作品タイトル不明
第三百二十三話 永遠の狭間
長く長くあまりにも長く眠り続けていた感覚。なぜそんな感覚がするのだろう。自分は一体何をしていたのか。思い出そうとする。そうすると小さな本当に小さな小人となった女を体内に受け入れたんだ。
それがあまりにも毒性が強すぎて、耐えきれずに受け入れたあと、苦しんで、苦しんで、苦しみ過ぎて俺はそこから覚えてない。それぐらい強烈だった。かなり苦しみもがいたので、そのことだけは覚えていた。
頭が割れるように痛く自分が内側から腐り果てていく。腐った体の中身が口と目と耳から吐き出されていく。どれだけ吐き出してもそれよりももっと酷く体が腐っていく。弁財天たちと一つになった時とは比べ物にならない苦痛。
どれだけ体を再生しようとしても追いつかない。再生しようとする先から体が腐る。いやそんな表現すら生ぬるい。自分というそのものが死に絶えていく。そして自分は選択を誤ったことに気づいた頃に後悔とともに意識が途絶えた。
〔……生きてる〕
だがぼんやりとした意識が残っている。というより意識が生き返った。形も残らないぐらい壊れたものが、ゆっくりとゆっくりと目を覚ましてきた。
〔ようやく目が覚めたか〕
〔誰……〕
何かを考えようとする。でも、どうしてもそうすることができない。考えるための大事な何かが自分にはなかった。
〔まだ深く考えるのは無理か。ゆっくり眠るのだ。ここでは時間は存在せん。私とヌシがいるだけ。どれだけ時間をかけてもいいのだ。その間に私もこの体に合わせた心を組み直す。それがレ……〕
眠ってもいいと言われてそのまま眠ってしまった。赤ん坊というのはこういう感じかもしれない。小さい頃、どれだけ起きていたいと思ってもすぐに眠くなってしまった。まどろみの中、揺り籠で揺られている。
〔最初の加減を少しだけ間違えた。それでお前は死んだ〕
声が響いてくるのはやはり女の声に思えた。相手は男だったようにも思う。あるいは老人だったようにも思う。ひどく意識が朦朧としたまま蘇ってこない。ただ自分が死んだという言葉だけが頭に残った。
〔お前は誰?〕
〔まだ無理か。想像以上に時がかかるな。どれほど経つのか。私でも忘れてしまったぞ〕
〔ここは……俺は……〕
〔慌てるな。ここには時間が存在しない。いくら眠っていてもいい。自分を造り直せ。私も手伝ってやる〕
〔俺は……俺は……〕
〔もう少し、もう少しだ〕
〔自分の名が分かるか?〕
〔六条祐太……〕
〔そうだ。よく思い出した〕
まどろみの中、意識が少しだけはっきりする。その中で俺は目の前の女性のような存在に尋ねた。
〔俺は死んだのか……じゃああの世にいるのか……〕
半分眠り続けたまま時間だけが過ぎていく。時間がないと言っていたけど、考える行為は、時間が存在しないとできないから、時間はあるはずだった。少しだけ考えのようなものを起こすことができるようになってきた。
〔確かに死んだが、ここは限りなく果てのない時の狭間。ここで誰が死んだところで魂が還る場所とてない。だから、ここでは体の再建さえできれば生き返るのはさして難しくはないことだ。一度壊れたお前の体も私が1から造り直してある。瘴気にも少しだけだが強くなるようにしておいた。私とお前に馴染むようになっている。少しずつ少しずつ慣れて行け。ここでは時間は無限にある〕
〔無限〕
〔そうだ。無限というよりも時間がないのだ。時は前にも後ろにも進まない。だから時は無限にある〕
〔じゃあどうして考える?〕
〔時の狭間に我らがいるだけの場所を造ってあるのだ。この中でだけ時間が進むようになっている。しかし外には何もない。外という概念もない。お前に理解するのは難しいかもしれん〕
〔時間があるなら寿命もあるんじゃないの?〕
自分は誰に尋ねているのだろう。それすらも曖昧に感じるほど奇妙な世界。生きているようで死んでいるようにも思える。どうしてこれほど意識がはっきりしない。そう考える先から自分が考えていたことも忘れていくような。
〔尋ねたまま眠るとは仕方のない子供だ。いや、魂だけで意識を造り出せただけでも僥倖か。六条祐太。もっと時間をかけるのだ。でなければ私がお前の中に棲むなど不可能なのだから〕
〔不可能〕
〔また、起きたか。私の魂も徐々に女のものへと変化してきている。私がお前に合わせる。お前は何も変えるな。変えてしまえば女神の寵愛を失う。それでは何の意味もないのだから〕
〔何も変えない〕
〔ようやく10分の1ほどか。まだ時間がかかりそうだ。私も魂だけでは何ができるわけでもない。ゆっくり、ゆっくり、ともに時を過ごそう〕
奇妙に優しく聞こえる声。小人の恐ろしげなお爺さんのはずだった。それが優しげな母のように変化していく。
元からそうであったように。いや、俺がずっと一緒にいて受け入れやすいように、最初に見たあの姿からまださらに変化してその変化に自分を定める。このレ——……にとってそれほどルルティエラという存在……。
〔たったこれだけを決めるのにどれほどかかったか。挙句の果てに最初の女の姿で良いとか。さすがに苦労を返してくれと言いたくなる〕
〔ごめん〕
〔いや、まあ構わん。それよりも魂は馴染んできたか? 今で10分の3ほどだ。体のお前はお前のままで強くしたのだが、うまくいきそうか?〕
心の底から心配している。この存在は俺がうまくいくことに、自分の全てをかけたのだ。俺がうまくいかなければ自分の命すら意味がないとすら考えている。それは母親のような心配の仕方に思えた。
〔少しずつ馴染んできてるのは感じる。時間が経っていくことも感じられる〕
自分はどうして生きているのだろう。おそらく寿命など遥か昔に終わりを迎えている。それぐらい時間が経ってしまったように感じる。それこそ俺がかつての"彼女"と同じように老人になりはてるぐらいでは、済まないはず。
ここには時間がなくても、彼女の造り出した空間の中では、時間が経過しているのではないのか?
〔俺はどうして年を取らない?〕
そうだ。そもそも年など取っている気がしなかった。
〔寿命というのは肉体に宿るものだ。魂には宿らない。魂には老化システムはなく寿命がないのだ。ゆえに、お前の体は時の狭間で永遠に停止したまま。魂だけがこのように目を覚ましている〕
〔そんなことができるの?〕
便利だなと思った。
〔かなり魂だけで考えられるようになってきたな〕
〔魂は永遠と言うけど、本当に死なないの?〕
〔死ぬことはない。だがデメリットはある。肉体はやはり必要なのだ。そもそもこの状態ではあらゆる力を使うことがかなり難しい。それはたとえ私といえどもほとんどの力が制限されるほどだ。この世に干渉するための力というものは魂だけだと非常に扱いにくい。ゆえに肉体というものが必要になる〕
〔今はそれを眠らせて、お互い魂だけの状態となってるの?〕
〔うむ、そうだ。よいぞ。自分でも考えられるようになってきたな。多少、幼児退行しているようだが、それもじきに収まる〕
〔ここは永遠……〕
〔永遠という存在の中では、時間という概念がどれほど過ぎ去ろうと非常に曖昧にしか感じられないもの。お前はその中で私に慣れてゆき、私もその中でお前が好む若い女の魂へと変化させていく〕
〔そんなに若い女が好きなわけじゃないよ〕
〔お前の魂は若い。若い魂は若い魂を求めるものだ〕
〔それでいいの?〕
〔良い。若い女を求めることは恥じることではない。それに私とて長き時を生きるには老成した魂の方が便利が良いのでそうしていただけ。今はそれが必要なくなり、私がお前に合わせてやると言ってるだけだ。まあ私も外側を変えたことは何度もあったが、魂まで変化させたのはこれが初めてだがな〕
〔何か違うの?〕
〔お前にとって必要だっただろう。お前は元の私の姿だとかなり抵抗があったようだしな。上っ面だけ変化して老人が、女子だと言ったところで到底受け入れられまい〕
〔それは確かに嫌だな……〕
〔好みの名はあるか? 前の名のままではさすがに女とは思えない〕
〔自分で決めたらいいじゃないか。俺はお前の力を借りたい。それだけのことだ。名前にまでこだわる気はない。それにお互い肉体的なつながりが欲しいわけじゃない〕
〔ではこれより後、私の名は"レダ"としておこう〕
〔レダ……。ガをダに変えただけ? レダ……〕
〔魂だけの状態で記憶ができるようになってきたな。良い傾向だ。魂を強く保つのだ。そうすれば私と共にあっても耐えられるようになってくる。それはお前が私を受け入れた最も大きい理由である"強さ"へと繋がるだろう〕
レダ。レガ。そうだレガだったとようやく思い出せた。以前の名前を一文字だけもじってる。それでいて名前の変化によって老人から若い女になった気がする。レダにとってこれは生まれ変わりなのだろう。
古い体が死に新しい体へと宿る。そして名前も体の構成も、性別すらも全て変更される。真性の悪神。それは魂をリセットさせることなく、記憶を継承したまま、自分で生まれ変わることすらできるか。
〔今でどのぐらいだ?〕
夢の中で母親に甘えるような気分で、レダに甘えていたのが、完全に収まる。この状態でも意識をはっきりと保てるようになるほどに、実際どれだけ時間が経っているのか気になった。
10年、20年ではないはずだ。100年、200年、いや、1000年か2000年か。それとももっと長いのか。
〔この状態で時間の経過を問うのは無駄だ。私とてどれだけ経ったのかわからない。1年、2年であってもおかしくないし、もっとはるかに長い1億年の年月が流れていたとしてもおかしくない。時間の経過とは限りがあるから意味があるのだ。永遠にはその意味がない〕
〔……じゃあ俺の体がレダに馴染むのはどれぐらいだ?〕
〔10分の9だ。うまくいくかどうかは賭けだったがかなりうまくいった。ここまでくれば私の肉体とお前の肉体が触れ合ってもおそらくもう大丈夫であろう〕
完全にレダの声が変化していた。老人から男に、男から女に、そしてその女としての自分を確立させたようだ。それは長い長い時間を必要とした自分の命の形の変換……。
〔執念だな。感心するよ〕
〔私には望むものがある。だからどうしてもこれが必要だったのだ。ルルティエラ様。私のあの方への忠誠は永遠に変わらない。そして私はあの方のことこそ一番理解したい〕
〔理解……〕
その思いは俺の中にもある。ダンジョンなどというものを創り上げたあまりにも大きな存在。どこまで追いかけたところで追いつくことがないと思える。でもなぜルルティエラは俺を気にかけるのか。俺もそれが理解したい。
〔六条。もうきっと平気だ。肉体を起こすぞ?〕
〔分かった〕
今まで見えなかった瞳が開く。右手が動く。左手も動く。指先に感覚が戻る。両足も自分のお腹があるということも感じられる。そして頭の中で考えるという行為がどういうものだったのかも思い出せた。脳みそがない状態で考える。
その奇妙な感覚をずっと続けてきた。おかげで自分の存在というものに対する認識が依然とは比べ物にならないぐらい深まった気がする。それが自分に対してどれほどの恩恵をもたらすことなのかはわからなかった。
自分の魂の形を自覚した。どこにあり、どういう風に存在して、そして俺の魂の色はどういうものなのか。一番の懸念点だった悪神側に染まるのではないか。その心配をしていたが、大丈夫だ。俺の魂は綺麗に保たれている。
「よく俺をレダの方へ引っ張らずに、俺の中にいることができたんだな」
口が聞けた。声が出たことに驚く。声がどういうものだったのか急に思い出した。そして見るということも思い出しながら、自分自身と周囲を確認する。シルバー級専用装備である【焔竜・華】を完全な形で装備していた。
まだ彼女の時間は止まったままのようだった。目覚めた様子がなく、装備にも力が感じられない。ここで目が覚めているのは俺とレダだけか。
《お前の変化をどこまでルルティエラ様がお許しになるのかわからん。本来のお前でなくなって、それが気に入らないなどと言われれば、お前に干渉したことに対するお怒りを受けるかもしれん。六条、故にこれは心よりの危惧だ。お前は自分が別人になったと思うか?》
「それは思わない。元のままだと感じる。ただ前よりは自分が……うまく言葉にしにくいが、よく理解できた気はする」
《ならばいい》
球体の魔法陣が俺の周りを回っていた。体をゆっくりと起こした。
「この時の狭間の中で俺のレベルが上がってたりするのか?」
《いや、魂のポテンシャルは大幅に修正されたが、レベル自体は上がってはおらん。お前はお前のままである。レベルを上げたければゴールドエリアへと行け。お前の大事な娘が待っているだろう》
お互いに声を発していた。レダの声は直接頭に響き、俺の声は直接口で喋ってる。俺がレガを受け入れ、ショックで死んだ後、レダは俺の体を再生させるついでに自分が俺の体内で存在し続けられる場所を作った。
そこに彼女がいるのだとわかった。俺の中のどこでもないどこか。5次元的な場所とでも言えばいいのか? 俺の中のどこかでありどこででもある。量子的な振る舞いをしているというべきか。確かに彼女は俺の中にいる。
それなのに彼女はどこかでありどこででもいるという不思議な場所を作った。彼女はこのまま俺と運命を共有し、生きていく。
「なんだかあまりにも長くここにいすぎてずっといつまでもここにいるような気がしてくる。なあ、本当に外へ出れるのか?」
《可能だ。お前を悩ませ続けた【呪怨】は消滅している。時間のないこの世界で奇妙な言い方ではあるが、時も満ちている。ただ一つ問題があるとすれば——》
「何かあるのか?」
《様々な事象が関係した結果、私以外のものに、お前はとても注目されている。無駄に監視されることを嫌うならば、工夫して出た方がいいであろうな」
「……わかった。じゃあ、いつも使ってる昔の姿にしておくよ。あの姿の俺には誰も注目しないから」
「ふふ」
何か含みのある笑いを浮かべる。何だろうかと思うが、ともかく【天変の指輪】でダンジョンに入る前の姿になる。完全に違う姿も考えたが、あまりに馴染みのない姿は戦闘時に支障が出る。
腕の振り方、足の動かし方、全て姿が違うとズレてくる。自分を究極まで理解できた今なら、対応できる気もするが、油断はいけない。わずかな違いが命取りになる。だから最も自分が馴染んだ姿にしておいた。
《さて、六条。時の狭間から出る場所はどこが良い?》
「選べるのかよ」
《このレダにそれは愚問だ。宇宙の彼方といえど行けと言えば瞬きの間に行ってみせよう》
ちょっと偉そうな女の声で自信たっぷりに言ってくる。まあ考えてみれば当然だ。相手はレベル2000を超える化け物だ。宇宙の彼方は言い過ぎだとしても、俺が想像できる大体のことはできてしまうのだろう。
「できれば美鈴たちがいる場所がいい」
《お前はやはりまず女か。それでいいのだな?》
そう言われるとなんだかダメな気もした。そしてふと嫌な感覚がする。
「ちょっと待って。考える」
10年もあっていないのだ。ないとは思うが、10年経てば美鈴は26歳だ。エヴィも26歳だ。伊万里だって25歳だ。もしかしたらみんな別の男がいるかもしれない。もしそんなことになったら俺はショック死する。
「どう思う?」
《なるほど。その心配は確かにありうる。10年も経っていればありうるぞ。凡俗にとっての10年は長い。何よりも探索者の女は性欲旺盛だ。10年も男を我慢するわけがない。すでに他の男のものというのは確かにありうる》
「うっ」
《どうするのだ?》
「さ、先に日本の様子を確かめたい。それに迦具夜のことも気になる。生きててくれるとは思うけど、通常で考えれば寿命が来てるはずだ」
《確かにな。お前と私の約束の中に含まれている女だ。私もあの女については気になる。だがその前に日本か。滅びている可能性も十分にありうる》
「レダ」
《なんだ?》
「お前ちょっとネガティブすぎない? 俺、人の意見で、意外と落ち込んじゃう方だから、できればもうちょっとポジティブに言ってほしいな」
《安心しろ。私は悪神だ。悪神とは考えうる最悪を考えるものだ》
「どこに安心があるんだよ?」
《つまりそれよりはマシということだ》
「……」
《では、まず、日本でいいのだな?》
「いいよ」
なんだかやっぱり色々と選択を間違えた気がする。でも今更後に引けないし……。女性陣がみんな浮気してたら嫌だな。そうか美鈴は俺とエヴィーが仲良くなった時こんな気持ちだったのか。
というか浮気じゃないよな。10年放置したら普通は他に男できるよな。いや、でも、伊万里は俺を裏切らない……。
「裏切ったんだった……」
《おい、座標は日本であれば何でもいいのか?》
それを聞かれて、色々大事なことがどんどんと思い出されてくる。そうだった。俺は自分のことなんかで悩んでる暇はない。自分の頬を叩いた。
「いや、池袋の俺の家にしておいてくれ。怯えてないでちゃんと1つずつ確かめていく」
「では目を閉じておけ。時空の狭間から出る時に目を開けていると目がつぶれるぞ」
「ま、マジ?」
本当かどうかは知らないがともかく目を閉じた。何かが歪む感覚。それとともに肌に空気の動きを感じる。足元に床の感触。ゆっくりと目を開けた。電気はついていなかった。でも俺の部屋だった。