作品タイトル不明
第75話 取り返せない過ち
絶望に染まった、昏い瞳が自分を見る。
相手の口が動く速度が、酷く緩慢に思えた。
その口から告げられた言葉が、未だに頭に刻まれていて消えない。
大切なものを失う恐怖から彼に縋りつく。
相手の顔は酷く強張っていて、その瞳は揺らいでいた。
感情のままに呪詛を吐く。
慣れない作り笑いが歪に歪んでいくのが分かった。
相手が何も言い返さないのを良い事に、許されない言葉をぶつける。
下手な作り笑いの裏に汚い思惑を秘めた大人達が自分を取り囲む。
薄っぺらい言葉で自分を持て囃す。
それに微笑みを返す裏で動悸がしていた。
いつ真実に気付かれるか分からない。
そんな恐怖がずっと、自分に伸し掛かっていた。
この座に着くような器じゃない。
そんな事はよくわかっていた。
だからこそそれに気付かれた時を想像して怯えている。
(……どこで間違えた?)
醜悪な笑みに囲まれながら、重い感情が胸を満たしていく。
(俺は、どうすればよかったんだろう)
大衆の先、自分に向けられる鋭い視線に気付く。
胸が酷く絞めつけられ、喉の奥でひゅ、とか細い呼吸が漏れた。
***
瞼が抉じ開けられる。
ベッドの上。横になっていたグザヴィエは弾かれたように飛び起きた。
呼吸は乱れていて、彼の顔からは冷や汗が流れていた。
グザヴィエは片手で顔を覆いながら、乱れた呼吸を整える。
「王太子殿下、おはようございます」
部屋がノックされる。使用人の声がした。
そちらをぼんやりと見つめた彼は数秒の間を伴ってから、作り笑いを顔に貼り付けた。
精巧な顔故に与えやすい威圧感を掻き消した、穏やかで柔らかな微笑。
抱えているものなど一切見えない、いつも通りの『完璧』な笑み。
「ああ、おはよう」
***
王宮のとある区画。
他と比べるまでもなく豪奢で広々とした寝室には横たわる現国王の姿がある。
「王太子殿下がお見えです」
「入れ」
ノックと共に扉の先から告げられた言葉に国王が言葉を返す。
それを合図に開かれる扉。
国王の寝室へグザヴィエが姿を現した。
「失礼します、陛下」
「ああ。よく来た」
グザヴィエは国王が横になるベッドへ近づく。
「お加減は?」
「大事ない」
「左様ですか。それは何よりです」
グザヴィエやラガルドと同様の青い瞳に銀色の髪を持つ国王の顔はグザヴィエと僅かに似通った部分があったが、彼は殆ど笑わない、冷徹な堅物として有名であった。
故にその顔に浮かべる仏頂面の威圧感に恐れを抱く者もいるが、今はその顔も、大勢を動かし続けた声も、普段より落ち着いているようにグザヴィエは感じた。
グザヴィエは体を崩して倒れた国王を気遣い、政治とは関係のない範疇の近況を報告する。
穏やかな顔と口調で話をする彼を国王は暫く観察していたが、やがて徐に口を開く。
「グザヴィエ」
「はい、陛下」
青い瞳がグザヴィエを射抜く。
「これより、国王の決裁を必要とする全ての事案の管理をお前に委任する」
表情に動揺を見せる事はしなかったが、グザヴィエの体は密かに強張っていた。
彼は困ったように苦笑しながら首を横に振る。
「縁起でもない事をおっしゃるのはお止めください」
「冗談などでこのような事は言わない。まだ若いが、お前は優秀だ。国王としての器を持っている。お前になら私の代わりも任せられる」
国王の言葉が冗談ではない事はその口ぶりから明白だった。
グザヴィエは真剣な面持ちで国王を見つめ返す。
「何、一時の間だ。だが念には念を……万が一の事も考えておくべきだと判断した。私が玉座へ戻るまでの間、全て、お前の考えるがままに動く事を許可する」
「私の考えるがまま」
「ああ。……いいな、全てだ」
国王はグザヴィエを指で差す。
彼の強い眼光は何かを強く訴えるように鋭いものだった。
「全てが、お前の一声で決めることが出来る。……国の敵となる者の排除も」
グザヴィエは静かに息を呑む。
国王が言わんとしてる事を理解したからだ。
「いいな、グザヴィエ。どんな存在であれ国を揺るがす存在は徹底的に潰せ。それが――どのような存在であっても」
(……陛下は、現状を分かっておられる。その上で私にこうおっしゃっている)
グザヴィエは溢れそうになる溜息を押し留め、代わりに深く頷いた。
「拝命いたしました。全て、陛下の御心のままに」
いつもと変わらない作り笑いでグザヴィエはそう応えるのだった。
***
剣術大会が幕を閉じた後、研究棟での騒動は学園内でも噂として囁かれるようになった。
研究棟に忍び込み、ある研究を盗もうとした者がいたのだと。
そしてそれこそがフォンタニエ伯爵であり、動機は家を出ても尚研究員としての結果を出す息子への嫉妬だったと述べている……等といった話だ。
これは研究室から逃走したフォンタニエ伯爵がその後捕まった事をきっかけに流れだした噂だ。
幸いにも研究棟周辺の騎士の争いについては生徒や外部の者の耳には届いていない。
現場を目撃した研究員には『錯乱させる類の作用を持つものがバラまかれ、混乱状態に陥った者がいた』と説明した上で、現在は詳しい調査に当たっているとしたらしい。
さて、そんな騒動から一週間が経った頃。
私は王宮に招かれていた。
「ニコル」
馬車の扉が開き、ヴィーが手を差し伸べる。
「おはよう、ヴィー」
「おう、おはよ」
それを取り、私は彼にエスコートされながら馬車を降りる。
ヴィーは私の手を取ると、近くにいた王宮の使用人に案内を頼んで先へ進み始めた。
向かった先はある客室の前。
ヴィーはその扉をノックする。
「はい」
「ヴィクトルとニコレットです」
「ああ、どうぞ」
すると男性の声が返された。
許可が出るとヴィーは私へ目配せをしてから扉を開く。
開けた視界の先、ベッドの上に一人の青年の姿があった。
換気の為に開けられた窓から流れる風が、薄紫の髪を揺らす。
「どうも、こんにちは」
ベッドの上。
シャルル様は淡い微笑と共に、私達を招き入れるのだった。