軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三百二十九話 桜の木の中で

「どうぞこちらへ」

何かあるのかと俺は先に歩き出した桜千の後について行った。桜千は屋敷の奥の方へと歩いていく。米崎たちはついてこず、そのまま廊下を歩いていくと枯山水の庭園が見えて、廊下から降りる。さらに枯山水の庭の上を進む。

整えられた砂利を荒らさないように"浮かんで歩く"。庭園の奥の方へと入っていく。奥には美しい桜並木が続いており、ちょうど満開の時だった。いや、違うか。季節的に桜の季節ではない。きっとこの桜は年がら年中咲いてるのだろう。

その千年郷の中央にある桜の大樹が、空一面に蓋をしている道を桜千と2人で歩いていく。美しすぎて怖くなってくるほどの光景なのに、千年郷の中心部は一部の人間以外立ち入り禁止になっていて、他に誰も来るはずもない絶景。

「いかがでしょうか? ロマンチックな道でしょう?」

「お前と2人じゃないならな」

「おや、そこには議論の余地がありませんね」

造られた道具であるはずの桜千は会話を楽しんでいるようだ。そのまま舗装もされていない土の道を歩いていく。目の前には巨大な木の幹、いや、どこまでも高く横に広がる絶壁があった。【千年郷】のどこからでも見える巨大桜。

その根元の部分だ。

「どうしてこの場所に?」

「主様。私はここに何があるか管理し続けていたのでもちろん存じ上げております。しかし、主様がここに入る時、創造主様より『これより先にはついて行くな』と言われております。もちろん主様の許可があれば進めますが、創造性様がそうおっしゃるのであれば、その方が良いのかと思います」

「どういう意味だ?」

「残念ながら、創造主様には自分の目で確かめるようにと。つまり私の言葉は余計かと思います」

「……」

目の前には何をしてもびくともしないあまりにも巨大な木の壁があるだけだ。先に進むと言っても道などなかった。

「どこ——」

「主様。私はあなた様と出会えてどれほど嬉しかったことか。きっと"彼女"もそうだったと信じております」

俺が『どこに行けというんだ?』と言いかけて、その前に桜千は目の前の木の幹に手を当てた。そうすると幹が蠢いて細い穴ができる。それが広がり人が通れるほどの道を造った。その道は桜の大樹の中心へと続いているようだ。

「どうぞお進みください。どれほど時間がかかっても構いません。私はここでいつまででもお待ちいたしております」

うやうやしく礼をした桜千に促された。俺は何のことかと訝りながらも、そのまま木の壁とでも呼ぶべき幹に開いた穴へと足を踏み入れた。少し進んだらすぐに後ろの幹の部分がしまった。完全に誰も入れないようになった。

不思議とほのかな優しい明かりに照らされている空間。

桜の木の香りが鼻腔をくすぐる。

俺はその中を奥へと入っていくことにした。

《レダ。いるか?》

《いるぞ。桜の大樹には私もお前の一部と判断されたようだ。だが少し静かにしておこう。こう見えて無粋なことは嫌いなのだ》

そう言ってレダも黙った。なんとなく嫌な予感がしてくる。道は想像以上に奥へと続いていた。富士山の裾野の部分がそのまま空に向かって伸びあがって、桜の大樹を作り出したような大きな幹を持つ。

どこまでも道が続くことにその中に入っているのだと思わされた。木の中とは思えない長い道の中で次第に細い木の根が多く見えるようになってきた。不思議だった。中心部に近づくほど細い木の根が多くなっていく。

それがまるで何かの機械の回路のように見えた。ここはきっと【千年郷】の本当の中心へと続いているんだ。千年の都の中心部。木の根はどんどんと細かくなっていく。時々淡く緑色に輝いている木の根が機械の輝きに見えた。

木の全体が生きているように脈打ってゆっくりと明滅する。通常であればこんな巨大な木。中心部は腐り果てて空洞になっていてもおかしくない。そもそも地球の物理学で言えば、こんな化け物のような木は存在できない。

自重を支えることすら困難だし、隅々まで栄養を行き渡させることも困難だ。だから枯れ果てているはずなのだ。それが中心に向かっていくほどに、生命の力が満ち溢れていく。俺はその中を怖がるようにゆっくり歩いていた。

急げばこの距離でも一瞬だと思ったけど、急ぐことが本当に怖かったんだ。

人は結果など永遠に知らなくていいなら幸せでいられる。

でも人はいつも自分がしたことの結果を目の前に見せられる。

なんとなく予感がしたんだ。

一番重要なはずなのに出てこない彼女の名前。

桜千が明言を避けた彼女の名前。

そして千年郷の創造主は彼女との因縁が深いと聞き覚えていた。

「もしかして翠聖様はここに……」

やがて俺はたどり着く。

そして現実が目の前にいた。

「迦具夜……」

目を閉じて死して尚、この世のものとは思えぬ美しさ。

その体は大木の幹の中に半分以上埋まっていた。集積回路のように木の根が複雑に入り混じり、迦具夜の体とつながっている。ゆっくり迦具夜の前まで歩いた。そして冷たくなったはずの頬に触れる。不思議と熱がある。

わずかに生きてるのかと期待してしまう。それでも魂を見ればわかる。すでに肉体から離れ、それなのに空中をさまよったままいる。迦具夜の魂が桜の大樹から力を分けてもらい、人の形を取り、木の根が這い回る床の上に立った。

迦具夜の魂が俺のそばへと近づいてきた。

〔しゃべれるか?〕

俺は尋ねる。魂にちゃんと聞こえる声を出した。

〔……不思議な人。どうしてわかるの?〕

迦具夜は驚いてるみたいだった。

〔もっと強くなりたくてさ。真性の悪神と一緒になった〕

米崎にも隠した。それでも迦具夜にまで隠す必要があるとはどうしても思えなかった。

〔ふふ〕

彼女は思わず笑顔になる。

〔そんな私でも呆れるような悪いことしちゃって、どうなっても知らないわよ〕

〔自分でもそう思うよ。だからずっと一緒にいてほしかった〕

〔……本当?〕

寂しそうにつぶやいた。

〔もうだめか?〕

〔母がね〕

〔母?〕

誰のことだと首を傾げる。

〔翠聖のことよ。私のお母様〕

〔そうだったの?〕

今まで聞いてきた言葉の中で結構上位に入るぐらい驚いた。

〔そうなの。驚いた?〕

〔驚いた〕

〔最後に驚かせることができてよかった〕

〔母親が本当に翠聖様?〕

〔ええ、そうなの〕

〔翠聖様って旦那さんがいるの?〕

〔驚くのはそっちなの?〕

〔いや、ごめん〕

この場で一番必要のないことを聞いてしまった。そんなことよりもっと大事なことがあるんだ。

〔あのさ!〕

〔生まれた頃、翠聖はね。私にとても甘かった。たとえ真性の神の子供でも、ダンジョンの中では優秀である保証はない。大抵は普通に100年で死んじゃう。それが私はどういうわけか結構優秀でね。母はずいぶん私に期待したの。ひょっとすると神になり、母と共に生きてくれるかもと〕

〔……ともに生きる〕

【千年郷】の中で少しだけ翠聖様と話した。その時の翠聖様は奇妙なほど迦具夜を気にかけてるように見えた。子供だったからなのか。

〔私、結構あの人には反発したわ。私の好きなようにしていいと言ったのに紹介した男が死んだからって怒り出したり、ものすごく痛い罰を与えてきたりね〕

〔それは迦具夜がやりすぎだよ〕

〔そうだったのでしょうね。でも、当時の私はね。こんなの母親じゃないと思った。だから私本当はうさぎの耳があるのだけどね。取ってしまったの。それ以来あの人とはあまり口を利いてない〕

〔親子関係なんてうまくいかない時はそんなもんだ〕

父親の顔が脳裏に浮かぶ。結局あの人は俺の中にいつまでたっても劣等感を見出していた。母親と似ていたという俺の顔。ただでさえ冴えないと思っていた自分の顔が、父親に嫌われる度に余計に嫌いになった。

〔このことね。知ってる貴族も多いけど、あの人を怒らせたくなくてみんな口にしないわ。ましてや親子だと言うとすごく怒るの。ひどいでしょ?〕

〔どうかな……。翠聖様、妙に迦具夜にこだわるんだなって思ったことはあるよ。嫌ってるように見えて好きだったからなんだね〕

〔ずっと余計なお世話だと思ってた。厳しい母で、とても窮屈だった。でもクリスティーナとミカエラの記憶を見てね。500年も生きてるくせに少し後悔した〕

あの2人の記憶は、どちらも両親とは思い合っていても一緒にいられなかった記憶である。それが故に2人の人生は大きく歪んだ。それを見て、迦具夜は何か考えたのだろうか。

〔ねえ、祐太ちゃん〕

〔うん?〕

〔ここは最後にあの人が私に与えた場所。この中にいる限り私は永遠でいられる。体の代わりも桜の大樹がしてくれるの〕

〔じゃあ生き続けられるの?〕

翠聖様はかなり甘い神様なのだなと思えた。およそ人の想像できるあらゆることができる神様。それなのに子育てで悩んだとは少しおかしくも思えた。

〔ええ、この千年郷が存在し続ける限り、生き続けることはできるでしょうね。でも、その気はないの〕

〔どうして?〕

〔まだ反発しようなんて子供じみた感情じゃないの。本当よ。でも、ここに私がいたところでやるべきことはない。ただ生きてるだけでは意味がない。そうでしょ?〕

〔それは分かるよ〕

俺の中にもその思いは強烈にある。だからこそ、ただ生きてるだけの自分が嫌で、必死になって生きて、そして、ここにいるんだ。

〔私ね。クリスティーナと混じり合って、私には望んでも得られない美しさのある子だと思った。でもミカエラは私と似てる。悲しすぎて醜くなってしまった子。美しさは姿だけではダメなの。自分の思いのまま何をしてもいいわけじゃない。私とミカエラはたくさんたくさん醜いことをしてしまった。だから醜い私たちが隠れて綺麗なクリスティーナに全てを託したい。この子たちと一緒になってからそう思うようになってきた〕

〔美しくあろうとしたい?〕

〔そうよ〕

久兵衛を見た時も思った。人は生きられるから生きるのではなく、生きたいと思うから生きる。迦具夜は、きっと、もう、"生きたい"と思ってないんだ。自分の命に美しさを保ちたいのだ。それは彼女らしい贅沢だと思えた。

〔どうしたい?〕

〔完全に消えるのは怖いのよ。そんな潔くなれないわ。あなたに対する未練だらけ……あなたとの子供が欲しかった。100年でも200年でも1000年でもずっとずっと一緒に好きだって言われたかった。でも……〕

〔うん〕

〔完璧に消えることもできない弱い私……〕

〔俺も未練だらけだ〕

〔もっと早く……〕

何かを口にしようとして、迦具夜は寂しそうに首を振って言うのをやめた。そうすると魂が体の方へと戻っていく。そして迦具夜が"彼女の後ろへと隠れていく"。

迦具夜の木の根に繋がれた体。

木の根が絡んでいたのがほどけていく。

木の根から本来なくなっていたはずの生きるための力をもらっていたのだろう。それが離れて、迦具夜の体が消えていく。迦具夜が死ねば、もう半分の体の持ち主。

半分が消えて"半分"が形を戻していく。

もっと早く起きていたことを少しだけ翠聖様が遅らせた。

「迦具夜……そうするって決めてたもんな」

迦具夜の時間が終わりを迎え、再び"クミカ"の時間が動き始める。

「おはようクミカ」

プラチナブロンドの髪の毛の中に水色と黒色が少しずつ混じった。元の顔よりも少しまた変化している。迦具夜にも少し似ている気がした。迦具夜からかなり力を受け継いだのか、俺と同じレベルまで来てる。

3人それぞれが混じり合い群青色のゴスロリ服を着ていた。ゴスロリ服は3人とも気に入ったんだな。体を支えているとゆっくりと腕の中でクミカの目が開いた。迦具夜が死んだ気はあまりしなかった。

レダから魂についてとことん教えられ、迦具夜とミカエラ、それぞれ2人がクリスティーナの後ろで眠っているのが見えた。

「おはようございます祐太様」

「また会えると思わなかった」

俺の手から離れ、立ち上がるとクミカは俺の足元に来て跪いた。

「幾久しく、あなた様が生きている限り我ら三位一体となり、永遠の忠誠を」

「そんなことしなくていいよ。クミカ。あの時は本当にごめん。またよろしくお願いします」

「祐太様……」

なぜかお互いに泣いて抱きしめ合う。

「祐太様。再びお繋ぎしても?」

クミカはどんな時でも俺と心をつないでいたい。その思いは迦具夜を取り込んでも全く変わらないようだ。クミカの考えていること、そして俺の考えていること、全てを繋ぎ合わせる。そのことに反対する意思はどこからも生まれない。

伊万里以外のすべてから嫌われていた自分が、これほど必要としてくれる存在がいる。心の全てを見せてもそれでもいいと思える。ただそれでも慎重にならざるを得なかった。俺の中には"あいつ"がいる。

《レダ。問題は起きないか?》

《問題はあるまい。【意思疎通】を心の奥底まで繋ぐといっても、私と接触するわけではない。お前の意識から私の声が聞こえてしまうだろうが、お前がそれを望むなら私はそれを拒む理由がない。お前の生き方がそうであるならそうせよ》

《わかった》

レダからの強烈な瘴気を気にしたが、大丈夫なようなので安心した。俺自身もクミカと心の何もかもをすべて開いている状態を安心している。あの状態は不思議な安心感があった。

「クミカ。おいで、また一緒になろう」

「祐太様。ありがとうございます」

抱きしめたまま【意思疎通】を決して離れないようにつなぐ。クミカという存在が心の中の隅々まで染み込んでくる。お互いがお互いの心の中で知らないことが何もない。全て知っている。それで安心する。

今までよりもまた一つ心が安定していくのを感じる。この感覚は、ある意味、肉体の交わりよりもはるかに大きな幸せを感じさせた。それと共にレダとの記憶にクミカが触れる。時の狭間で経験した魂のものとはまた違う。

レダの存在。そしてどれほどの悪神か。俺が認識している限りで理解する。クミカはそれを驚くことなく受け止めた。善でも悪でもなく。クミカはいつもただ俺を受け入れる。

《レダ様、ご迷惑ではありませんか?》

《問題ない。私はこいつをずっと見ていたい。それが私の命の至福。そして六条祐太は私が今まで見たことのない一面をたくさん見せてくれる。私はそれをむしろ楽しんでいる》

《では、これより長い付き合いとなると思います。どうか、よろしくお願いいたします》

今まで以上にクミカの中にミカエラと迦具夜が感じられる。そしてレダもいる。自分はこの4人に頼りながら生きてる気がする。それを自覚しながら顔を上げた。桜の大樹の中心部の部屋を見渡す。

木の根が複雑に絡み合った奇妙で神秘的な部屋。なんだかその部屋自体にも後ろ髪を引かれる思いをしながらも、俺は桜の木の外側へと歩き出した。