軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第65話  兄への挑戦

席に戻ったレオンに、ローシーが両手で小さく拍手した。頬が紅く染まり、目が輝いている。

「レオン様、すごかったです!」

「ありがとう、ローシー」

差し出された水を受け取り、一口飲む。深く息を吐いた。

「ずいぶん隠していたな、お前」

隣の席で、ティモシーが笑っていた。

ティモシー・セレストーム。本家の長男。五つ星を超え、既に王都の騎士学院で教官補を務めている。兄弟の中で唯一、レオンが幼い頃から変わらずまともに接してくれた人間だ。母親が異なるにもかかわらず、ティモシーはレオンを弟として扱い続けた。エイドリアンやオースティンとは根本的に違う——この人には、他人を見下す回路が存在しない。

「へへ」

レオンは頭を掻いた。ティモシーがそれ以上追及しない性格だと知っている。心の中で静かに安堵した。

「——だが、本番はこれからだぞ」

ティモシーの声が少しだけ低くなった。視線が第三舞台のほうを向いている。

オースティンが、そこに立っていた。

「分かっている」

レオンは頷いた。

「——ぐがぁぁぁぁ」

その時、貴賓席の最奥から、場違いな轟音が響いた。

鼾だった。

貴賓席の最上段——カッセルリックよりもさらに奥、七人の長老すら一段下に座るその位置に、一人の老人が椅子にもたれかかって、盛大に眠っていた。膝の上には煎餅の欠片が散らばり、半分かじりかけの一枚が胸の上に載っている。口が半開きで、よだれが顎を伝いかけていた。

ヴィルヘルム・セレストーム。

セレストーム侯爵家の先代当主にして、オルハイム王国退役元帥。

齢七十を超え、銀灰色の髪は短く刈り込まれている。日に焼けた顔に、深い皺。体は痩身だが骨太で、椅子に座っているだけでも妙な存在感がある。現役時代は「雷拳のヴィルヘルム」の異名で知られ、単身で敵の騎士団を壊滅させた逸話が十や二十では済まない——大陸有数の武人だ。

だが今、その大陸有数の武人は、孫たちの試合中に堂々と居眠りしていた。

「……じい様、また寝てる」

ティモシーが額に手を当てた。

「毎年これだ。序盤の試合は退屈だと言って、絶対に起きない」

レオンは苦笑した。幼い頃、この祖父に何度も頭を殴られた記憶がある。「男なら泣くな」と怒鳴りながら、その直後に大笑いして菓子を放り投げてくる。怖いのか優しいのか分からない——そういう人だ。

「起こさなくていいのか?」

「無理だ。あの人は自分が見たい試合の時だけ勝手に起きる。目覚まし時計より正確だ」

その後の数試合は、駆け足で過ぎた。

レオンの次の対戦相手はフェリックスという傍系の少年で、三つ星後期。金光線を使うまでもない。金形術の近接だけで舞台の外に押し出し、あっさり片がついた。

場内はもう驚かなくなっていた。レオンが勝つこと自体は、既に「予想の範疇」に入りつつある。

だが——全員が心の中で同じことを考えていた。

あいつは、オースティンに勝てるのか。

第三舞台に、新たな対戦者が上がった。

ディートリヒ・セレストーム。傍系の筆頭格。十七歳。四つ星初期——オースティンと並び、若い世代では最高位の実力者だ。がっしりとした体躯に灰色の短髪、落ち着いた目つき。地系の魔法師で、防御と持久に優れる。「動かざること山の如し」と評された男だった。

同じ四つ星。数字の上では互角。

だが場内の空気は、対等の試合を期待してはいなかった。

「試合開始!」

号令が落ちた瞬間、ディートリヒは地面に掌を叩きつけた。轟音と共に舞台の石畳が隆起し、分厚い岩壁が三重に立ち上がる。

オースティンは動かなかった。右手をゆっくりと持ち上げ——掌の上に、淡い赤光が揺らめいた。

熱。純粋な熱エネルギー。

岩壁の表面に、赤い亀裂が走った。内部の水分が沸騰し、石材を内側から破壊していく。一枚目が崩壊。二枚目にも亀裂。

ディートリヒは崩れる壁の隙間から反撃を叩き込んだ。岩の礫を纏った地系の近接術——重い。

オースティンが、半歩退いた。

場内がざわめいた。今日初めて、オースティンが後退した。

だがそれだけだった。半歩退いたオースティンの目に変化はない。ディートリヒの二撃目が来た瞬間、最小限に身体をずらし、腕の内側に掌を差し込んだ。

触れた。

ディートリヒの全身を覆っていた岩の鎧が赤く発光し——罅割れ、砕け、剥がれ落ちた。

手刀が胸に叩き込まれた。

重い音。ディートリヒの巨体が膝をつき、前のめりに倒れた。

「勝者——オースティン・セレストーム」

その瞬間——

貴賓席の最奥で、鼾がぴたりと止んだ。

「——ほう」

ヴィルヘルムが目を開けた。

煎餅の欠片を胸から払い落とし、のっそりと身を起こす。欠伸を一つ。目を擦り、ぼんやりと舞台を見渡した。

寝起きの老人——にしか見えない。

だが、その蒼い目が舞台の上のオースティンを捉えた瞬間、空気が変わった。隣に座っていた二長老が、無意識に背筋を正した。その隣の長老も。波紋のように、貴賓席全体に緊張が伝播していく。

ヴィルヘルムの目が——笑っていなかった。

「オースティンの小僧、腕を上げたな。去年よりだいぶマシだ」

声は大きく、遠慮がない。貴賓席どころか、演武場の半分に聞こえた。

オースティンが舞台の下から祖父を見上げた。表情は変わらないが、僅かに顎が引かれた。この老人の前でだけ、オースティンの「無関心」の仮面に罅が入る。

「——で、もう終わりか? つまらんな。もっと面白いのはないのか」

ヴィルヘルムは椅子の肘掛けに頬杖をつき、退屈そうに場内を見渡した。

カッセルリックが静かに立ち上がった。

「父上。残ったのは四名——オースティン、ディートリヒ、レオン、フェリックスです。本戦の結果を踏まえ、順位をつけますが——」

「ああ? 順位?」

ヴィルヘルムは煎餅の新しい一枚を袋から引っ張り出しながら、がりっとかじった。

「順位なんぞ、戦えば分かるだろうが。何をもたもたしている。さっさと残りの試合をやらんか」

カッセルリックの眉が僅かに動いた。だが——父に逆らう者は、この家にはいない。

「では、オースティンを首席——」

「待て待て」

ヴィルヘルムが煎餅を振った。欠片が飛んだ。

「首席を決めるのは構わんが、あれはどうした。あっちの銀髪の小僧」

蒼い目が——レオンを射抜いた。

「エレーゼの倅だろう。あの女の息子が、まさかあの程度で満足するわけがあるまい」

その名前が出た瞬間、カッセルリックの表情が一瞬だけ揺れた。ティモシーの目が僅かに見開かれた。

エレーゼ。

母の名を、この老人は呼び捨てにした。だがそこに侮蔑はなかった。むしろ——妙な信頼のようなものが、声の底に混じっていた。

オースティンが、ゆっくりと視線を動かした。

演武場を挟んだ向こう側。銀色の髪。

レオンを——見た。

怒りはなかった。侮蔑もなかった。

ただ、静かな問いかけがあった。

お前は、ここまでか。

レオンはその視線を受け止めた。

胸の奥で、オーグリの声が響いた。

『来たぞ、小僧。あの目——試しているんじゃない。お前が来るのを、待っている』

レオンは立ち上がった。

椅子が石畳の上で小さく音を立てた。

「レオン様……?」

隣で、ローシーの手がレオンの袖に触れた。見上げる目に不安が浮かんでいる。何をしようとしているか——分かったのだ。

「大丈夫だ」

レオンは振り返らず、短く言った。

ローシーの指が、袖をきゅっと握った。一瞬だけ。

——そして、離した。

何も言わなかった。ただ小さな拳を膝の上で握りしめ、唇を結んだ。

レオンは一歩を踏み出し、声を張った。

「オースティン兄上」

演武場に響いた。静かだが、一語一語に芯が通っている。

「不才の身ではありますが——ご指導いただけませんか」