作品タイトル不明
第81話 自負
望みは薄い。
その言葉が頭の奥まで入り込み、動悸を起こす。
確かにそうかもしれない。
ヴィーの真意など私はほんの少ししか理解できないのだろうし、私が思っている以上に、ヴィーは私に対して興味がない可能性も否定はできない。
しかし、この時の私は気落ちよりも――
……腹立たしさを覚えていた。
私は引き攣りそうになる顔で何とか笑顔を作る。
「御心配には及びませんわ、殿下」
上手く笑顔を作ったつもりだった。
しかしもしかしたら私が抱える感情が佇まいから滲んでしまっていたのかもしれない。
ラガルド殿下は意外そうに目を丸くしていた。
「殿下は彼と親しい関係を築いていらっしゃるのでしょうが、生憎と、付き合いの年月で言えば私の方が上……勿論、彼の人となりも理解していますわ」
そう。私の方がラガルド殿下よりもずっと長くヴィーと付き合ってきたのだ。
それに彼とは違い、ヴィーがいかに優秀な人間であるかも理解している。
だからこそ思ったのだ。
『何故、何も知らない相手から私達の仲を言及されなくてはならないのか』と。
私のこの感情が重い愛情に当たるだとか、ヴィーの迷惑になるかもしれないだとか、その恐れが払しょくされたわけではない。
しかし大半の人間よりもヴィクトルという人物を理解しているという自負だけなら確かに存在してた。
「べ、別にお前とあいつが分かり合えていないなんて言っていないだろう」
「あら、そうなのですか」
「ああ。だからその圧を掛けるような振る舞いをやめろ。……全く、多少は気落ちするかと思ったのに、まさか凄まれるとはな」
「あら嫌ですわ、凄むだなんて。うふふふ」
「その白々しい、他人行儀な口調もやめろ」
私の様子を見たラガルド殿下が焦りを滲ませる。
どうやら少し私の心を揺さぶって楽しむ程度の考えだったのだろう。
「だが、考えてみろ。あれの日頃の振る舞いを。精神年齢が幼少から動いていないような感性の塊じゃないか? とても異性やら色恋やら、そんなものに興味がある様には見えないだろう」
「ま、まあ……剣術バカですし」
私は『剣術バカ』ヴィクトルの、公の場での様子を思い返してみる。
場の空気を無視した底抜けの明るさと無邪気さ、剣術大会以降集まる異性からの注目にも一切気付かず、間抜けな一面やうっかりを連発してはアンセルム様から大目玉を喰らう姿……
……婚約者である私に対しても、照れもせず明るさ全開で接する姿。
傍から見れば確かに、とても異性を意識するような情緒は持ち合わせていないように感じるだろう。
(彼が本当に何も考えない『剣術バカ』なら、こんなにぐるぐると悩む事もなかったのだけれど)
彼の本質と表向きの姿との温度差を改めて感じた私は思わず笑ってしまいそうになるのを堪える。
そんな私の考えなど露ほども知らず、ラガルド殿下は私に手を差し出す。
「少なくとも僕なら、あいつよりはまともにお前をパートナーとして扱ってやれるが?」
「殿下、私と彼は婚約関係にあるのですよ」
「そんなもの、王族の一声で簡単に解消できるだろう?」
「グザヴィエ殿下が認めはしないでしょう?」
「お前が望めば、その意志を尊重するものとして多少強引にでも話は進められると思うがな」
「ラガルド殿下」
ラガルド殿下が私を気に入っている事は理解している。
しかしそれは彼を取り巻く環境、それに携わる人々と私の振る舞いが全く異なっているから。
彼のこの執着がまだ、恋愛感情とは言い難い何かに留まっている事に私は気付いていた。
「たとえ私と彼の想いが異なるものであろうとも、私は誰よりも近くで彼を支えると心に決めています。ですから何度お誘いいただこうとも、私は頷く事は出来ません」
(ここはいつ大勢が通りかかるかも分からない校舎の中。『夢の香霞』を使うには研究棟の時よりも大きなリスクを負うし、その場凌ぎにしかならないとはいえ、私が『夢の香霞』の対処法を知っている事もラガルド殿下は悟っているはず。そもそも作戦が並行している訳でもないだろう現状で、この断りによって彼が『夢の香霞』を使う可能性は低い)
私の想定通り、ラガルド殿下は多少つまらなさそうに眉根を寄せたが、それっきりだった。
「では、失礼いたします」
上位貴族らしく、にこやかな笑顔と丁寧なカーテシーを披露し、私はラガルド殿下に背を向ける。
背後からは彼が鼻で笑う気配があった。
「まあ、お前の気持ちがどこにあろうが、知った事ではないか。最後に振り向かせられればそれでいい」
(そんな日は、永遠に来ないでしょうね)
王族とはいえ、現在のラガルド殿下の立場が非常に危ういのは、グザヴィエ殿下勢力の傘下にある私の立場からは明白。
義理や忠義、私情などを抜きにしたとて、私が彼に靡く事はあり得ない。
敵対勢力である私やヴィーに関わろうとする彼の背景が、明るいものではない事も悟っているし、個人の感情としては同情もする。
だがそれが他者を害し、壊し、あろう事か――命を奪って良い理由にはならない。
仮面舞踏会では残念ながら怪我人だけではなく死者が出ている。
主催者の家族――私の友人を始めとした多くの者の人生が狂わされた。
今更、彼と心を通わす余地はない。
私は足早にその場から去るのだった。
***
一週間後。
グザヴィエ不在の学園でアンセルムと行動を共にしていたヴィクトルは、遠くで友人達と歩いているニコレットを見つける。
「おっ。……おーい! ニコルー!」
分かりやすく目を輝かせて手を振る彼の声は良く通り、離れたニコレットの耳にも届く。
それに気付いたニコレットは咄嗟に振り返り、ヴィクトルを見る。
確かに、二人の視線は交わった。
だというのに。
次の瞬間、ニコレットは顔を強張らせるとヴィクトルから顔を背け――逃げるようにその場から去っていったのだ。
足早に姿を消したニコレットを見送ったまま、ヴィクトルは固まる。
「……今度は何をしたんだ」
その一部始終を目の当たりにしたアンセルムは遠い目でニコレットの消えた方角を見ながら眼鏡を押し上げる。
明らかに自分を避けた反応。
そのショックからか、ヴィクトルはアンセルムから投げかけられた疑念に言い返すことも出来ない。
笑顔のまま固まっているヴィクトルの顔色は、凍える吹雪の中にでも放り出されたような、或いは今にでも血を吐いて卒倒しそうなくらいに蒼白としていたのだった。