軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第55話 さようなら、人間だった俺

最深部。

そこに待っていたのは、 鏡像(ドッペルゲンガー) だった。

姿形は俺と同じ。

それだけじゃない。

奴の手元。

握られたバールが、器用な指さばきで回転させられている。

重心の位置を確かめる、あの手癖。

無意識のうちにやってしまう、俺ですら自覚していなかった「呼吸」のような動作まで、完全に再現されている。

だが、その動きには一切の無駄がない。

呼吸のリズム、筋肉の収縮、魔力の循環――すべてが完璧に制御されている。

「なるほど、自己超越ね」

『解析完了。マスターの全能力をコピーし、感情や迷いを一切排除した最適解を繰り出す存在です』

「……俺の動きを学習してるのか?」

『はい、恐らく、第一試練から第三試練までの全戦闘データから読み取ったものだと思われます。特に、「完全手動」による身体操作データすら抽出されているのが非常に厄介ですね』

さっきまでの試練は、単なる嫌がらせじゃなかったのか。

武器を奪い、魔力を封じ、トラウマを呼び起こすことで、情報を読み取っていたと。

システム外の動きを観測し、データ化するために。

「情報提供に同意した覚えはねぇぞ? 日本なら訴訟モンだからな、このストーカー野郎」

軽口を叩いた、その直後。

視界の端。奴の輪郭がブレる。

「ッ……!」

思考するより速く、上体を反らす。

鼻先、数ミリの空間。

風切り音と共に、バールがそこを通過していった。

速い。

俺が「こう来るだろう」と予測したタイミングより、半拍早い。

「あっぶねぇな……! 流石は俺、容赦がねぇ」

躊躇いなく急所を砕きに来ている。

胃の腑が、冷たい鉛に変わって重く垂れ下がる。

もし反応が遅れていたら、今の一撃で意識ごと刈り取られていただろう。

『勝率、1%未満。撤退を推奨します』

「おいおい、冗談だろ? 相手は俺のコピーだぞ。実力が同じなら、勝率は五分五分だろうが」

『否定します。相手はマスターのスペックを完璧に使いこなす「理論上の最適解」をとってくると思ってください』

「ミスもしねぇし、フレーム単位で最速の動きをしてくるってわけか……っ!」

言葉は、最後まで紡げない。

正面から、鉄塊の三連撃が迫る。

眉間への刺突、テンプルを砕く横薙ぎ、そして回避した足元を刈るような 柄尻(つかじり) による足払い。

すべてが完璧な軌道。完璧なタイミング。

辛うじて致命傷は避けた。だが、かわしきれなかった衝撃が内臓を揺さぶり、食いしばった口の中が切れる。

最悪だ。

性能は同じでも、操作しているプレイヤーの次元が違う。

『その通りです。正面から挑めば、確実に敗北します』

だけどな──

「うるせぇ……!」

現実(リアル) に理論値なんて存在してたまるか。

口の中、溜まった血を吐き捨てる。

スペックが同じで、向こうはミスをしない機械だ?

しかも、俺の手の内は全てバレている?

「ぐっ、オラァ!!」

カウンター気味に放った俺の拳。

だが、最小限の動きで回避される。

直後、鳩尾に膝蹴りが突き刺さる。

正攻法で挑めば、100回やっても100回負ける?

「俺の思考を……ッ、リアルタイムで読んでるわけじゃねぇんだよな?」

バックステップで距離を取る。乱れた呼吸を整える。

『はい。あくまでこれまでの試練で得たデータから、マスターの思考パターンを高速でエミュレートしているだけと推測されます』

「……なら、いくらでもやりようはある」

恐怖よりも先に、腹の底から熱いものがこみ上げてくる。

頬が、勝手に凶悪な形に歪んだ。

「古今東西、相手の能力をコピーする奴が本物を上回ることなんて、ねぇんだよッ!!」

足が、地面を蹴った。

懐へ飛び込む。

一見すると無防備な特攻。

だが、顎とこめかみだけは腕で固くガードしている。

奴の目が光る。

「最適解」が導き出される。

収集されたデータに基づき、最も効率的に俺を殺すルート。

ガードの上から頭を砕くには火力が足りない。足止めでは不十分。

ならば――無防備な胸へ突き出される、最短最速の一撃しかない。

「そりゃ、そう来るよなぁ? こんなに狙いやすいんだからよぉ」

お前が見てきたのは、試練を生き残ろうと必死だった「保守的」な俺のデータだ。

被弾を嫌い、効率を求め、生存率を高めようとする合理的な動き。

だがな、本当の俺は――。

肉を断つ不快な感触が響き、バールが俺の胸を貫通する。

激痛。

焼けるような熱さが全身を走る。

だが、その程度だ。

来る場所が分かっていれば、数センチずらすことくらい訳はない。

『!?』

奴の表情。そこに初めて「ノイズ」が走った。

データにはない動き。

被弾前提の特攻。

生存を最優先するロジックには存在しない、狂気の選択。

「俺は大バカ者だからよ、このくらいわけねぇんだわ」

胸に突き刺さったバール。筋肉で締め上げ、逃げ場を塞ぐ。

「お前は過去のデータだ。……俺は、今この瞬間も更新され続けてんだよ!」

そして、残った片腕に全魔力を集中させた。

「痛みを知らねぇ奴が、俺に勝てると思うなァ!!」

渾身の頭突き。

骨が砕ける感触と共に、奴の顔面が陥没する。

さらに一発、二発。

泥臭く、非効率で、けれど誰よりも「生」に執着する俺の拳が、完璧な虚像を粉砕した。

奴が光の粒子となって消滅した直後。

ファンファーレは鳴らなかった。

代わりに、脳髄を直接震わせるような、無機質だがどこか温度のある声が響いた。

『マスター、レベル500に到達できる経験値流入を確認しました』

ナビ子だ。

だが、いつもとは違う。事務的な報告の裏に、張り詰めた緊張感が滲んでいる。

『種族進化の実行要件を満たしています。進めてよいですか?』

俺は深く息を吐き出し、肺の中の澱んだ空気を全て入れ替える。

全身の筋肉が悲鳴を上げているが、脳内では、過熱した思考回路が強制冷却され、不気味なほど静まり返っていた。

「あぁ……頼む」

短く答える。迷いはなかった。

しかし、ナビ子は即座に受諾のレスポンスを返さない。

一瞬の沈黙。

それは、システムとしての処理遅延ではなく、明確な"躊躇い"の間だった。

『このプロセスを受託した場合、貴方の魂の器は不可逆な変質を遂げます』

ふと、視界の隅。光が凝縮する。

無機質な空間。

光の粒子が集束し、白いワンピース姿の少女を形作る。

銀色のショートボブが粒子を撒き散らし、透き通るような肌は背景の岩肌を微かに透過させている。

ナビ子だ。

淡い金色の瞳が、じっと俺を見つめていた。

その奥には、絶えず膨大なコードが滝のように流れ落ちている。

『元に戻ることはできませんよ?』

まるで、真正面から俺の魂を見据えて語りかけてくるような、真摯な響き。

その表情は、いつもの無機質なアイコンではない。

憂いを含んだ、人間のような彩りを帯びていた。

その宣告を聞いて、俺の口の端が吊り上がった。

恐怖ではない。乾いた哄笑が、喉の奥から漏れ出る。

「何を今更」

短く吐き捨てる。

本当に、こいつは学ばねぇな。

「一番最初は俺の許可なんざ取らずに、勝手にインストールして身体を作り変えたくせに」

『……』

「俺はお前が来たその日に、とっくに人間辞めたつもりでいるんだよ」

そうだ。ナビ子が俺の前に現れて、共生を始めた瞬間から、もう普通の人間としての死を迎えていたのだ。

今更、未練などあるはずもない。

『――了解しました』

ナビ子の声が、厳粛な宣言へと変わる。

『規定レベルへの到達を確認。種族進化プロセス、開始します』

その宣言と同時に、世界が裏返った。

痛みはない。

だが、俺という「器」が内側から作り変えられていく感覚が、鮮明に伝わってくる。

骨が軋み、筋肉が繊維の一本一本まで解れ、より強靭な形へと再構成されていく。

それは破壊ではない。

人間という矮小な殻を脱ぎ捨てる、脱皮の儀式。

『進化系統: 不明(アンノウン) ……検索中』

ナビ子の声が、脳髄を震わせる。

既存のデータベースに、俺の進化先は存在しないらしい。

『……適合する種族データなし。新規定義を実行します』

システムが困惑しているのが分かる。

だが、すぐに新たな答えを導き出した。

『再定義完了。進化先:『 原初真人(アダム・カドモン) 』』

体内で何かが割れる音がした。

限界という檻の錠前が内側から弾け飛び、俺という器の 容量(キャパシティ) が無限に拡張されていく感覚。

『専用スキル:【 万象掌握(マニュアル・オーバーライド) 】を獲得しました』

『パッシブ効果:万象を物理的な「質量」を持った対象として知覚し、干渉可能となります』

意識をすると、視界が明滅する。

世界が歪み――いや、鮮明になる。

天井の岩肌が、魔力の流れが、空気の揺らぎが、すべて「手で触れられる物体」として認識できる。

「……なるほど」

虚空を漂う、魔力の残滓。

俺はそこへ、手を伸ばしてみる。

指先に触れる、確かな抵抗。

本来なら触れられないはずの「現象」が、まるでそこに在る「モノ」のように掴める。

「全部、マニュアルでどうにかできるってことか」

システムによる自動補正がない代わりに、世界の 理(ことわり) そのものを、この手で捻じ曲げることができる。

いかにも、俺らしい進化だ。

『また、 秘銀級(ミスリル) になったことでシステム機能【ランキング】が解放されました。現在『原初人』として登録されています』

「は? ランキング?」

『ランキングシステムは自身のクラスと「同等以下」の探索者情報が閲覧可能になる機能です。今のマスターですと、 秘銀級(ミスリル) の探索者情報が閲覧できることになりますね』

ナビ子の説明と共に、ウィンドウが表示される。

ずらりと並ぶ称号たち。

ここに並んでいるのは、まぎれもなく上澄みの探索者たち。

レベル500にすぎない俺の順位は……その最底辺にあった。

「てか、原初人ってなんか原始人みたいで嫌だな」

『まぁ、システム補正を使わない探索者なんて原始人みたいなものですし、間違ってはないのでは?』

「……なぁ、ナビ子。ちょっと調べて欲しいことがあるんだ」

『はい、何でしょうマスター?』

俺は真顔で、とびきりの皮肉を口にする。

「お前を消す方法」

『検索結果:0件。残念ですが、死ぬまで一緒ですよ?』

「……ちっ」

舌打ちしつつ、俺は出口へと歩き出す。

まぁいい。原始人上等だ。

文明の利器(システム) に頼り切った連中に、石器時代の強さってやつを教えてやるさ。

転移陣を潜り、外の空気を吸う。

そこには、先輩が待っていた。

俺の姿を見るなり、ふっと安堵の息を吐く。

「……辞めたんだな」

「えぇ。 自律進化(スタンドアロン) の付与時点で人間じゃなくなったと思ってましたが、確かにこれは、全然違いますね」

自律進化(スタンドアロン) を手に入れたときも凄かったが、これは世界が違う。

風の音が、光の粒が、魔力の揺らぎが、すべて質量を持って肌を打つ。

これが、 秘銀級(ミスリル) 。

人外の領域。

「それで、なんて種族になったんだ? 言いたくなければいいが」

興味深そうに尋ねてくる先輩に、俺は肩をすくめて答える。

「 原初真人(アダム・カドモン) って種族みたいです」

そして――新しく手に入れたスキルについても説明しておく。

「それと、『 万象掌握(マニュアル・オーバーライド) 』って専用スキルも得ました。……分かりやすく言うと、この世界の現象や法則を“手作業”でいじれるみたいな力です」

俺の言葉に、先輩は目を丸くする。

「おぉ、専用スキルまで持ってるのか……。最初の種族進化では手に入らないことの方が多いんだが、それを引けたってだけで相当“良い種族”をもらったな。さすがだ」

白い歯を見せて笑い、俺の背中を強く叩く。

その衝撃すら、今の俺には心地よい挨拶程度にしか感じない。

だが、俺は知っている。この人が本気になれば、今の俺でも容易くひねり潰せることを。

「まぁ、でも上には上が居るってことを肌身に染みて理解してるんで、油断なんて一ミリも出来ないですけどね」

「おう、殊勝なこった。ま、俺から見たらまだまだひよっ子だしな!」

「ま、先輩くらいなら直ぐに追いついて抜き去りますけどね」

「大口叩きやがって、そう簡単に追いつかせてやらねえよ」

先輩は目尻を下げて破顔すると、少しだけ真面目な顔つきになって、夕焼けに染まる空を見上げた。

「でも――さっさと追いついて、また一緒に探索しようぜ」

「はい、先輩はそれまで沙織さんや翔太君と沢山一緒にいてあげてください」

「おうよ」

一呼吸置いて、先輩は俺の目を見据える。

その瞳には、先駆者としての厳しさと、どこか懐かしい温かみが宿っていた。

「あと、わかってるとは思うが、心までは辞めるなよ?」

その言葉に、俺は強く頷いた。

「もちろんです」

種族が変わっても、心まで人間を捨てる気はない。

結局、人間かどうかなんて、形じゃなくて“どう在るか”で決まるんだと思う。

俺は湊圭介だ。心は、ちゃんと人間だ。

ゼノビア帝国、皇帝執務室。

豪奢な椅子。

そこに深く腰掛けた女帝――エレオノーラ・ゼノビアの視線は、虚空に浮かぶウィンドウへと注がれている。

『システム通知:ランキングに新たな称号が登録されました』

「あら、ランキングの新顔?……本当に久しぶりじゃない」

『登録名:原初人』

……原初人、ね。ふうん、とだけ小さく呟いて、画面を指先で弾く。

最近はどうにも、思考の隙間に、あのでたらめな男――ミナトの顔が割り込んでくる。

どうすればもう一度会えるか、そんなことばかりだ。

あの時は無様な姿を見せたくなくてさっさと帰ってしまったが、せめて連絡くらい取れるようにしておけば良かった。いまさら悔やんでも仕方がないけれど。

……そういえば――。

ヴィクトリア王国に潜ませておいた“猫”たちが、少し前に持ち帰った噂を思い出す。「廃棄地域で、新たな高ランク探索者が誕生した」と。

あらあら、思い返してみれば、ヴィクターは“ミナト”のことを後輩呼ばわりしていたっけ? あの時はどうでもよくて流していたけれど……この時期、この偶然、考えれば考えるほど意味深じゃない? 異界から来たヴィクター。その後輩。廃棄地域の高ランク探索者――。ふうん、面白い。

思い返してみればミナトが私に『 聖域の結界石(サンクチュアリ・バリアストーン) 』をプレゼントしてくれたのも廃棄地域のダンジョンだったわね。

……行ってみようかしら。

さあ、ミナト。私を待っていなさい? すぐに素敵な“ご挨拶”に行ってあげるから。

嬉しそうに、愛おしそうに。

肉を食らう捕食者のような笑みを浮かべ、彼女は立ち上がる。