軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三百十九話 Side田中 九年 鈴を訪ねて③

Side田中

僕は何事においても覚悟を決めるのが遅い。特に人を好きになることには怖がる癖がある。でもこれだけは嘘をつけない。嘘をつこうとしたんだ。でも結局つけなかったんだ。鈴さんのことがどうしても頭から離れなかったんだ。

「本当、どこにいるんだか」

「全くだぜ。よくこんなとこ探そうと思ったよな」

「はは、自分でもそう思うよ」

「俺らが来るのに1年もかかるような場所にいるなよなー」

「ジャック君。本当にありがとう。こんなところまで一緒に来てくれて嬉しかったよ」

「まあ俺は本当にあんたに惚れ込んでるからな。それより俺も野暮は嫌だ。ここいらで、もう帰るぜ」

「いいの?」

「ああ、ここまで来てしくじる田中じゃないだろう。ちと寂しいがゆっくり一人で帰らせてもらう」

ジャック君の姿が暗い闇の中へと消えていく。その闇はとてつもなく広い。一度別れて行動すればいくら僕たちでも、合流することは決してかなわない。それなのに迷わずジャック君が闇の中に飛び込んでいく。

《ありがとう。南雲君に僕もすぐ帰るって伝えておいて》

《分かった》

もう、魔法で声を伝えられる距離でもなくなり、【意思疎通】を使う。それもすぐに伝わらなくなる。それぐらい遠くに来た。下に広がるのは荒涼とした岩石が広がる大地だった。大気は二酸化炭素がわずかにあるだけだ。

こんなところまで鈴さんを探しに来た。迷わず来てしまった。そして確かにいるのだと感じる。鈴さんは悪神となっても誰の迷惑にもならないでおこうとしたのか。灰色の大地を鈴さんの気配が感じられる方角へと歩いていく。

この大地に人が足を踏み入れたのはきっと鈴さんが初めてで、僕が2人目で、長く。本当に長く。何も存在しない寂しい世界。僕が歩けばそれが足跡になった。この足跡が消えるのは一体いつのことになるのか。

普通の人が歩くようにゆっくりと歩いた。ここまで一緒に来てくれたジャック君のことはもう忘れていた。鈴さんのこと以外考えられなかった。『おじさん』と呼んでくれた鈴さんのことばかり考えてる。

「この下だ」

鈴さんの気配が深い谷底に感じられる。この下にいる。日の光が届かない暗闇。会えるんだ。僕は空中に浮かぶとゆっくりと谷底に降りていき、ここに来るきっかけとなった彼女の言葉を思い出した。

「——ジャック君。まず話し合いたいから喧嘩売っちゃダメだよ」

「大丈夫だ。でも、相手は悪神だ。黙らせる方が早いと思うぞ」

そう言いながらも後ろに下がってくれて、万が一にも僕が不意打ちを受けることがないように見張っていてくれた。そして僕自身も死ぬわけにはいかないのは分かってる。般若の仮面に触れる。

鬼女が現れてジャック君と並んで僕の後ろについた。これで万全だ。急に殺されて死にました。そういうことにだけはならないように気をつけた。

「そうかもしれないけどまず話し合いたいんだ。僕、外国の英傑の中では彼女と一番話をしてたんだよ」

【異界反応】を唱えて音もなく移動する。そして丸い地球の姿が見えた。宇宙からだと夜から朝に変わろうとしている境界線がよく見えた。日本列島を包み込んでいくように明るい太陽光が降り注ぐ。

それを塞ぐように日本の東京都には黒く淀んだ瘴気が立ち込めていた。そのまま向かう先、僕の瞳に最初の目標とした人が見えた。廃墟となった池袋の駅ビル。その屋上に彼女は座っていて僕を見上げた。

「あら田中。あなたが会いに来てくれるなんて嬉しい。今日はどうしたの?」

その人は長く会っていなかった友人に会えたと笑顔を向けてくる。覚えていたのとは全く違う妖艶な容貌。ほとんど露出のない清楚な服を着ていたのに、今はかなり露出の高い服を着ている。

全ての我慢から解放された欲望の姿。着ている服は、服というより黒いビキニのようだ。男を刺激する姿。赤くぷっくりとした唇が開くたびに誘惑されていると感じる。以前の上品な美しさとはあまりにも対極的だ。

「こんにちはナディアさん。僕とはもう10年近く会ってませんね」

「そうね。1000年生きることを思えば短いけれど、これって結構長いわね」

僕がビルの屋上に降りると、すっとそばに寄ってくる。敵意は感じられない。随分胸が大きい。そしてその大きな胸が強調されるブラジャーのような服。以前はこういう距離感の女の人ではなかったけどそのまま僕を抱きしめてきた。

胸元に感じるしっかりとした乳房。ゆっくりとしっかり押し付けてきた。

「ずいぶん何と言うかその……」

「エッチになったでしょう?」

「ええ、こんなでしたっけ?」

「心はね。でもいい子ちゃんでいたの。それをやめたの。田中はそういう部分が私と似てた。まだ自由になれないの? 私がこの体で自由にしてあげましょうか?」

僕の耳元で喋った。その手が僕のお尻を触ってくる。鬼女とジャック君が動いてない。敵意がなさすぎて判断に困っているようだった。

「遠慮しておきます。それよりここでナディアさんは南雲君を待ち続けてるんですよね?」

「ええ、私はもう誰にも自分を隠さない。自分のやりたいように好きなように生きる。誰かの顔色を伺っていい子に振る舞うのもやめるの」

耳を舐められて彼女の膝が僕の股の間に食い込んでくる。そして太腿が股間当たった。股間が大きくなる。僕は正直悪神とはほとんど関わったことがなかった。だからどういう存在か本質的に理解できてなかった。

でも今、彼女の女体の柔らかさをしっかりと感じてよくわかる。欲望に忠実になり、それを突き詰める存在。僕のように鈴さんを好きだと思いながらも、南雲君や本来の自分の年齢につりあった愛里沙さんとのことも考える。

そういう状態ではないのだ。神と悪神。カードの表と裏。ほんのわずかな違い。そう思いながら彼女の肩を押した。そうすると彼女の体が離れた。彼女の一挙手一投足が欲望を刺激する。強烈に湧き上がるリビドー。

それを息を吐いて逃がす。まず話し合うべきだと口を開いた。

「南雲君は元気にしてますよ。あなたがそうなったことを残念がっていました」

「嘘ばかり言うのね。南雲は私に一度も会いにも来ていないじゃない」

その言葉は本当に寂しそうに見えた。

「……南雲君は日本を背負ってます。彼らしくもないことだけども背負ってます。あの南雲君が、僕にちゃんと言ってからじゃないと出かけもしなくなった。卯都木さんに鈴さん。もうこれ以上英傑がいなくなったら日本は終わるからって」

「面倒な話ね。私は全てを捨ててとても楽になったわよ」

「そんなわけにはいきませんよ」

ナディアさんを責める言葉はいくらでも見つかった。でも誰もが落ちる姿だとも思えた。何かふとした瞬間に全てがどうでも良くなる。何もかも壊してみたくなって、壊したら誰もいなくなって、一人になって寂しくなる。

人は誰かに縛られて生きるぐらいがちょうどいい。僕は鈴さんと愛里沙さんに縛られて、そして南雲君と日本のことを大事に思って生きたい。彼女とは生き方が違う。でも今僕の心の中には鈴さんがいっぱいだ。

それでも彼女とは違うのだと言い聞かせた。

「あなたも南雲もこっちに来れば楽なのに。明日のことなんて何も考えずに生きればいいだけよ。自分の衝動のままに狂気のままに」

「そんなわけにいかないのが人でしょ。きっとあなたもそうだ。悪神になったとはいえこれから1000年生きるんだ。長く生きるようになれば、人の 理(ことわり) から外れすぎることができなくなる。悪神であっても支配種族ができれば統治も考えなきゃいけなくなるって話ですよ」

「残念。私そんなに長生きは望んでいないの。眷属も何も作らないわ。 夜叉神(やとのかみ) も自分の好きに生きてる。私は私の思うままに一人で生きる」

「月の魔女。あなたはそんなに強くはきっとなれませんよ。本当はメトさんのことも後悔してるんじゃないんですか?」

「それで何の用?」

少しイラッとしたように見えた。悪神に会いに来る人などいない。かつて慈愛の女神と言われ、会いに来る人などひっきりなしだった彼女が、自分の自由の為に全て自分の手で殺した。誰よりも愛してくれた男さえ。それはとびきりの悪だ。

「無理してませんか?」

だからそんな言葉が出た。

「同情するみたいに見てくるの不快だわ。私が自分で望んでこうしてる。あなたにそんな目をされる理由はないはずでしょ。それなら間違っているって殺しに来なさいよ」

「……できればそれはしたくない。僕はあなたのこと嫌いじゃありませんでしたから。南雲君もきっとだから余計に悩むんだと思いますよ」

「うるさい!」

なぜか彼女は攻撃してこない。池袋の駅ビルの屋上に立って挑発的に僕を見つめたままだ。それだけでも助かった。戦いになると悪神との戦闘が禁止されている僕はジャック君に任せるだけになってしまう。

「ナディアさん。鈴さんの居場所って知ってますか?」

「ふふ、ああ、そう。あなたあの子を探してるのね。そういえば何年前だったかしら……見たわね」

その言葉の瞬間全身の毛が逆立ち、僕はパブロフの犬みたいに反応した。

「知ってるんですか!?」

「知ってるわ。鈴ならここにいない。悪神になった時にね。寂しそうな顔で最初にここに来たの。言ってたわ。『誰も来ない1人になれる場所はどこかにない?』って」

ジャック君は黙ってくれている。僕は感情が表に出る。何年も鈴さんの心配ばかりしてる。おかげで愛里沙さんにも逃げられた。たったの1つの言葉だけでこんなにも心が痛くなる。でも同時に嬉しさがこみ上げて溢れ出そうになる。

鈴さんが生きてる。生きてるんだ。生きてるなら絶対にこの命に変えても会いに行く。南雲君に死なれると困ると言われているのにそんなこと頭からふき飛んでいた。寂しいと思ってるなら今度こそ僕は鈴さんを離さない。

自分はこんな年だし、若くて可愛過ぎる鈴さんに夢中になってはいけない。そう言い聞かせてきたのに。

「どうしてかしらね。あの子も男に振られたんだって私気づいたの。だから教えてあげた。『空にあるどこかの星の一つにでも住めば誰も会いになんて来ないわ』って。私たちならそれが可能だもの。『あんまり寂しいなら月にしなさい。私がたまに会いに行ってあげる』とね。でも彼女は首を振ってたわ。だから、どこに行ったのかは知らないわ」

「お、おいおい、嘘つくなよ。実力行使でもいいんだぜ?」

ジャック君が声を出した。でも僕はそれを手を出して止めた。

「ナディアさん。本当のことですよね?」

「信じるか信じないかなんて私が言ったところで仕方がないでしょう」

「それもそうですね……」

「信じられるわけないわよね? 私は悪神。あなたたちの敵対者だものね」

「ありがとうございます」

でも僕は素直に般若の面をかぶった頭を下げていた。

「お礼に南雲君に『一度会いに行ってあげてほしい』と伝えておきます」

「田中。私のこと信じるの?」

「信じますよ」

「バカでしょ」

「それがバカなことかどうかは鈴さんと会えばわかりますし」

「永遠に会えないかもしれないわよ。いくら私達でも空は広い。あの子が本当に誰にも会いたがってないなら探すなんて不可能だわ」

「それでも、もう迷えませんから」

僕はそう言うと足を浮かせた。

「おい!? マジで行くのか!?」

「はい。南雲君に『鈴さんを見つけたら帰る』と伝えておいてください」

「いやいや、そんなの無理だろ。いくらなんでも遠すぎるって。どこを探していいかも分からないんだぞ。この女が言ってることが本当だとしても、1年や2年で見つけられるようなもんじゃないぞ!? それこそ1000年かかっても無理かもしれない!」

「だって鈴さんはきっと僕を待ってくれてますよ。それならきっと会えます」

何故か今は自信が持てた。

「マジかよ」

「マジですよ」

あんなに悩み続けるぐらいなら動いた方がましだと思った。悩みすぎてみんなが言うからと惰性のように動いて、生きてるのか死んでるのかわからない。そんな状態で生きてる意味などなかった。

「じゃあ俺も行く。どうしても見つかりそうにない時はあんたを引っ張り戻す」

僕はどんどんと空へ浮かんでいく。ジャック君はかなり考え込んだようだが、僕についてきた。実を言えば千代女さんの姿は確認できないが、多分見張ってると思った。だから彼女に声をかけておいた。

《千代女さん。いますか?》

《はい。いますよ》

やっぱりいた。豊國さんじゃどこまで一緒にいるか分かったもんじゃないし、ジャック君じゃ僕のことが好きすぎて見張りにならないもんな。

《もしも僕が何年経っても帰らなかったら南雲君に『ごめんなさい』と言っておいてください。もちろんジャック君だけはできるだけ早く帰します》

《バカですね。悪神の言葉を信じたがために、あなたの1000年が全て無駄に消費されることになるかもしれませんよ。ナディアさんにとっては最も効率的にあなたを殺す方法かもしれません》

《でしょうね。でも行ってきます》

《……》

千代女さんは何も言わなかった。以前の彼女なら100%止めたと思う。でも止めない。それが不思議に思えた。どんどんと地上が遠ざかっていく。ナディアさんの姿も見えなくなっていく。そうするとナディアさんが口を開いた。

「田中。バカな男。私はあなたを騙してるかもよ」

「その時は無駄に1000年生きますよ」

彼女は少し黙ったまま僕を見つめていた。そしてもう一度口を開いた。

「鈴がいるとすれば……多分、"火星"よ。本当に月にはいないと思う。あそこだと開発が進んできて人に会う可能性は高いから。でも火星はダンジョンが現れてから誰も興味を示してない場所。ダンジョンがある以上開発されるとしても、もっとかなり先になるでしょう。引きこもり先としてはちょうどいいと思う。それに鈴はあなたに会いたいでしょうし、絶対会えないような場所には行かないわ」

彼女はそう教えてくれた。ニコニコして手を振ってくれる。夜叉神がすっと現れて「良かったの?」と聞いている。彼女は「いいのよ」と答えると、2人でその姿が消えた。僕はもう見てないだろうけど頭を下げた。

彼女は今思いのままに生きているんだろう。僕に鈴さんの場所を教えるのも思いのままだったのだろう。彼女の何かが僕に鈴さんの居場所を教えたくなった。だから教えた。悪神。ルルティエラにこの世を壊すために創られた神。

どういう存在なのだろう。僕たちと何が違うのだろう。興味が湧いたが僕は彼女を信じて空へと飛び上がっていく。景色がすぐに青くなり黒くなってくる。南雲君ごめん。きっとすごく時間がかかる。でももう僕は迷いたくないんだ。

——ジャック君が帰り、1人で火星の大地に降りた。谷底になった部分。凍っていて冷たかった。こんな場所でも氷があるんだと不思議に思いながら、その上を歩いていく。暗くて冷たくてそんな氷の上に足を下ろす。

僕の足音は氷の上でよく響いた。ピクリと小さな女の子の背中が揺れた。黒い翼がついてる。僕の気配はもう感じてるはずだ。

「探しましたよ鈴さん。こんなところまで引きこもりに来るとは驚きです」

「……おじさん。私もう……戻れない」

「戻れなかってもずっと一緒にいます」

「でも」

鈴さんの後ろに立った。そのまま後ろから抱きしめた。彼女が震えていた。

「鈴さん。僕はあなたが大好きです。いなくなってようやく気づきました。だからあなたと一緒に生きたい」

「いいの?」

思わず彼女が振り向いた。相変わらず可愛い顔をしていた。ナディアさんと違って翼が黒いこと以外は見た目はそんなに変わってなかった。

「愛してます」

「ほ、本当?」

「本当です」

「でも愛里沙が好きだから——」

その唇にキスをした。そしてそのまま体をしっかりと抱きしめる。そうすると鈴さんはしばらくジタバタしてたけど何も動かなくなって、そしてしっかりと抱きしめ返してきた。なんとなくわかった。もう戻れないんだと……。

それなら僕が……愛里沙さん、南雲君……僕は……。