作品タイトル不明
第58話 証明
挑戦者の名乗りを聞き、まだ合格に届かなかった他の者たちは、小さく溜息をついた。先を越された、という顔だった。
レオンは目を細め、眼前の少年を上から下まで眺めた。
家族の顔を全部覚えているわけではないが、こいつには見覚えがある。
ニコラス・セレストーム。ソフィアの弟。エイドリアンの取り巻き。いつも金魚の糞みたいにくっついて歩いていた。レオンが落ちぶれていた頃には、わざとすれ違いざまに肩をぶつけてくるような手合いだ。
脳裏に古い記憶がちらついた瞬間、レオンの口元にかすかな——少し危険な弧が浮かんだ。
隣のエヴィルと視線が触れた。少女の紅い瞳に、面白がるような光が宿っている。
レオンは軽く笑い、衆目の中で静かに頷いた。
「いいだろう。受けよう」
あまりにもあっさりと受諾されて、ニコラスの目尻がぴくりと引きつった。喉仏が一度上下し、胸の奥で何かが揺らいだ。
だが、もう後には退けない。
——錯覚だ。一年であんなに回復するなんて、あり得ない。何かの手段で数字を誤魔化したに決まっている。俺なら勝てる。
そう自分に言い聞かせてから、ニコラスは作り笑いを貼り付けて声を張った。
「では——お手合わせ願いますぞ、レオン従兄弟!」
レオンは無言で立ち上がり、演武場の中央へ歩いていった。振り返り、ニコラスに軽く手を開いてみせる。
どうぞ、の仕草だった。
◇
場内の全ての視線が、二人に集まった。
高台の上で、カッセルリックは侍従から受け取った布で手を拭きながら、舞台を凝視していた。目の奥に、隠しきれない緊張がある。
正直なところ——あの測定結果を疑っていたのは、あの嘲笑していた連中だけではなかった。カッセルリック自身、心の奥底に、信じきれない感覚があった。一年で二つ星中期への回復。七年前の全盛期でも不可能な速度だ。信じたい。だが、あまりにも出来すぎている。
しかし——戦えば分かる。
拳を交えれば、偽りは通用しない。実力は、そのまま剥き出しになる。
カッセルリックの隣で、長老たちの呼吸も荒くなっていた。枯れた手が椅子の肘掛けに深い指の跡を残している。
演武場の端では、ニコラスを送り出したエイドリアンが乾いた唇を舐め、低く吐き捨てた。
「絶対に偽物だ」
人群の中で、ソフィアが紅い唇を噛んでいた。
「……偽物、よね?」
その声には、問いかけというより、自分に言い聞かせるような響きがあった。
◇
場の中央で、二人は向かい合った。
ニコラスは深く息を吐き、足を踏み込んだ。体が前に突き出され、まっすぐレオンに向かって突進していく。
低級の戦いに、華麗な駆け引きはない。全ては単純な力のぶつかり合いだ。
「劈炎掌!」
体をレオンの間合いに叩き込み、右掌に魔力を凝縮させる。赤い光が指先に走り、掌が斜めにレオンの胸へ叩きつけられようとした。
劈炎掌——火系の基礎戦闘術。二つ星以上の者が学ぶ、この家族では極めて一般的な技だ。
迫り来る掌が起こした風が、レオンの額の前髪をふわりと持ち上げた。その下で——漆黒にも似た碧い瞳が、静かに迫る手のひらを見つめていた。
掌が肩に届く寸前——レオンは不急不緩、左に半歩だけ身をずらした。
多くもなく、少なくもなく。ちょうどニコラスの攻撃が空を切る、ぎりぎりの一歩。
二週間の修行が磨いた反射は、この程度の攻撃に対しては過剰なほどだった。
身体をわずかに傾け、レオンの右掌が花を摘むように——ニコラスの腕の隙間をすり抜け、胸の中央にそっと触れた。
「ゴールデンフォーム」
声は、ひどく静かだった。
ゴールデンフォーム——金形術。あの月之泉で二週間かけて磨き上げた、光系魔法の基礎にして、レオンの全ての技の土台。
掌が触れた瞬間、金色の光が一閃した。
◇
鈍い衝撃音が、演武場を揺るがした。
ニコラスの紅潤な顔色が一瞬で蒼白に変わった。呻き声を漏らし、足がもつれ、よろめき——最後に踏ん張りが利かず、仰向けに倒れた。
背中が石畳に叩きつけられる鈍い音。
四肢が投げ出され、目が虚ろになった。
一掌。
たった一掌で終わった。
◇
全場——沈黙。
倒れたニコラスを見て、ソフィアの小さな手がゆっくりと唇を覆った。震える声が漏れた。
「……本当に、七段だった……」
演武場の端で、エイドリアンの表情が凍りついていた。先ほどまでの「絶対に偽物だ」という言葉が、自分の喉に刺さった骨のように引っかかっていた。
場内の全員が、ゆっくりと同じ結論に辿り着いていた。
レオンがこれほど容易く魔力値105の者を倒せるのなら——先ほどの測定で示された125という数字は、紛れもなく本物だ。
七年間、デキソコナイと蔑まれてきた少年が、二つ星中期まで回復した。
この事実が、重い沈黙となって演武場を包んだ。
一掌で相手を沈めたレオンは、やや退屈そうに首を振った。
この程度では、話にならなかった。切り札どころか、本来の実力の半分も使っていない。金形術の最も基本的な出力で、それでも十分すぎた。
『悪くない。だが、調子に乗るなよ、小僧。本番はこんなものじゃないぞ』
オーグリの声が脳裏に響いたが、珍しく嫌味はなかった。
◇
高台の上で、カッセルリックは深く息を吐いた。
胸の中で、七年間ぶら下がっていた重石が——ようやく、音を立てて落ちた。
「……本物だったか」
布で拭いたはずの手が、まだ微かに震えていた。
◇
レオンは静かに一礼し、何事もなかったかのように舞台を降りた。
足取りは軽く、呼吸は乱れず、汗の一粒もかいていない。まるで庭先を一回りして戻ってきたような自然さだった。
エヴィルの隣に座り直すと、少女は紅い瞳を細めて、小さく笑った。
「ね——言ったでしょう」
「何を」
「レオン兄さんは、デキソコナイなんかじゃなかったって」
レオンは肩をすくめた。
「まだ始まったばかりだ」
視線の先——演武場の向こう側で、オースティンが静かに立っていた。
腕を組み、表情は変えず、ただ——その目に、今まではなかった鋭い光が宿っていた。
【続く】