?」

「このダンジョンに潜るつもりなら、この閂くらいどうにかできなきゃ話にならねぇってことじゃねぇかな。今のお前なら、余裕だろ?」

先輩の口元がニヤリと歪む。

試されているのだ。

俺は肺の中の空気をすべて吐き出し、腹圧を高める。腰を落とし、巨大な閂に手をかけた。

冷え切った金属の温度が、掌から一気に体温を奪っていく。

「……ん、しょ……っと!」

錆びついた金属の粒子が互いを削り合う、ざらついた摩擦音が響き渡る。

足裏で踏ん張る。

地鳴りのような振動と共に、重機でなければ動かせそうにない巨大な閂が、ゆっくりと持ち上がっていく。

重い。だが、持てない重さじゃない。

魔力強化すら使っていない、ただの筋力。本来なら人間には不可能なはずの鉄塊が、軋みを上げて動いていく。

「ほらな、余裕だ」

閂が外れ、重厚な金属音が鼓膜を打つ。

ゆっくりと開き始めた扉の隙間から、冷気が漏れ出した。それはまるで、数百年分の死を貯め込んだ冷蔵庫を開けた時のような、質の悪い冷たさだった。

「死ぬなよ、湊」

背中越しに、先輩の声が聞こえた。

振り返ると、いつになく真剣な双眸がこちらを射抜いている。

「死ぬわけないじゃないですか、先輩じゃあるまいし」

「俺も死んでねぇよ!」

「いや、探索中に三年も行方不明になってたから、戸籍上は死んでますよ?」

「うるせぇ! 小賢しいこと言うな!」

いつもの軽口。

けれど、これが今生の別れになるかもしれない――そんな予感が、不意に胸を過った。

強張ろうとする表情筋を意志の力で緩め、口角を上げる。

「行ってきます」

一歩、足を踏み出す。

その瞬間、背後で扉が轟音と共に閉ざされた。

視界が完全な闇に包まれる。

もう、後戻りはできない。

『王家の試練』とは、端的に言えば「縛りプレイ」の連続だった。

第一の試練の間へ足を踏み入れる。

その瞬間、掌から摩擦係数が消滅した。

握っていたバールが、油を塗ったガラスのように手から滑り落ちたのだ。

拾おうと手を伸ばすが、見えない壁に阻まれて指先が空を切る。

さらに、アイテムボックスは開くものの、そこから武器を取り出そうとすれば、指先が霧を掴むようにすり抜けてしまう。

ポーションなどは触れられるのに、「武具」と認識されるものだけが、徹底して排除されているのだ。

『第一試練:武具の剥奪』

無機質な声が頭蓋に響く。

同時に、暗闇の中に五対の赤い光が灯った。

金属が擦れ合う不快な音が近づいてくる。現れたのは、全身が鋭利な刃物で構成された五体のゴーレムだった。

「……なるほどな。道具に頼るなってことか」

意図は明白だ。

このダンジョンは、俺に『生物としての純粋な強さ』を求めている。

道具という文明の利器を捨て、野獣のように、あるいは怪物のように、己の肉体だけで敵を屠れと言っているのだ。

全身刃物の敵を素手で殴ればどうなるか。

結果など見るまでもない。

だが、今の俺に拒否権はない。

「……上等だ」

拳を握りしめ、構える。

刃の嵐が迫る。

回避する隙間はない。ならば、正面から砕くしかない。

鈍い衝撃が走る。拳の皮がめくれ、鮮血が舞う。

硬い。骨が軋む音が脳髄に直接響く。

だが、止まるわけにはいかない。

刃が脇腹を掠め、肉を削ぎ落とす。痛みよりも先に、障害を排除する破壊衝動だけが神経を支配していた。

最後の一体を粉砕した時、俺の拳はボロボロに崩れ、足元には鉄屑の山が築かれていた。

続く第二の試練。

そこへ入った途端、体内の熱が急速に奪われていく感覚に襲われた。

『第二試練:魔力の封印』

体内の魔力回路が凍結する。血管から力が抜け落ちていくような虚脱感。

魔法はもちろん、身体強化すら使えない。

頼れるのは、己の筋肉と神経のみ。

そんな無防備な状態で放り込まれたのは、不規則に灼熱の業火が吹き荒れる回廊だった。

――魔力に頼るな、ということか。

今の探索者は、身体操作の大半を「スキル」や「魔力強化」による 自動補正(オートマ) に依存している。

だから魔力を封じられた瞬間、自らの身体操作能力だけに頼らなければならない。

だが、俺は違う。

脳内で、使い慣れたギアが噛み合う音がした。

思考するより先に、意識が筋肉へと潜る。

右足首の角度調整、膝の抜重、骨盤の回転。

魔力という補助輪がなくとも、俺はずっと「 完全手動(フルマニュアル) 」でこの体を動かしてきた。

爆発的な燃焼音が鼓膜を叩く。

直前まで俺がいた空間を、紅蓮の炎が焼き尽くす。

鼻をつくのは、髪の毛先が焦げて縮れていく臭い。

皮膚が炙られるような熱波が襲う。

熱い。肺が焼けるようだ。

だが、体のキレは落ちていない。

むしろ、魔力ノイズが消えたことで、肉体の微細な反応が手に取るように分かる。

「……ッ、ハァ、ッ……!!」

次々と襲いかかる火炎の嵐。

パターンはない。法則もない。

頼れるのは、肌を撫でる熱気の揺らぎと、磨き上げた身体操作だけ。

一歩間違えれば炭化する死の回廊を、俺は精密機械のように正確な動作で駆け抜けた。

そして、満身創痍で辿り着いた第三の試練。

『第三試練:過去の精算』

「……悪趣味だな」

視界が開ける。

そこに広がっていたのは、懐かしくも忌まわしい日本の風景だった。

赤く染まった空。至る所から上がる悲鳴。

俺がまだ子どもだった頃の記憶。

日本中が絶望に染まった、『大スタンピード』の日。

地脈が大きく歪み、複数のダンジョンが暴走した。

俺の故郷も、溢れ出した魔物の群れに飲み込まれた一つだった。

世界が「ダンジョン」という異物の脅威を、本当の意味で骨身に刻んだ日。

小学五年生だった俺は、ちょうど学校が終わって帰宅した直後だった。

ランドセルを玄関に放り出し、遊びに行こうとした矢先のことだ。

足元の地面ごと、世界が液状化したように歪んだ。

地面が揺れたわけじゃない。

景色そのものが捩じ切れるような、平衡感覚を狂わせる気味の悪い浮遊感。

直後、空が赤く染まった。

同時に、肌にまとわりつくような不快な湿り気が充満する。

当時は分からなかったが、あれは濃密な魔力の澱みだったのだと、今なら分かる。

ダンジョンが地脈エネルギーを吸いすぎた結果、許容量を超えて吐き出した「逆流現象」。

それが、日常を崩壊させた。

「まだいだのが!? 早ぐ逃げさい!!」

声が聞こえ、振り返る。

隣の家の佐々木さんが、崩れた塀のそばでへたり込んでいた。

見覚えのある顔。近所に住んでいた、優しいお婆ちゃんだ。

学校の帰り道、いつも「おかえり」と声をかけてくれた。

俺はいつも、それに何て返したらいいか分からなくて、まごまごしていた。

その背後には、薄汚いゴブリンが迫ってきている。

『精神攻撃です、マスター。システムを経由せず、脳波に直接干渉して、最も恐れる記憶を再生しています』

ナビ子の警告など、聞くまでもない。

俺の最大のトラウマ。

無力だった自分。守れなかった命。

あの時、俺がもっと強ければ――。

「……ッ!!」

反射的に体が動く。

あの時と同じように、助けようと手を伸ばす。

今の俺なら、ゴブリンなんて指先一つでひねり潰せるはずだ。

佐々木さんを助けて、あの日の後悔を塗り替えられるはずだ。

だが。

「……あ?」

伸ばした手は、あまりにも小さく、細かった。

泥に汚れ、震える小さな手。

11歳の、何も持たない子供の手だ。

――違う。そうじゃない。

この試練は「今の力で過去を無双する」なんて甘いものじゃない。

『あの日の無力な自分』に戻されて、それでもなお、抗えるかを問うているのだ。

空気が爆ぜるような衝撃音。

地面が跳ねる。

ゴブリンが棍棒を振り上げたのだ。

ぎらつく殺意の塊。

今の俺には、それを止める筋力も、魔法も、スキルもない。

あるのは、恐怖でコンクリートのように凝り固まった足と、絶望的なまでの無力感だけ。

「あ……あぁ……」

喉が引きつり、情けない音が漏れる。

怖い。逃げたい。

心臓が早鐘を打つのとは違う、不整脈のような不快な鼓動が肋骨を叩いている。

こんなの、勝てるわけがない。

佐々木さんの目が、俺を見た。

その目は「助けて」とは言っていなかった。

あの時と同じ。

俺を案じ、逃がそうとする慈愛の目だ。

「……ふざけんな」

奥歯を噛み砕くほど強く食いしばる。

逃げてたまるか。

俺はもう、守られるだけの子供じゃない。

たとえ体が子供でも、力なんか無くても。

「俺は……探索者だッ!!」

こみ上げる恐怖を怒りでねじ伏せ、地面を蹴った。

ゴブリンの懐へ飛び込む。

武器はない。筋力もない。

だが、知識がある。経験がある。

ゴブリンの重心、筋肉の動き、振り下ろされる棍棒の軌道。

10年間、泥水を啜りながら積み上げてきた『死線を見極める目』がある。

アスファルトが粉砕される破壊音。

棍棒が地面を叩き、土煙が舞う。

紙一重。

爆風で吹き飛ばされそうになる小さな体を、受け身を取って制御する。

目指すは一点。

ゴブリンのアキレス腱。

そこに落ちていた鋭利な瓦礫を、全体重を乗せて突き立てた。

汚い喉を震わせる絶叫。

怪物が悲鳴を上げて体勢を崩す。

致命傷には程遠い。

だが、隙は作った。

俺は佐々木さんの手を取り、叫んだ。

「走って!!」

無様でもいい。格好悪くてもいい。

俺は、あの日の俺を越えていく。

気づけば、俺は元の肉体に戻っていた。

幻影は消え、目の前には巨大な扉がある。

先ほどのものよりも更に重厚で、神々しい装飾が施された扉だ。

『最終試練:自己超越』

無機質な声と共に、扉がゆっくりと開く。

その奥から漂ってくるのは、これまでとは異質の気配。

恐怖でも、絶望でもない。

もっと根源的な、「己」という存在そのものを問いかける静寂。

「……行くか」

バールを握る手に力を込め、闇の中へと足を踏み入れた。

これが最後の試練。

人間を辞めるための、通過儀礼だ。