作品タイトル不明
第59話 姉の矜持
審判員が勝者を告げた直後——石畳を蹴る軽い音がして、一つの影が舞台に降り立った。
ほとんど無音の着地だった。
ソフィア・セレストーム。十六歳。セレストーム家嫡流の長女にして、女子の部三年連続優勝の天才。栗色のツインテールが風に揺れ、琥珀色の瞳には怒りと呆れが半々に宿っている。
仰向けに倒れている弟を見下ろし、深い溜息をついた。
「まったく。何をやっているの、このバカ」
「姉上……すまな——」
「黙りなさい」
冷たく一言で切り捨て、ニコラスの襟を掴み、片手で引き起こした。弟のほうが明らかに重いが、眉ひとつ動かない。女子三連覇の名は伊達ではなかった。
弟を肩に担ぎ上げながら——琥珀の瞳が、ゆっくりとレオンを捉えた。
◇
レオンは舞台の中央に立ったまま、こちらを見ていた。
呼吸は乱れず、汗の一つもかいていない。碧い目には嘲笑も驕りもなく、ただ穏やかな無関心だけがある。
それが、ソフィアには余計に腹立たしかった。
「まさかお前がここまで戻すとは思わなかったわ。七年のデキソコナイが、ニコラスを一掌で沈めるなんてね」
褒めているようで、七年の蔑称を突きつける言い方だった。
レオンは鼻の頭を軽くこすり、穏やかに笑った。
「ありがとう、ソフィア姉上。光栄です」
「……何ですって?」
皮肉を言ったはずだ。少しでも動揺させるつもりだった。なのに——礼を返してきた。
琥珀と碧が正面からぶつかる。だがレオンの瞳は底が見えない。何を考えているのか、まるで読めなかった。
背筋に、かすかな寒気が走った。
「いいわ。口で余裕を装うのは誰にでもできる。レオン——大会の後、私と一戦しなさい」
ざわめきが広がった。女子三連覇が、自ら挑戦を申し出た。
レオンは少しだけ目を瞬かせ、肩をすくめた。
「この大会、男女別じゃなかったか?」
「分かっているわよ。だから全ての試合が終わった後にと言っているの。逃げないでしょうね?」
レオンはその視線を受け止め、数秒の間を置いてから、穏やかに答えた。
「受けて立つよ。——ただ、まずは四連覇を決めてからにしてくれ。姉上が負けた憂さ晴らしに俺を殴りたい、というのでは少し困る」
沈黙が落ちた。
言葉は穏やかだ。だが意味は真正面からの一撃だった——『まさか四連覇もできないんじゃないだろうな?』
ソフィアの頬に赤みが差した。誇りを、正面から突かれた。
「……よく言うわね。四連覇した後に、その口を叩けなくしてあげる」
弟を担いだまま踵を返し、舞台を降りていった。背中に、怒りの熱が揺らめいている。
◇
『なかなか切れ者だな、あの女。お前の腹の中を探ろうとしていた。気づいていたか?』
オーグリの声が脳裏に響いた。
(分かっている。だから何も見せなかった)
『ふん。で、どうする? 敵に回すか?』
(ソフィア姉上は、ニコラスやエイドリアンとは違う。俺をいじめたんじゃない。ただ、無視していただけだ。向こうから来るなら受けるが、わざわざ敵に回す理由はない)
『悪くない判断だ。——だが、あの女、お前を警戒し始めたぞ。忘れるな』
(ああ)
◇
大長老が咳払いをした。
「次の挑戦者は、いるか」
沈黙。
一掌でニコラスを沈めた光景が、まだ全員の目に焼き付いている。誰一人として、手を挙げなかった。
レオンは静かに舞台を降りた。
観覧席まで戻ると、エヴィルが隣に座っていた。紅い瞳を細めて、小さく笑っている。
何も言わなかった。ただ、目が合った一瞬——少女の瞳の奥に、七年分の何かが揺れたのを、レオンは見た。
レオンも何も言わなかった。
隣に座り直し、前を向いた。
演武場の向こう側で、オースティンが腕を組んだまま立っている。
その目に——先ほどまではなかった鋭さが、静かに灯っていた。
【続く】