作品タイトル不明
第74話 瓦解の足音
ヴィクトルが試合へ戻った後、剣術大会は滞りなく終了した。
ラガルドは後半以降一切の大会を欠席し、多くの者を困惑させたが、授賞式の頃にはその印象もすっかり薄れ、闘技場周辺は祝福と称賛の空気で満たされていた。
優勝者はヴィクトル、他は最終学年の騎士の名家の息子達。
彼らに無数の拍手が送られる中、大会は終わりを告げた。
大会後、闘技場を後にしたヴィクトルは同級生を始めとする大勢に囲まれる。
友人からの囃されたり、令嬢達からアプローチを受けたりと、少し困ったように苦笑しながらも照れている様子を見せる彼はふと、自分の方へ向かってくる姿を見つけた。
ヴィクトルは相手の名を呼びながら大きく手を振る。
夕焼けに照らされた黒髪が風に攫われて靡いている。
大きな声に気付いたニコレットは目を丸くした後、横髪を耳に掛けながら微笑む。
大勢の称賛などには目もくれず、ヴィクトルは無邪気な笑顔でニコレットに駆け寄る。
あっという間に自分の腕の中に婚約者を閉じ込めた彼が、他の者のアプローチに一切靡いていないのは明白だった。
合流した二人は互いに並んでその場を後にする。
明るい調子で話を続けるヴィクトルと、それを聞きながら時折くすくすと笑うニコレット。
二人の間に、誰かが入る隙など微塵もなさそうであった。
***
王宮へ戻ったグザヴィエは剣術大会の裏で起きた一連の報告を聞く。
その顔つきは神妙なもので、また、傍に控えていたアンセルムも深刻な面持ちをしていた。
研究棟へ忍び込み、重要な研究資料を盗んだ張本人とされるフォンタニエ伯爵はその後、事前に根回ししていた騎士達が居場所を掴んで捕獲した。
しかし盗まれたはずの物品は存在せず、またフォンタニエ伯爵自身は自らの単独による犯行だと告げているが、その様子はどこか正常ではないように思わせるうすら寒さがあったとか。
今回狙われた研究の主導者も正気を失っており、現時点で意思疎通を図る事は不可能。
どんな問いを投げてもぼんやりとしており一切反応を示さないとか。
研究棟の警備に当たっていた、途中で暴れ始めた騎士達の様子も同様らしい。
一方で研究棟の事件について事前に示唆していた研究員は瀕死。
グザヴィエの指示で治療後、王宮に運ばせたものの、現在は意識不明だ。
騎士達からの報告を最後まで聞いたグザヴィエは、引き続き研究棟周辺の捜査を続ける事を命じ、彼らを下がらせる。
「本当に厄介だね、三魔法器というのは」
「よろしいのですか、ラガルド殿下に聴取をせずとも」
「無意味だろうね。寧ろ彼に接触した、本来ならば罪のない者が害される事になる。彼を追い詰めるならば、まずは『夢の香霞』を取り上げない事には始まらない」
彼の仕業であると理解しているはずにも拘らず、捕らえることが出来ない。
そのもどかしさにグザヴィエは肩を竦める。
「『夢の香霞』の奪取についても考えなければならないが、一先ずは件の薬品についてだ。あれを悪用されれば、多くの民に被害が及ぶ」
民に不利益や危害が加えられればその反感は必ず国家へ――延いては王族へ向けられる。
そこに『夢の香霞』が絡んでおり、それを知りながらも長きに渡って解決に至らなかったとう事が知れれば余計にである。
まずは、民に直接的な被害が加わりかねない事案から解決させなければならない。
そうグザヴィエは結論付ける。
「とはいえ、ここ連日、ヴィーやニコレット嬢もセルも働き詰めだった。こちらで可能な限り話は進めておくから、一旦は一息吐く暇を与えなければね」
「いえ、俺は」
「君にも余力を残してもらわなければ、私が困ってしまう。何かあった時……クロエ嬢の支えになるのは君なのだから」
グザヴィエの指摘に、アンセルムは顔を曇らせる。
口を閉ざし、俯いた彼を見てグザヴィエは静かに目を細めた。
「……私の事は気にせず、一先ずは休むといい」
「クロエはこちらにいるのですよね」
「ああ。案内させようか?」
「お願いいたします」
グザヴィエは部屋に置かれていたベルを鳴らして使用人を呼ぶと、アンセルムを案内するように指示する。
深く礼をして去っていくアンセルムへ、グザヴィエはにこやかに手を振って見送る。
静まり返る部屋の中。
暫くの間笑顔を貼り付けたまま佇んでいたグザヴィエは徐に動き出し、報告書が広がる机に手を突く。
紙の文字を目で追う彼の口からは長く深い溜息が漏れた。
幼い頃の記憶が思い起こされ、グザヴィエはそれを頭から追い出す。
(陛下にも報告はしているが、どうお考えになっていらっしゃるかは分からない。言及されないという事は王太子としての判断に大きな誤りはない事だと思いたいところではあるが)
ふと、彼の視線が夜の闇に包まれる外を映す窓に向けられる。
「酷い顔だな」
窓に反射する顔に笑顔はなく、疲れ果てて生気を失った男が映っていた。
グザヴィエは窓に映る自分を指でなぞり、それから自分の口角を指で無理矢理吊り上げる。
(一度、陛下に直接伺いを立ててみるか)
再び溜息を漏らしながら、グザヴィエは一つの結論に辿り着く。
(王太子として周囲から期待はされていても、まだ即位していない未来の王。……未熟を理由に、今国を治めている陛下から意見を賜るのは何もおかしな話ではない)
父である国王に面会を求めるべく、グザヴィエは机に転がる筆に手を伸ばす。
その時だった。
王宮には相応しくない、バタバタと忙しない足音が迫ったかと思うと、部屋の戸が激しく開かれる。
「殿下ッ!!」
ノックもなしに飛び込む騎士。
本来ならば不敬であると責められるべきだが、その顔色や必死さから急を要する報告なのだろうとグザヴィエは判断し、彼の罪への言及は避ける。
「何事だ」
「へ、陛下が……っ」
息を乱しながら、騎士は何とか言葉を絞り出す。
「――倒れられました!!」
これまで人前で動揺せぬようにと心掛けてきたグザヴィエだったが、この時ばかりは目を見開き、驚愕の顔を作った。
動悸と共に、彼の顔からは血の気が引いていくのだった。
***
王宮には限られた者しかその存在を知らない空間が存在する。
東のエントランス、二階へ続く階段の裏に隠された仕掛けが初めの鍵。
度重なる複雑な仕掛けを紐解き、辿り着く空間は、建物の構造から鑑みるに非常に広大な部屋、もしくは数え切れない分岐を持つ道が広がっているだろう。
王族の血を引く者でなければ恐らく、最奥へ辿り着くのは容易ではない。
だがもし立ち塞がる障害を切り抜け最奥へ至ったのならば、そこに血肉と魂を捧げろ。
それが齎すのはかつては救済と謳われた、現代の呪い。
だがそれは個の人生という僅かな犠牲と大きな覚悟を伴う事で最後の切り札になり得る。
【恐らくは上記に関する詳細が暗号化された文字で事細かに記されている】
――この手記が使われない事を祈る。