作品タイトル不明
第67話:星級の壁
二人の視線が交錯した瞬間、空気が張り詰めた。
四つ星と四つ星。同じ土俵に立った兄弟。観客席の誰もが、息を呑んでこの異例の対決を見守っていた。
「さて……」
オースティンは静かに構えを取り直した。先ほどの一撃で舞台から落とされた衝撃が、まだ体に残っている。だが立ち上がった目には、迷いが消えていた。
「さっきはどうやって氷を砕いた? 見た限り、お前は——」
だが、オースティンの言葉は最後まで続かなかった。
レオンが、既に動いていたからだ。
◆◇◆
レオンの右手がオースティンに向けられた瞬間、見えない力がオースティンの体を引き寄せ始めた。
「——!」
足が床を滑り、意思に反して前方へ引きずられていく。完全に不意を突かれた。オースティンは咄嗟に足元に氷を生成して踏ん張ろうとしたが、間に合わない。体が急速にレオンの間合いに入った。
吸引が、突然止まった。
同時に、レオンの右足が金色に輝いた。引き寄せられた勢いのまま前のめりになったオースティンの腹部に、黄金の踵が突き刺さった。
ドゴォッ!
オースティンの体がくの字に折れた。だがレオンは止まらなかった。蹴りで浮いたオースティンの胸に左掌を当て、そのまま——押し出した。
衝撃波が弾けた。
ドォン——!
オースティンの体が吹き飛ばされ、舞台の床を転がって端まで滑っていった。
「何が起きた!?」
「一瞬で——二撃も——!?」
場内がどよめいた。
◆◇◆
カッセルリック侯爵が低く笑った。
「吸引で引き寄せ、蹴りで浮かせ、反発で吹き飛ばす。三段の連携だ。しかもゴールデンフォームの硬質化を足にも使える——腕だけではなかったか」
「あの子、一体どこまで……」隣でクロードが呟いた。甥の戦いに、思わず身を乗り出している。
◆◇◆
舞台の端で、オースティンが血の混じった唾を吐き、ゆっくりと立ち上がった。腹部を押さえながら、レオンを見る。
その目には——怒りではなく、静かな驚きがあった。
「……なるほど」
オースティンは呼吸を整えた。
「腕だけじゃない。足にも硬質化を使えるのか」
「この二ヶ月で、色々と練習した」
レオンは構えを取り直した。右腕と右足に交互に金色の光を走らせる。
「どこにでも、好きな場所に集中できる」
オースティンは目を細めた。そして——僅かに、唇の端を上げた。
笑みだった。嘲りではない。純粋な感嘆だった。
「大したものだ」
静かにそう言って、オースティンは構えを変えた。
◆◇◆
オースティンの右手が掲げられた。掌に青白い光が集まり、周囲の空気が一気に冷え込んだ。
レオンの周囲に、十本の氷槍が出現した。一本一本が腕ほどの太さがあり、先端は剃刀のように鋭い。全てが、レオンに照準を合わせている。
先ほどまでの近接戦とは、完全に切り替えた。
「さっきは不意を突かれた。だが、二度目はない」
十本の氷槍が、一斉に放たれた。
レオンは咄嗟に横に跳んだ。一本目が、彼のいた場所の石畳を貫いた。二本目、三本目——次々と迫る氷槍を、身を捻り、転がり、紙一重でかわしていく。
だが四本目が左肩を掠めた。
鮮血が飛び散った。
「レオン様!」
観客席から、ローシーの悲鳴が響いた。
レオンは肩の傷を押さえながら、舞台の端で体勢を立て直した。額に汗が滲む。遠距離からの連射——接近しなければ有効打を与えられないが、近づこうとすれば氷槍の雨に晒される。
(遠距離を封じなければ——)
レオンの左掌が床に向けられた。反発力が床に放たれ、その反動でレオンの体が一気に空中へ跳ね上がった。
オースティンが氷槍を上方に向けた瞬間——空中のレオンの右手がオースティンに向けられた。吸引力が、オースティンの体を上方へ引き寄せ始める。
「くっ——」
オースティンは足元に氷を張って踏ん張った。一瞬の均衡。だがその隙に、レオンは吸引力を利用して自分の体を急速にオースティンの方へ引き寄せた。空中から一気に距離を詰める。
オースティンは氷の盾を生成しようとした。だが、間に合わない。
レオンの金色の踵が、空中からオースティンの肩に直撃した。
ドゴォッ!
オースティンが体勢を崩した。だが——崩れながらも、左手がレオンの右足首を掴んだ。掌から冷気が噴き出し、足首が瞬時に凍りついた。
「捕まえた」
凍った足首を握ったまま、オースティンは体を回転させた。レオンの体を——舞台の床に叩きつけた。
ドガァンッ!
レオンの背中が床に激突した。衝撃で息が詰まる。
「足が凍っている限り、お前は——」
「誰が——足だけだと——」
レオンの左掌が、至近距離からオースティンの腕に向けられた。反発力が弾け、オースティンの手が離れる。
その瞬間、凍った足首にゴールデンフォームの光が集中した。氷が内側から砕け、レオンは床を転がって距離を取った。
全身が痛む。特に背中——叩きつけの衝撃が、内臓にまで響いている。
レオンは肩で息をしながら、立ち上がった。
◆◇◆
「クロード殿」
カッセルリック侯爵が、隣に座るクロードに低い声で言った。
「あの子の魔力が、目に見えて落ちている。硬質化を多用しすぎた。あと一度か二度、全力の攻撃を繰り出したら——」
「魔力が切れる……」クロードは拳を握りしめた。甥の消耗は、彼にも見えていた。
「ああ。そしてオースティンは、それを分かっている」
◆◇◆
「なるほど。内側から硬質化して砕く——最初に足の氷を砕いた時と同じ方法だな」
オースティンは息を整えながら言った。その目は冷静だった。レオンの肩の上下を見ている。呼吸が荒い。体が僅かに揺れている。——消耗が、限界に近い。
「レオン」
オースティンの声が、少し変わった。冷静さの下に、何かが滲んでいた。
「お前は確かに強い。ここまでやるとは、正直思わなかった」
その言葉には、嘘がなかった。
「だが——このままでは、お前が壊れる」
オースティンは一歩前に出た。
「兄として、お前を壊すわけにはいかない。——だから、ここで終わらせる」
その瞬間——オースティンの体から、それまでとは桁違いの冷気が放たれ始めた。
◆◇◆
空気が変わった。
さっきまでの冷気とは次元が違う。吐く息が白く凍り、肌を刺すような寒さが全身を襲う。空気中の水分が瞬時に結晶化し、細かな氷の粒が舞い散った。
舞台の床が凍りついていく。レオンの足元から、壁際まで——白い霜が波紋のように広がっていった。
「あの冷気……まさか——」
「オースティン様の奥義——」
観客席がざわめいた。
五長老の老人が身を乗り出した。「全域展開を使うか……」
舞台の上で、オースティンの周囲に青白い光が渦巻いていた。床が凍り、空気が凍り、あらゆるものが氷に覆われていく。その中心に立つオースティンは、冷たく、静かに輝いていた。
「レオン」
オースティンは静かに言った。
「二つ星でここまで俺を追い詰めた者はいない。——お前には、敬意を表する」
だがその声には、優しさがあった。終わらせるための優しさだ。これ以上弟を消耗させたくない——だから、一撃で決める。
青白い氷が、レオンの足元から這い上がり始めた。
◆◇◆
冷たい。
足首が凍った。膝が凍った。腰まで氷が達した。全身に展開する魔力が残っていない。先ほどの連戦で使いすぎた。部分硬質化で砕こうにも、氷の生成速度が砕く速度を上回っている。
胸まで凍りついた。腕が動かなくなる。
(くそ……ここまでなのか)
レオンは歯を食いしばった。
(せっかく、ここまで来たのに——)
意識が凍えていく中で、レオンは自分の内側に目を向けた。
魔力の残量は——ほとんど空だ。ゴールデンフォームを維持する力さえ、残っていない。
だが。
その奥に、何かがあった。
空っぽの器の底に、小さな光が一つ。
ムーンウェルでの訓練を思い出した。何度も倒れ、何度も立ち上がった。本当に限界を迎えた時——体の奥から、何かが湧き上がってきた。あの時は、それが何か分からなかった。
今なら、分かる。
腰のペンダントが、微かに熱を帯びた。
『……やるか、小僧』
オグリの声が、どこか遠くから聞こえた。教えるような声ではなかった。ただ——確認だった。
(ああ。やる)
『痛いぞ』
(構わない)
レオンは、その小さな光に手を伸ばした。
◆◇◆
舞台の上で——氷に閉ざされたレオンの体の中心から、金色の光が灯った。
小さな光だった。蝋燭の炎ほどの、頼りない輝き。
だが次の瞬間——
その光が、脈動した。
ドクン、と。心臓の鼓動のように。
金色の光が、一拍ごとに強くなっていく。レオンの胸の奥から、熱が湧き上がっていた。凍えた血管を、金色の熱が逆流するように駆け抜けていく。
パキ。
氷に、亀裂が走った。
パキパキパキ——
亀裂が全身に広がっていく。金色の光が裂け目から溢れ出し、氷の表面を照らした。
オースティンの目が、見開かれた。
「——何だ、これは」
パキィィィンッ——!
レオンを覆っていた氷が、全身から同時に砕け散った。
金色の破片と白い氷片が入り混じって宙を舞った。その中心に——レオンが立っていた。
全身を、金色の光が覆っている。
だが先ほどまでのゴールデンフォームとは、質が違った。光がより深く、より濃い。まるで——体の内側から光っているように。
「あの光は——」
侯爵が、初めて杯を置いた。
「ゴールデンフォームの覚醒形態か? いや——あれは——」
クロードが立ち上がった。椅子が後ろに倒れたが、気にもしなかった。「あの魔力の波動は——四つ星を超えている……」
その声は震えていた。兄が生きていた頃の——あの光に、似ていた。
◆◇◆
レオンは自分の掌を見下ろした。
金色の光が、脈拍に合わせて明滅している。体の中を、知らない力が駆け巡っていた。熱い。だが苦しくはない。むしろ——初めて、体の全てが繋がったような感覚だった。
オースティンは、一歩も動けなかった。
目の前に立つ弟から放たれる魔力の波動が——自分のそれを、明確に上回っていた。
「レオン……」
オースティンは呟いた。
「お前は——いつから——」
レオンは顔を上げた。
金色に輝く目が、オースティンを見据えた。
「兄上」
静かな声だった。怒りも、嘲りもない。ただ——確かな意志だけがあった。
「俺は、お前が思っているような弱者じゃない」
レオンは一歩、前に踏み出した。
金色の光が、その一歩に合わせて脈動した。
【続く】