作品タイトル不明
第三百十六話 Side田中 八年 鈴を訪ねて
Side田中
僕は鈴さんのことを最初見た時、痩せ細っていてがりがりでこれは守ってあげないと死んでしまうと思った。だから本当に下心なんて欠片もなかった。それ以上に毎日家に行かないとあの叔母さんのように死んでしまわないか。
そんな心配ばかりをしていた。できるだけエネルギーになるものをスーパーで買ってきて、自炊するだけの時よりもはるかに栄養バランスを考え、料理を作る。そうすると彼女の肌に年相応の張りが出てきた。
30㎏まで落ちていた体重はしばらくすると40㎏を超え、全く分かってなかったが、鈴さんは怖いくらい最初から可愛い女の子だった。そんな女の子が僕が来ると嬉しそうにする。それどころか近くにいようとする。
僕の中に、奇妙なざわめきが起きた。最初に僕がそれを感じたのは、彼女がお風呂からパンツ一丁で出てきた時だった。
『り、鈴さん、なんて姿をしてるんですか! あなたは高校生なんですよ! パンツ一丁で男の前に出てくる子がいますか!』
湯上がりに火照った体。ほんのりと膨らんだ胸。そして綺麗なお臍に、そこから女性の大事な部分が布1枚で隔てられて存在している。女性らしい良い香りがして、不覚にもドキドキしてしまった。
『おじさんがお風呂に入れって言うから入ってきた』
『ま、毎日入ってるんですか?』
『ちゃんと毎日入ってる』
まだ感情表現に乏しく、こっちが怒ってるのに、平気で近づいてくる。そうすると火照った体から熱を感じる。そして女の子の甘い香りが強くなる。生々しい女を感じた。間違いなく彼女は可愛くて女だった。
『おじさんもお風呂に入る? 私はおじさんの体ならどこでも洗ってあげるよ?』
『そんなことできるわけ……僕はいい年したおじさんで、鈴さんは高校生でっ』
『私は全然構わない。おじさんもそういうことしたいでしょ。私もおじさんとしてみたい』
『え、えっと、あの、ぼ、僕は用事を思い出したので、きょ、今日は帰ります!』
そして、そこから僕は逃げた。女の子だと思っていた相手が、実は女だったんだと気づいて動揺した。あの小さな膨らみやスベスベの肌に触れると気持ちいいんだろうなと思ってしまった。
こんな言葉を言うと南雲君に怒られるだろうけど、純粋無垢で綺麗なものはいなくて、僕はそれを汚いと感じた。だから鈴さんから逃げた。そうすると鈴さんは、次の日からそういう行為をしないようになった。
ちゃんと服を着て僕の前に現れ、僕の前で女である部分を見せないようにした。情けないことに僕はそれに安堵した。ダンジョンに入って泊まることになっても、僕はその距離を保ち続けた。
鈴さんからは好きだというオーラを受け取っていたけど、それと向き合うことはなかった。また汚いと感じて逃げたら傷つくのが怖かった。僕だって健康的な男子で、性欲がないわけじゃなかった。探索者になってむしろ強かった。
でも思いを寄せている人もいたし、鈴さんとの関係は不純な気がして、弱みにつけ込んだようで、どうしてもそんな気になれずにいた。何よりも声をかけられた。
『——田中君って。ダンジョンについて詳しいんだよね?』
会社が帰りに飲みに誘われ、元から好きだった女上司、 葉月(はづき) 愛里沙(ありさ) さんから相談を受けた。その頃には今まで秘密にされてきていた軍隊や自衛隊が、探索者に勝てないことも隠しきれなくなっていた。
南雲君が皆殺しにしてしまった時はともかく、あちこちで探索者が問題を起こすたびに解決することができない公権力。そしてそういう時に頼るのは目には目を、歯には歯を、探索者には探索者をしかなかった。
最初こそ秘密裏に行っていたが、関わった人間が多すぎて徐々に秘密にできなくなってくる。マスコミが探索者にビルごと壊滅させられる事件も世界各国で度々起き、マスコミも自分たちを守ってくれる探索者を雇うしかなくなった。
それとともに探索者を中傷する報道も減っていた。
そうすると健康になる上に、体力も上がり、ともすれば神のごとき力を手に入れられるダンジョンに興味を持つものは増えた。何よりもダンジョンに入ったものと入っていないものでは、会社の中でも明らかにスペックが違った。
入ったものは暗記力が高く、計算能力も高く、一日中働いても平気、入っていないものがそんなことをしたら死んでしまうというようなことでも簡単にしてしまう。その結果、ダンジョンに入った方が出世にも有利になっていた。
『ええ、まあ、そこそこ詳しいかもしれません』
『レベルいくつなの?』
『365ですね』
そうすると葉月さんは飲んでいたハイボールを吹き出した。僕と鈴さんのコンビはトップ組だった。
ゴールドエリアも順調に支配が進んでおり、僕たちより上は【触れるな危険】南雲友禅、【ダンジョンに出る山姥】卯都木文子、【鮮血の雷】豊國、【暗殺大好き】千代女の4人組だけだった。
まあこの人達はちょっと別格なんだけど、僕たちも2人でゴールド級まで来たからそこそこ有名だったと思う。
『ひょ、ひょっとして鬼の田中って……』
『僕ですね』
『何で普通に会社勤めしてるの!?』
何でかと言われればお金がないからだ。鈴さんはお金がありすぎて困るぐらいだったけど、僕はガチャ運が悪すぎて働かないと普通の食生活も送れなかった。鈴さんは『おじさんと山分け』といつも言う。
でもそのお金だけは受け取れなかった。だから働いて一生懸命お金を稼いだ。もちろんその理由は会社に葉月さんがいるからも大きかった。
『あの、もしよかったらなんだけど、私ダンジョンに興味があるの』
その言葉で僕と葉月さんはダンジョンに入るようになった。それなりに良い関係を築いてこの恋は告白して成就した。その間も僕は鈴さんの女の部分からは目をそらしたままだった。僕は女性に対する美化が強かったんだと思う。
というよりもあまりにも可愛過ぎる鈴さんを美化してたんだ。だから急に女の部分を見て、それに自分も反応してしまったことに、怖くなった。そして意気地がないからそのことをいつまでも気にしている。
「情けないな」
家の中でいつになく落ち込み、それがいつまでも続いた。愛里沙さんから言われた。
『あなたは2人同時に好きになれる人じゃないのね。それなら私が身を引くわ。生きてるならちゃんと天使様を探してきてね』
せっかく結婚したのに離婚届けを残していなくなってしまった。その日から、何もかも中途半端にしてしまった僕は、何もかも手に入れられず、悩んだままで抜け殻のように生き、毎日の役目だけをなんとかこなしている。
忙しさで鈴さんを忘れようとしていた。探しに行く暇などないから仕方ないと諦めたんだ。そうした時、南雲君から呼び出された。南雲君の屋敷で、
「座ってくれ」
ソファーのある部屋に腰を下ろした。対面で座るとテーブルの上にはブラックコーヒーが置かれた。相変わらず綺麗な女の人が揃ってる。南雲君の身の回りの世話をしているのは、全員南雲君の女。
誰一人例外はなくて、全ての女性がレベル200を超えてるそうだ。そういう女性たちと毎晩のように関係を持つ。南雲君はそれが平気でできる。僕にはできない。彼の器用さが僕にもあれば……。
英傑でありながら私生活が、サラリーマン時代と同じ。仕事が変わっただけで6畳1間のアパートに暮らしてる。今でもそんなことを続けている。土地からの収入があるからその必要はもうない。でもそうしてる。
本当に僕は何をしてるんだろう。
「ちょうど良かった。僕からも南雲君に話があったんだ」
できるだけ心の中が悟られないように明るく言った。
「何だ?」
いつも仮面をかぶって顔を隠す。
「弁財天様が【千年郷】の使用許可を信長様にも打診してはどうかと言ってきてるんだ」
そうしないと心が壊れそうだった。
「それはこっちとしてはありがたいが……あっちはそれでもいいのか?」
「ああ、弁財天様は来年にも最終決戦に臨むつもりだ。信長様も弁財天様が仕上がるのを待つみたいだしね」
「駆け引きはなしか」
「ここまで来るとないみたい。どちらも大八洲国の神としてふさわしい行動をとらなければ、この国では神にはなれない。最後の最後は汚い行為は禁止みたいだ」
「まあ歴史の長い国は、仕来りがあるんだな」
「そういうことだ。それで【千年郷】の件だけは僕たちがかなり気にしているだろうと思ってくれてる。弁財天様は『信長も出身国をぞんざいに扱うことはないでしょう』と言ってるけど、『やはり正式に許可は取っておいた方がいい』と、言ってくれてるんだ」
「負けたケースを考えるのは不吉だが、確かにありがたい。どう考えても【千年郷】は今更手放せんしな。分かった。そっちは俺の方で進めておく。それで俺の用事——」
「それと【千年郷祭】の参加と、お祭りを——」
「それはいい。俺がやる。それより大事な話がある」
あのことを聞かれる。聞かれたくなかったから言葉をかぶせたが、そんな遠慮は彼の辞書にはない。みんなそんなふうにはなれないのに……。
「大事な話ですか……鈴さんのことは僕なりに」
僕なりに何も考えてない。僕はブラックのままで飲むのが好きだから、そのまま口をつけた。相変わらず良い豆を使ってる。でも妙に苦く感じられた。
「鈴のことだ」
「……」
やっぱりそうだ。逃げたいのにすぐに目の前に置いてくる。
「田中。鈴を探しに行かないか?」
「……」
「葉月愛里沙だっけ? せっかく結婚したのに逃げられたんだろう」
「……」
「お前の元嫁が俺のところに来て愚痴ってたぞ。『もうちょっと”器用”に生きてくれる方が嬉しい』って。向こうは正直3人でも良かったみたいじゃないか」
「……」
「田中。勝手かもしれんがな。俺から鈴と愛里沙、2人とも必ずお前が迎えに行くから、『ちょっと待っててやってくれ』って言っておいた」
その言葉に驚いた。思わず口に入れたコーヒーを吹き出しそうになった。というか実際に吹き出して咽せた。南雲君の何番目かのお嫁さんが布巾をくれて口元を拭くと目を見開いて前を見た。
「ど、どうしてそんな勝手なこと!」
「うるさい。そもそもお前が悪い。全部悪い。何もかも悪い。いいところが何もない」
「そんなに言わなくても、僕だって悩んで」
「悩んでなんだ? それで鈴と愛里沙。2人に逃げられたのか?」
「……」
「俺は自分の女が人に取られるのが嫌いだ。だから取られないように気をつけてる。囲った女は不満がたまらないように満足させるし、外国にいる女にも会いに行く。全部で103人いるがただの一度も誰にも逃げられたことがない」
「ひゃ、103人もいるんですか!? しかも誰も逃げないんですか!?」
「逃げないな。むしろどうやったら女に逃げられるのか教えて欲しいぐらいだ。祐太でもそうだ。俺とあれほど一緒にいた玲香は一度たりとも俺に隙を見せなかった。まあ見せたらぶん殴るつもりだったが、俺ほどいい男と一緒にいても、玲香は女を見せようとはしなかった。だが田中。お前は何をしてるんだ?」
「……」
グーの根も出なかった。103人も女がいるのに誰にも逃げられない南雲君と、10年間も留守にしてるのに誰も他の男になびかない女ばかりの六条君。そんなのと比べられたら僕なんて蛆虫みたいなものだ。
「モテる男には僕の気持ちは分かりませんよ」
「分からない以前の問題だ。鈴も愛里沙もお前がいいと言ってる相手だ。どちらもお前を待ってるんだろう。それなのに手放していいのかよ。他の男と寝てる姿なんて想像しただけで鬱にならないか?」
「ごちゃごちゃ言う資格ありませんし」
「鈴が悪神の【夜叉神】と日本にいる目撃情報がある」
「あ?」
手元にあるコーヒーカップが粉々に砕け散った。手を下ろしたらテーブルが真っ二つに砕けた。
「冗談だ。田中。お前は鈴が一緒にいる時異常なほど強い。それだけは確かだ。2人を以前から知ってるものとして言うがお前は鈴が好きだ。好きで好きでたまらないんだ。いい年したおっさんが若い女に本気で入れ込んじまってるんだ」
「そんなことありません!」
「じゃああんな可愛い女。いらないなら俺にくれ。ハーレムに入れてやるよ」
「あ、あげません! 誰が100人の女に手を出す男にあげるか!」
「じゃあ祐太ならいいのか?」
「ダメです! あんな天然ジゴロ、僕は絶対許しません!」
我慢できずに地面を踏みしめると家の床にクレーターができた。
「それで嫌いは無理がある。正直になれよ」
「それとこれとは話が別で、僕は鈴さんをそういう目で見たことは一度も……」
僕はいつも逃げる。鈴さんから逃げ続ける。
「なあ」
「……」
「翠聖様が言ってたよ。神が悪神に堕ちるのと同じく、悪神が神に改心することも普通にあるらしい」
「本当ですか!?」
「ああ、お前のためにわざわざ確かめに行ってやったんだぜ。まあただ、悪神から善性に戻る時は、どうしてか階級が落ちてしまうらしいがな。おそらく神に戻るのは難しいって話だ」
「それでも戻るんですね!?」
「落ち着いて聞け。半神の鈴が誰にも気づかれないほどひっそり死ぬのは考えにくいという前提で話してるだけで、もしかしたら鈴はもう死んでる可能性もある。俺たちは今、鈴がどういう状況かわからん」
「それはそうです……」
もう死んでしまっている可能性もあると聞くと僕の心が落ち込んだ。なぜこれほど落ち込むのかと理解できないほど体に力が入らない。
「田中。とにかく探しに行け。鈴がいないだけで随分とこの国全体も暗い。見つけてきてくれ」
「……いいんですか?」
「ああ、いい。新しくルビー級を超えたやつらもかなり戦力化できている。祐太のところのやつらも、こっちに協力できると言ってきてる」
「でも僕は……」
「怖がるな。鈴が待ってるのはお前だ。他がもし鈴を見つけたとしても、翠聖様もまず間違いなく悪神に堕ちた状態だと言っていた。死んでるか、悪神に堕ちるか、どちらかでないとトップランキング1000からは消えないらしい」
「生きてても悪神」
「そうだ。だが翠聖様は『そのものを探すことが無駄になることはあるまい』とも言ってくれていたぞ」
「え?」
「悪神の鈴を見つけて改心させるなんてことは他のやつでは無理だ。お前しか鈴を助けられないんだよ。それと、お前は鈴のことになると異常にしぶといから大丈夫だとは思う。だが死なれると本当に困るから応援を呼んでおいた」
「応援?」
「ああ、風神雷神だ」
風神雷神。新しくルビー級になった探索者の中で、雷神豊國さんと並び称されるほど、レベルが上がった探索者がいる。その名も風神ジャック。台風ですら簡単に消してしまうというその男は、神のごとく風を操るらしい。
「……あの、ジャック君はまだいいんですが、豊國さんは問題がないですか?」
「あの女はいつでも問題しかない。だが、強い」
「それはまあ実力に不安はないと思いますが、僕、豊國さん苦手なんですよ」
「安心しろ。豊國が得意な奴なんてこの世に存在しない。俺も苦手だ。だが、雷女に【堕天使】と戦えるかもしれないと言ったら2つ返事でOKしてくれた」
「ええ……」
断る道はないようだ。何があっても僕に探しに行かせる気だ。そして僕が途中で逃げないように監視役までつける気だ。
「いい加減自分の心もわかっただろう」
「うっ……」
そう言われると確かにそうだった。こんな遠回りしなくても気づけたはずなのに、今になってようやく分かった。失ってみて初めて鈴さんがいないと僕はダメだった。
鈴さんがいないと生きてて楽しくない。
鈴さんがいないと寂しくて仕方ない。
鈴さんがいないと心にぽっかり穴が開いたみたいだった。
「僕は鈴さんが好きなんですかね。ただ助けたいと思って面倒を見てた子に邪な心を抱いていたんでしょうか」
「お前は潔癖すぎるんだよ。あんな綺麗な女、どんな男でも下半身が反応するもんだ。おまけに出会った時はともかく鈴ももう20代後半ぐらいだ。一度も手を出してないお前がおかしい。探索者なのに不能なのかって心配になるレベルだ」
「不能じゃありませんよ」
「じゃあさっさと決めとけ」
南雲君に睨まれる。これまででも分かっていながらできなかったんだから仕方ないだろ。そう言い返したかったけど、そうすべきだったと思った。さらに南雲君が大事なことを教えてくれた。
「あと悪神となったものを改心させるにはプラスの思いが強烈なほど必要になるそうだ。その方法も翠聖様から教えてもらえた」
「どんな方法ですか?」
なぜか少し嫌な予感がした。
「まず『鈴、僕は君が大好きだ!』と叫ぶ」
「い、言わなきゃだめでしょうか?」
「だめだ。そんで、ブチューで完璧だ」
「そ、そんなこと僕にはできません!」
なぜか顔が真っ赤になった。鈴さんにキスをしている自分を想像するだけで胸がドキドキして汗が流れてくる。あんな可愛くて綺麗な子にキス。だ、だめだ。おっさんがそんなことしたら警察に捕まってしまう。
「でなきゃきっと夜叉神あたりに取られるぞ」
「それはダメです!」
なぜか龍神様は手を叩いた。そうすると扉が開いた。
「二人とも待たせたな」
「田中。男心だな! 分かるぜ!」
「本気で言ってるか? 我はとりあえずこいつの頭に雷を一発落としたいのだが」
風神と雷神がいて、なぜか風神は理解してくれた。雷神は落としたいと言いながら落とした。体中に電撃が流れ部屋が消滅する。痛いじゃないか。
「僕はこれぐらいされて当然かもしれませんが、あなたはもうちょっと手加減した方がいいと思います」
「田中。お前は本当にダメな男だ。さっさと行くぞ。そしてさっさとキスをしろ。安心しろ。抵抗できないように我が鈴を殺してやる」
「いや、殺したらダメです!」
僕は2人に腕を掴まれた。そしてずるずると引きずられていく。南雲くんの頑張ってこい。という声だけが優しく耳に残った。そして心の中で僕は南雲君にありがとうと言っていた。