作品タイトル不明
7
レミアンが帰ると、お姉様は私に向かって言った。
「一刻も早く、あのクズとの婚約は破棄しましょう」
「ええ、そうします」
すると、その後ろから。
「やっとお嬢様も目が覚めたのかな?」
ラーシュが、嫌味っぽく口を挟んできた。
「……変な感じだわ。レミアンを好きだった気持ちが、綺麗さっぱり消えてしまったみたい」
「お嬢様の好意が消えて、《魅了》が効かなくなったんだろう」
「私……本当に魅了されていたのね」
「こうやってね」
ラーシュがそっと私の手を握る。
――ドキッ。
胸が小さく跳ねた。
でも、レミアンの時みたいな、不自然に夢中になる感覚じゃない。
もっと穏やかで。
自然と心がはずむような――そんな感じ。
ラーシュが真っ直ぐ私を見つめる。
「俺はずっと、エレナお嬢さんを見守ってきた。でも最近は、大きな危険なんて無かった。……だから今回は油断した」
彼のシュンとした顔は辛そうだ。
「本当に謝らないといけないのは俺だ。怪我をさせて、怖い思いまでさせた。……すまなかった」
……不思議。
私の心臓、
どうしてこんなにドキドキするの。
戸惑っていると──
バシィッ!!
突然、お姉様がラーシュの背中を思いきり叩いた。
「……っ!? い、痛っ!」
「肝心なところで遅れるんだから。役立たず!」
ラーシュは背中を丸めて顔をしかめる。
いつもは澄ましているくせに。
お姉様の前では、弟の顔になるのね。
「あはは」
笑えた。
……うん。
レミアンといる時より。
ずっと、心から笑えた。
◇
それからしばらくして。
朝食の後、お姉様は真剣に私に尋ねた。
「婚約は、本当に破棄するわよ? 覚悟はできている?」
「ええ。……なんだか、長い夢を見ていたみたい。心配かけてごめんなさい」
「大切な貴方を守るのが、私の使命よ。私はただ、エレナの幸せだけを願っているの」
そう言って、そっと抱きしめてくれる。
──温かい。
「お姉様にも幸せになってほしいわ。もちろん、ラーシュもね」
「ふふ。孤児院から引き取られて、私達は十分幸せよ」
お姉様は懐かしそうに笑った。
「子供の頃なんて、まだラーシュも小柄だったから、私のフリをしてエレナと遊んでいたのよ?」
「……全然気づかなかったわ」
「双子だもの」
大好きなオルガお姉様と過ごして来た時間と思い出。
その中に、ラーシュも含まれていた。
嘘みたい。
──あのラーシュが、可愛いドレスを着て私の傍にいた?
女の子のフリをして、お人形遊びや、手を繋いで一緒にお昼寝をしていたなんて。
「でも背が伸びて誤魔化せなくなった。エレナの前から消えるしかなかったの」
ラーシュが鮮明な赤毛を黒く染めていたのは、目立たないようにするため。
そして――ずっと、私を陰から見守ってくれていたのだ。
「私、大切にされていたのね」
胸の奥がくすぐったくなった。
「では、始めましょうか!」
ぱっと立ち上がったお姉様は、まるで戦場に向かう騎士みたいに頼もしい。
「うちの高級レストランの個室を、レミアンが予約したと報告があったの」
「三人でご馳走パーティー?」
「いいえ。二人よ」
相手はユゼフね。
「そこに『ご子息とエレナの結婚についてご相談がある』と言って、ユーグ侯爵夫妻をお招きしたわ」
「大丈夫なの?」
「『ご子息には、絶対に内緒で』ってお願いしたわ。『先日の件。エレナが怒っていて、レミアンには会いたくないから』と言ってあるのよ」
「上手くいくかしら?」
「レミアンとユゼフは恋人同士なのでしょう?
お酒が入ると、きっと雰囲気も甘くなって……ふふふ」
なるほど。
あの二人の関係を暴露して、婚約を破棄させる。
完璧な罠である。
さすがお姉様。
――まもなく、私とレミアンの関係は終わる。
私は魅了されていた。
好意の上に重ねられる、愛の魔法。
でも。
ラーシュとの勘違いとはいえ、レミアンが好きだという気持ちは本物だった。
もし、貴方が誠実な人だったなら。
もし、本当に私を愛してくれていたなら。
違う未来もあったかもしれないのに……。
そんな感傷も秒で終わる。
私が捧げた愛もお金も、すべてが無駄だった。