作品タイトル不明
第三百六十九話 ヴィオレッタ王妃
州王テオに【心換帳】で服従の言葉を刻み込むと、俺は煉獄迷宮にいる玲香を呼びに行くことにした。若干の不安はあるが、クミカを一人にする。そしてエルダーリアまで戻り、すぐに玲香と【転移】してレッド城に戻る。
クミカはそれだけでかなり嫌だったようで、服の裾をギュッと掴まれる。親がいないことに気づいた3歳児のような様子に、呆れて肩をすくめた。その一方で連れてきた玲香は【意思疎通】で州王テオに、
《束縛を解いても余計なことは一切するな》
そう命令した。それでようやくクミカに言って州王テオを【束縛眼】の縛りから解放する。慌てて顔を上げた州王テオの顔は汗に濡れ、額からは血が流れ、股間部の布が濡れていて、おしっこを漏らしているのがわかった。
惨めな姿だ。クミカが【束縛眼】の縛りを発動してわずか10分ほどのことだが、州王テオにはその10分。一切の言葉を発することができず、魔法もスキルも全て縛ってしまい。体もピクリとも動かない。
レベルが上がって、かなり自由の利く能力を手にしているだけに、何の情報も与えられず束縛され続けた10分が永遠にも感じられたようだった。
《れ、レイカ!? な、何なのだ!? お前たち何なのだ!?》
何か叫びたくて仕方がない。それなのに催眠術にでもかかったように玲香に命令されているせいで、口をパクパクさせるだけで、なぜか叫ぶことができず、【意思疎通】で伝えてくる。
《い、いや、美しい。女? お、おまえ、世の妾にしてやるからバカなことをやめるのだ! 今なら世に奉仕するだけで、尻を叩く罰だけで許してやるぞ!?》
この顔は女に見えたか、俺に向かって言ってきてる。『奉仕』の言葉は俺に対する飛び切りの性欲の感情が伝えられた。
《玲香、【意思疎通】の使用も禁止してくれ》
《了解》
再び完全に能力が封じられて、州王テオの冷や汗が余計にひどくなる。そして俺はまだ土下座状態の王妃にも目を向けた。クミカが助けてあげられないかと聞いてきた相手だ。
クミカが心を読んだ限り、立場上、州王テオの求婚を断ることはできなかったし、子供もできてしまったようだ。しかし生まれてきた子供たちが州王テオに似ていて好きになれず、未だにエンデを一途に思い続けていた。
クミカは彼女にだけは慈悲をかけているようで、全員が大理石の床に頭をめり込ませているのに、王妃の額は当たっていなかった。そしてどういうわけか、1人だけあまり怯えた様子を見せてなかった。それは王妃だけだ。
他は近衛兵と思われる者まで、土下座状態から一切解放されないことに怯えていた。
《クミカ。王妃の名前は?》
《はい。ヴィオレッタ・セリフィーヌ・アストレア・ウィンターという名のようです》
《ヴィオレッタ。どうして1人だけ怯えてないんだ?》
《どこの誰か知らぬ者。私は怯えはしません。それよりも、ようやくエンデが裏切り者の私を殺しに来たのでしょう。どうぞ私を裁きなさい》
そんなことを言ってくる。怯えない理由は、自分の命に未練がないようだ。クミカが心を読んだところエンデとこの女が最初は夫婦だったようだ。しかし州王テオによってエンデは彼女の目の前で断頭台にかけられ、死んでいる。
王妃はエンデのその首が落ちるのを州王テオによって無理やり見せられた。本来、王妃はセラスからの命令があったから州王テオがエンデを討つことまでには一定の理解があった。やむを得ないことだったのかとも思った。
それほどセラスとは絶対的な存在だった。しかし、エンデの死をわざわざ自分の目の前で行ったことが許せなかった。そしてエンデに味方した前王も地下の牢獄に幽閉されたままであり、王妃は生きるのが嫌になっているようだ。
《残念だが殺さない。余計な言葉を出さずに、立ち上がってくれ》
俺が王妃にそう伝えたことはクミカにも伝わり、【束縛眼】の呪縛を解いた。
「なんと……」
しゃべるなと言ったのに王妃はそれでも口から言葉が出てしまっていた。俺の顔を見たまま一歩下がってしまう。
《も、申し訳ありません。噂の天の使徒様でしょうか?》
《そんなのではない。ただ、王妃は安全そうだから束縛は全部開放する。余計なことは一切してはだめだ。こっちにも段取りがある。テオから離れさせてやるし、悪いようにはしないからいいな?》
《は、はいっ。畏まりました》
かなり慌てている。俺の顔に動揺しているのが分かった。人は美男美女を見るとどうして正気を失うのか。何気に俺も中学生の頃、美鈴の顔を見るだけでもビビっていた。中身の性能は外見が良くても変わらない。
でも外見がいいと中身の性能までよく見える。俺は中学の頃、外見で損をしていたし、今は外見で得をしている。この顔だけでも人がずいぶんということを聞いてくれやすくなる。外見がいいことは生きていく上で楽なことだ。
外見を磨くことは生きていくことを楽にする一つの近道にもなる。そんなことも昔は分かってなかった。
《玲香、謁見の間にいる他の人間も、このままずっと頭を下げさせ続けていると、心が持たないものも出てくるだろう。州王テオにまずこの場を治めさせてくれ。俺たちの事情説明は一切させなくていい。ただ『正体不明の何者かがいた』ということだけ言わせておいてくれ》
《了解。とりあえず頭を上げさせるから、私たち全員の気配を消してくれる?》
俺は頷いてすぐに自分と玲香とクミカ。全員の気配を【超自然】で消した。そこまでしてようやく謁見の間にいた近衛兵や官僚、全ての束縛が解かれた。途端に全員の体が動き出し、
「全員、表を上げよ!」
州王テオが自分で声をかけた。それぞれ恐る恐る頭を上げて、州王テオの姿をまず確認する。そして州王テオはまだ怯えた様子が残っているが、王妃が平然としていることに目を留めた。次に周囲に誰もいないかキョロキョロ確認しだす。
「な、何が起きたのだ!?」
「まさかナグモか!? ナグモが帰ってきたのか!?」
「違うのですナグモ様! 私はあなたに逆らう気はない!」
なぜか急に土下座の姿勢のまま体が動かなくなった全員が継続して恐慌状態だ。この城の人間は恐怖の対象としてすぐに頭に浮かぶのが南雲さんのようだ。玲香に、
《どうしてこんなに怖がってるんだ?》
と尋ねた。
《そりゃまあ、あそこまでしたらね……》
そう言って玲香からデータが送られてくる。何年か前、南雲さんがレッドに存在していた超越者達を始末して、この城に乗り込んできた時の記憶データだ。
『貴様がニホンとかいうの下賎国から来た卑しい人間か? 世は神聖なる絶対神セラス様にこの地を任された高貴なる血族テオ・ダリオス・フェリクス・ウィッ——へぶっ!!!!』
南雲さんはまさにこの謁見の場で、舐めた口を聞いた州王テオの顔面を蹴り上げてそのまま天井のフレスコ画に頭をめり込ませた。
『き、貴様何という畏れ多いこと!?』
『俗だ! 捕らえよ!』
『な、南雲、やりすぎよ! あんなに思いっきり蹴っちゃったら王様死んだんじゃないの!?』
『いや、俺の感覚的に、レベル400以上あるやつだ。俺も今はレベル462。蹴り一発じゃ死なねーよ』
『貴様ら自分が何をしたか分かっているのか!?』
さすが南雲さん。空気を読むという言葉がこの人の頭の中にはないらしい。南雲さんて本当に殴ればいいと思ってるもんな。俺はその映像を見ながら遠い目をした。
『ほら怒ってるじゃない』
玲香も玲香で結構南雲さんのやり方に慣れてきてるみたいだ。
『玲香。お前もよく覚えておけ。こういうバカに舐められたら終わりだ。だが安心しろ。俺はバカの対処が上手い。そして、こういう時にちょうどいい言葉が日本にはある。知ってるか?』
『え、ええ? ……ごめんなさい思いつかないわ』
こういう時の南雲さんは俺たち一般ピープルの想像と違うことを言うから、言い当てようとしても当たらない。
『不勉強だぞ玲香。教えてやるからよく覚えておけ。ことわざにもあるだろう"バカは死ねば治る"ってよ』
『は、初めて聞く言葉だわ』
『シンプルで分かりやすいだろう?』
『衛兵! 衛兵!』
『お前ら俺は半殺しとか中途半端なことが嫌いなんだ。州王テオ以外は生き返らせてもやらん。だから殺さないでおいてやるから手を出すなよ。出したら殺すぞ』
『ぜ、全員この男を止めろ!』
そして州王テオが死ぬまで殴り続けた。周りがどれほど止めようとしても南雲さんは止まらなかった。運の悪いことに南雲さんはレベル462であり、州王テオはレベル483と高かったことで、州王テオは死なず、南雲さんは殴り続けた。
それは1時間以上にも及び、その結果レッド城の人間の頭には強烈に恐怖の権化、南雲さんの姿が刻まれ、州王テオが生き返った後、誰一人として南雲さんに逆らおうと考える人間はいなかった。
「だから私は反対したんだ! レイカ様を嫁にするなどナグモ様が帰ってきた時どんな目に遭うか!」
「お許しを! 州王テオが勝手に決めたことなのです!」
その恐怖がまだ頭の中に鮮明に残っているものが多いのだろう。口々に叫び出す。
「静まれ! 静まらんか! 今のことはナグモではない!」
明らかにズボンの股間部に漏らした痕のある州王テオの声が謁見の間に大きく響いた。
「お、王よ。ナグモではないということは何か事情をご存知で?」
「うむ。残念ながら世にも何が起きたのか正確なことはわからん」
「何ですかそれは!? そんな言葉を信じろと!?」
「やはりナグモではないのですか!?」
「やかましい! ナグモなら世は今頃殴り殺されておるわ!」
「お、おお、それは確かに……」
「ではナグモ以外の誰だというのだ?」
「ともかく今回のことは誰も何も言うな。ナグモより怖いことになりかねんぞ。それに、衣服が乱れ、全員ひどいあり様だ」
「お、王よ。本当に正体は分からないので?」
「分からん。分からんがおそらく"超越者の気まぐれ"だ。超越者が面白がって遊んだだけと考えるのが妥当であろう。この件について、対策が必要かどうかの議論も大事だが、お前たち全員衣服の乱れを直すために、一旦謁見場から下がれ。3時間後にもう一度別間で会議を開催する。それで良いな?」
衣服の乱れ、要は漏らしたのは州王テオだけではないのだ。
「は、はい。問題はありませんが、州王テオにおかれましてはこの中で一番お強いので、まだ大丈夫だとは思うのですが、我々は1人になるのは怖いというかなんというか。後ろから急にナグモが現れたりしないでしょうか?」
「やかましい! さっさと行け!」
文官の中で一番、立場が上に見える立派な服を着た男が、州王テオに言われてすごすごと下がっていく。それにつられて全員が下がり、州王テオもヴィオレッタ王妃と近衛兵が二人だけついて、奥へと歩いていく。
「お前たちも下がれ。忘れたのかこの国で超越者の次に誰が強かったのかを」
近衛兵が邪魔なので州王テオに下がるように言わせた。
「し、しかし、我々の役目として」
「ずっと土下座させられていただけの情けないお前たちが、顔を上げて渡り合った私に何かできることがあるというのか!?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
「さっさと行け。お前たちも一度着替え直してこい」
州王テオがきつく言うと、近衛兵もそれ以上は言わなかった。そしてそばにいるのはヴィオレッタ王妃だけになった。俺たちはそうしてようやく【超自然】を解除して姿を現した。
「それではレイカ様。この下僕にご命令を」
州王テオが奇妙なほど卑屈にガタイの良い体を縮めて、頭を下げた。
「ああ、なんかこいつと一緒に歩いてるってだけで気持ち悪いわ」
玲香はかなり州王テオが嫌いなようで、眉間にしわが寄っていた。俺の方はヴィオレッタ王妃がおそらく今の状況についてきていないと思い、州王テオが今どういう状態なのか【意思疎通】で教えた。
「ああ、なるほど、洗脳のようなものにかかっているわけですか。それで……」
「おお、下僕がレイカ様に不快な思いをさせて申し訳ございません。どうぞ靴を舐めますのでお許しください」
刻み込んだ文字がかなり効果を発揮しているようだ。州王テオは床に四つん這いになって舌を出すと、玲香の靴を舐めようとした。玲香は州王テオのあまりに気持ちの悪い様子に、げんなりしている。そうすると王妃が口を開いた。
「テオは城の中でもたびたび下女に靴を舐めさせて喜んでいました。おそらく、王の頭の中にあるレイカ様をいつか服従させようという、歪んだ欲望が、洗脳されたことで自分が服従する側になり、そのイメージを自分に適用してしまったのでしょう」
「それはまた……」
俺は呆れた声を出した。
「さ、最低ね。死ね!」
「死ねは良いのですね!?」
「お、おい、馬鹿!」
「あっと、死ななくていい!」
慌てて玲香は自分の言葉を撤回する。そのやり取りを見ている王妃が目に入る。その瞳は昏く、テオというゴミを見ているようだった。
「余計なことしなくていいから、聖霊殿にさっさと案内してくれる?」
「ワン!」
「ええ……。ほら、もう早く【聖霊伝】に行ってよ。祐太。そこに【管理球】があるのよ」
「了解」
玲香に本当に鬱陶しそうにシッ、シッと手を振られて、州王テオはなんだか嬉しそうだ。
「この男も昔はもっと英雄らしく精悍で勇気ある男だったのです」
ヴィオレッタ王妃が、州王テオのそんな様子を楽しむわけでもなく、ただ虚しさを噛みしめているように口にした。
「それがエンデを断頭台にかけ、好きだったはずのオリビアを殺してしまった」
「オリビア?」
知らない名前に俺は首をかしげた。
「はい。エンデの恋人だった女性です。私がエンデの正妻になったために、人生がくるってしまった人です」
「参考までに聞いておいていいか?」
「聞いても面白くない話ですが、聞きたいというなら話しましょう。オリビアは最初、エンデの正妻となり、レッドの王妃となれると思っていた女です。まあ私も人のことは言えぬのですが……」
ヴィオレッタ王妃は随分と後悔があるようだった。
「ですが、オリビアはその出自が卑しいということで、私が正妻となり第二夫人の立場さえ許されず、妾に落とされたのです。その結果、オリビアはエンデを裏切りました。そしてテオと結婚した。そのテオはエンデとは違いオリビアを王妃として迎え入れた」
「その辺はテオも男らしいところがあったんだな」
「男らしいというよりオリビアに好かれたい一心のようでした。でも、どうしてでしょうね。州王テオは女に好かれない男なのです。結局オリビアはエンデが死んだ後も、エンデを忘れられなかったのです。自分でエンデを裏切っておいて勝手な話ですね。それを見抜かれて、オリビアは州王テオに地下に幽閉された。そのまま食事を取らなくなり、気づけば死んでいた」
「ドロドロした話だな」
「あなたにとってはオリビアなど顔も知らない女の名前。やはりつまらない話でしょう」
「まあ面白いとは言える話じゃないだろう」
「それもそうですね。どこのどなたかも知らぬ方。私はまだ生きてテオの靴を舐めてる。私はまだあの日に囚われたまま何も変えられずにいる。あなたは私が何のために生きてるか知っていますか?」
ヴィオレッタ王妃は自分が惰性のように生きている日々にうんざりとしているようだ。そして父親がまだ生きている。そのことが唯一の心の支えだ。クミカはそのことでヴィオレッタ王妃に同情的になっていた。
「ヴィオレッタ王妃。あなたはセラスについて他に知ってることがあるか?」
俺はあんまり当てにはならないだろうと思いながら聞いた。実際のところセラスについて分かっていることはほとんどない。女であること。レベルが1500以上かもしれないこと。そしてずいぶん昔からこの世界を支配している。
分かっていることといえばそれぐらいだ。それは、この世界の一般人の誰でも知ってる程度の知識だった。
「あります。私は、エンデが死んでから王立図書館の奥にある古文書をおよそ無関係と思えるものまで全て読みました」
「古文書……」
今生きている人を調べるために古文書を調べる。日本で生きてきた俺にはない感覚だ。しかし的外れなことではない。今のセラスではない。昔のセラスを知る意味では、有効な手段だ。神は1つの時代を飛び越えて生きる。
この世界の技術レベルからしてセラスの人生が残っているのは文献だけだろう。
「絶対神セラス様に関する昔の文献は結構な数があるのです。その中でも私が気になった内容があったのは【絶対神、降臨記】です。降臨記にはこうありました。最初、この世界に現れたのは天の使徒様であったと。天から現れ、そのあまりの強さに、この世界の者たちは服従を誓ったのだと」
「天の使徒? それが最初人の前に現れた?」
「はい。今から700年ほど昔の話です。まだこのレッドがこの世に影も形もなかった頃。この国には魔王が現れ、世界はずいぶんと混沌としていたそうです。地割れや地震が頻発し、世界が滅びるのもそう遠くない日だと昔の人はずいぶんと悲惨な状況を嘆いていたようです」
「今は大丈夫なんだよな?」
「はい。今はそういう話は聞きません」
玲香から何もしゃべるなと言われているのだろう。州王テオは【管理球】のある聖霊殿へと、黙々と歩いていく。お城の廊下を歩くと、冷たい石の床の音が響く。光は窓から差し込み、薄暗い廊下を照らしていた。
人払いを命じたせいか静けさの中、足音だけが響き、時折、遠くから聞こえる扉の開閉音が耳に入る。廊下の両側には、いくつかの部屋のドアが並んでおり、その一つからは微かな声が漏れ聞こえる。
廊下の終わりには、階段が見え、さらに地下へと続いていた。階段は石造りで、ひんやりとした空気が漂っている。足を踏み出し、黙ったままの州王テオに案内されるまま少しずつ下へと進むと地下は暗かった。
俺は見えるが、王妃は見えにくい可能性もあるかと、手のひらから光の魔法を発動させた。柔らかな光が広がり、石の壁や階段を照らし出す。影が踊る中、はっきりと見えるようになり、進む道が明るくなった。
俺はさらに興味があったからセラスの話を促した。