作品タイトル不明
第78話 強気な接触
「アンセルム、ご機嫌よう」
「ええ、ジュリエンヌ様方も」
剣術大会後も研究棟での騒動についての後処理などで忙しなくしていたグザヴィエ殿下。
彼の補佐や護衛としてついていたヴィーやアンセルム様も、最近は王宮泊まりが多かった。
私やジュリエンヌ様は会おうと思えば学園で顔を合わせる機会もあるが、クロエ様は私達程婚約者と会えるわけではないし、それが人見知りな彼女が心を許している数少ない相手であるともなれば、寂しさを覚えてしまうのも仕方のない事だ。
グザヴィエ殿下はそんなクロエ様のお気持ちを汲んで彼女を王宮へ招いたのかもしれない、と私は考えた。
「グザヴィエ殿下は公務ですか?」
「はい。研究棟の件以外にも仕事が多いようでして」
「王宮内で完結するし、他に護衛もつけるから、今はつかなくていいって言われたんだよなぁ。ニコルが希望してた、シャルルさんとの面会の件もあったし」
いつの間にかまた私の後ろに回り込んでいたヴィーは私の頭の上に顎を乗せ、ぐりぐりと押し付けながらぼやく。
婚約者とはいえ、異性である私とヴィーの距離が近い事に驚いたのだろう。
クロエ様は私達を見た後、顔を赤くさせて慌てて視線を逸らした。
……もしかしたら、互いに心を通わせる婚約者という関係に憧れがあるのかもしれない。
(とはいえこれも、偽りの関係ではあるのだけれど)
クロエ様の純粋な反応に若干の後ろめたさを覚えつつ、苦笑が漏れる。
しかしそこでふと、ある光景が脳裏に過り、私の思考は止まる。
……そう。
私達はあくまで政略的な理由から為る婚約関係。
互いの婚約から得られる利益を最大限膨らませられるようにという意図で始めた、『愛し合う婚約者像』は偽りであり――私達の間に存在するのは好意は好意でも、ビジネスライク的なもの――
……そのはずだった。
しかし仮面舞踏会の夜を機に私が彼へ向ける想いは少しずつ変化し、今やビジネスライクという考えから大きく逸脱した感情を抱いている。
(それに……)
私の頭を過るのは剣術大会二日目の夕方、大きく跳ねる鼓動を抱える彼の、困惑と共に染められた顔だった。
(あれも彼のお得意の芝居だった……? それとも――)
べったりとくっつく彼を振り払うふりをしながら、私はヴィーを見上げる。
視線が合うも、ヴィーは目を丸くして不思議そうに小首をかしげるだけ。
いつも通り、何も考えていないような、『剣術バカ』のあだ名に相応しい反応。
どれだけ目を凝らそうと、結局その裏の彼の真意は分からず終いで、私は深々とため息を吐いた。
「な……っ! なんだよー!」
「……何でもないわ、ええ」
(まあ、考えすぎ……期待しすぎね)
彼は私よりもずっと聡明で、合理的で、冷静だ。
彼に限って私のように感情に振り回されるなんて事……私が彼の強固な心を揺り動かす程の存在である事など、考えにくい。
何でもないですとも。
もう一度呟いてから、私は自分自身に呆れるように、苦笑のまま溜息を吐いたのだった。
***
さて。
剣術大会以降、困った事に問題が一つ増えていた。
王宮を訪れた翌日、王立学園で勉学に励んでいた私は途方に暮れる。
昼休憩、ジュリエンヌ様や他の友人と食事を摂るべく移動しようとした頃合い、教室の外から名を呼ばれたのだ。
名を呼んだのは同じカリキュラムを受けている学生。
そしてそんな彼女に私を呼ぶよう頼んだ人物が扉の傍からにこやかに手を振っている。
「…………ニコレット」
ジュリエンヌ様が物言いたげに私を見ている。
私はその視線と目が合わないようにと顔を背けるが、冷や汗が止まらなかった。
叶うならばこのまま私を呼んだ学生を無視して逃げ出してしまいたいところだったけれど、それは偶然呼び出しを頼まれた相手にとって酷な事であったし、何より私を呼んでいる人物は到底無視してもいい相手ではない。
私は小さく息を吐くと廊下へと向かった。
緊張した面持ちの生徒を下がらせ、代わりに待っていた相手へと声を掛ける。
「何か御用ですか? ――ラガルド殿下」
私を呼び出した人物――ラガルド殿下は愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべて立っていた。
「用がなければ声を掛けてはならないのか?」
「あまり好ましい言動とは取られないかと。私には婚約者がいますし、彼がグザヴィエ殿下と懇意にしている事はご存知でしょう?」
「この学園の中では政治的な理由で交友を狭めるのを良しとはしないと聞いていたが?」
(よく言うわ。この学園を誰よりも政治に利用しようとしたのも、グザヴィエ殿下を敵視しているのも彼だというのに)
「そのような建前はあれど、結局は人の感情です。誰もが学園の在り方に従える訳ではありません」
「僕は他者ではなくお前に興味を抱き、声を掛けているのだが? ……ニコレット」
私に集まる周囲の視線が痛い。
空気が緊張しているのを感じて、肩身が狭くなる。
――剣術大会以降、ラガルド殿下は事ある毎に私へ接触して来ていた。
恐らくは仮面舞踏会の夜やあの研究棟での出会いが彼の興味を引いたのだろう。
ラガルド殿下が研究棟での件に一枚噛んでいる事や『夢の香霞』の所持者である事など――本来ならば知られたくはないような事を知っている相手だというのに、こうも積極的に接してくるのは、その程度では自分の今の立場が揺るがないと理解しているからだろう。
『夢の香霞』が彼の手中にある以上、私個人が彼を害する事は難しいのだ。
そんな事情もあり、学園に在学する私の存在を知った彼は、カリキュラムも異なるというのに昼休憩や放課後になるとこうして毎日のように私への接触を試みるようになったのだ。
――どう答えるべきか。
彼をなるべく刺激しないような言葉選びに迷う。
そんな私が口を閉ざし、思考を巡らせていた、その時。
「――ああーっ!? ラガルド殿下ァッ!!」
聞き慣れた、明るく大きな声が離れた場所から飛ぶ。
その声を聞いたラガルド殿下が厄介だと言いたげに顔を顰めた直後。
「ちょ、ちょっとちょっとぉっ!!」
私とラガルド殿下の間に割り込むようにしてヴィーが姿を現したのだった。