軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第108話 深淵の掌の第二段階

周囲の隊員たちが、息を呑んだ。

三つ星中期のクラウス・フォン・ベルクマンが——三つ星前期の錬金術師に、一撃で崩された。

クラウスは地面に膝をつき、腹を抱えて蝦のように丸まっていた。口から乾いた嘔吐の音が漏れる。体が断続的に痙攣している。

見ていた隊員の一人が思わず笑いを漏らした。

「三手くれると言っておいて、一手目で崩れたぞ……」

「最初から真面目にやっていれば、あそこまで惨めにはならなかっただろうに」

囁きが広がる。クラウスの耳にも届いていた。その一つ一つが、焼けた針のように突き刺さった。

レオンは何事もなかったように立っていた。その表情には、勝者の高揚も、嘲りもない。ただ静かに、相手が立ち上がるのを待っている。

その無害な佇まいが——クラウスにとっては何よりも屈辱だった。

◆◇◆

半刻ほどして、クラウスはようやく立ち上がった。

顔は鉄のように青黒く、頬の筋肉が痙攣するように引き攣っている。腹部の痛みはまだ残っているはずだ。だが目だけが血走っていた。そこにあるのは理性ではない。純粋な屈辱と、殺意に近い怒りだった。

「……お前が……お前のせいで……!」

クラウスは剣を拾い上げ、叫ぶように突進した。

今度は構えも何もなかった。三つ星中期の身体強化を全開にし、剣を振りかぶって正面から斬りかかる。技術ではなく、力と速度に任せた一撃だった。

レオンは半歩横にずれた。

剣が空を切る。クラウスの体が前のめりに流れる。その勢いを利用して、レオンは低い姿勢からクラウスの顎を蹴り上げた。

バルトン副団長に叩き込まれた技術だった。相手の突進力を利用し、最小限の動きで最大の打撃を与える。

鈍い音が響いた。

クラウスの体が浮き、背中から地面に叩きつけられた。五メートルほど転がり、仰向けに倒れた。

周囲が死んだように静まり返った。

一度目は、運だと思えた。クラウスが油断していたから。

だが二度目——クラウスが本気で斬りかかり、レオンが正面から返した。それでも結果は同じだった。一撃で地面に転がされた。

これはもう、運では説明できない。

「……化け物か、あいつ」

隊員の誰かが呟いた。

レオンの攻撃は、一見すると単純に見える。派手なスキルも、大技もない。だがその一手一手が、恐ろしく正確だった。相手の動きを読み、死角から、最も脆い場所に、最小の力で最大の衝撃を与える。

これは才能だけでは説明できない。実戦の中で磨かれた、本物の戦闘技術だった。

ヘレネは木に背を預けたまま、わずかに目を細めた。

(あの身のこなし……独学じゃない。誰かに鍛えられている。それも、かなりの手練れに)

ディートリヒの側近も、腕を組んだまま静かにレオンを見ていた。その目には、明らかな関心があった。

◆◇◆

クラウスは地面に倒れたまま、しばらく動けなかった。

顎への蹴りで視界が明滅している。口の中に血の味が広がる。全身が痛い。だがそれ以上に——心が軋んでいた。

二度。二度とも、一撃で倒された。

三つ星中期の自分が。三つ星前期の錬金術師に。

ヘレネが見ている。隊員たちが見ている。全員の前で、無様に転がされた。

屈辱が、理性を焼き尽くしていった。

クラウスは震える腕で体を起こした。目が完全に血走っている。唇が裂けたように歪み、歯の隙間から荒い呼吸が漏れる。

その右手に——魔力が集まり始めた。

赤い光が指先に凝縮していく。空気が歪み、熱が膨れ上がる。

火球スキル。

三つ星中期の魔力を全て注ぎ込んだ攻撃魔法。直撃すれば火傷では済まない。サーキットに深刻な損傷を与え、最悪の場合——命に関わる。

「——ベルクマン、やめろ!」

隊員の一人が叫んだ。致命的なスキルの使用は禁止されている。

「楚——クラウス! 正気か!」別の隊員も声を上げた。

だがクラウスの耳には、もう何も届いていなかった。

「死ね——ッ!」

クラウスの右手に、拳大の火球が完成した。赤熱した魔力の塊が、空気を焼きながら脈動している。

それが放たれる——その寸前だった。

◆◇◆

レオンが動いた。

誰の目にも追えないほどの速度だった。一瞬前まで五メートル離れていたはずのレオンが、クラウスの目の前にいた。

レオンの左手が、クラウスの右手首を掴んでいた。

火球を形成した、その腕を。

「——なっ」

クラウスの目が見開かれた。いつ近づかれた。いつ掴まれた。認識すらできなかった。

「致命的なスキルの使用は禁止だと言われただろう」

レオンの声は静かだった。怒りはない。ただ事実を述べている。

だがその目は——冷たかった。

「離せ——離せッ!」

クラウスは腕を振りほどこうとした。だがレオンの左手は万力のように動かない。

そして——レオンの右手が、クラウスの手首の上に重ねられた。

掌が開かれた。

その掌の中心に——黒い渦が生まれた。

◆◇◆

アビスパルム。

セレストルム家の魔斗会でレオンが初めてこのスキルを使った時、それは物質を吸収する力だった。触れた物体を掌の中の虚空に引き込む——それが第一重の効果だった。

あれから二ヶ月。

レオンは毎晩の鍛錬の中で、アビスパルムを繰り返し行使していた。バルトン副団長との戦闘訓練の合間に、一人で黙々と。前世の記憶にはアビスパルムの完成形がある。だが今の体と魔力では、段階を踏む必要があった。

第一重——物質の吸収。

第二重——魔力の吸収。

魔斗会から二ヶ月後のある夜、鍛錬中に突然、掌の渦が質を変えた。物質ではなく、空気中の遊離魔素を吸い始めた。その瞬間、レオンは理解した。第二重に至った、と。

それ以降、この力は誰にも見せていなかった。

だが今——使う理由ができた。

◆◇◆

クラウスの右手に凝縮されていた火球が、音もなく縮み始めた。

赤い光が薄れていく。熱が失われていく。火球を構成していた魔力が、レオンの掌の渦に吸い込まれている。

「な——何を——」

クラウスの声が裏返った。

火球だけではなかった。クラウスの手首を通じて、体内のサーキットから直接魔力が引き出されていく。身体強化に回していた魔力が、手足に巡らせていた魔力が、全てレオンの掌に向かって流れ出していく。

止められない。

止め方がわからない。

「や、やめ——やめろ! 何をしている!」

クラウスは叫んだ。だが腕を引き抜けない。力が抜けていく。魔力が空になっていく。体から熱が消え、指先が冷たくなっていく。

三つ星中期の魔力が——まるで砂時計の砂のように、一方的に流れ落ちていった。

周囲の隊員たちは、声もなく見つめていた。

「魔力を……吸い取っている?」

「あんなスキル、聞いたことがない……」

「錬金術師のスキルじゃないだろう、あれは——」

クラウスの顔から血の気が完全に失せた。

膝が折れた。身体強化が維持できなくなり、自分の体重を支えることすらできない。ただの、魔力を吸い尽くされた十七歳の少年が、そこにいた。

レオンは手を離した。

クラウスが糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。

黒い渦が消える。吸収したクラウスの魔力が、レオンのサーキットの中に流れ込んでいく。他者の魔力を自らの回路に取り込む——異質な感覚だったが、不快ではなかった。

(荒い。精製が甘く、雑味が多い。だがサーキットの容量を広げる刺激にはなる)

レオンは内心でそう評価した。

◆◇◆

「——もう結構だ」

ディートリヒの側近が、静かに腕を上げた。

「勝負あり。セレストルムの勝ちとする」

クラウスは地面に倒れたまま、荒い呼吸を繰り返していた。目は虚ろだった。三つ星中期の魔力を大半吸い取られた体は、まともに動くこともできない。

隊員たちの間に、静かなざわめきが広がった。

「三つ星中期が、三つ星前期に……」

「しかも終始素手だ。武器すら抜いていない」

「あの最後のスキル……触れただけで魔力を吸い取った。あんなもの、どこで身につけた」

レオンは何も答えなかった。静かに自分の装備のもとに戻り、何事もなかったように荷を整え始めた。

◆◇◆

ヘレネは木に背を預けたまま、わずかに目を細めた。

(近接で魔力を吸収する——。錬金術師の領域を越えている。この男、底が見えない)

ヘレネの唇がかすかに動いた。笑みとも言えない、微かな変化だった。

「……組む相手を間違えなかったようね」

その呟きは、誰にも聞こえなかった。

◆◇◆

エヴィルは、その場に立ち尽くしていた。

クラウスが火球を形成した瞬間——反射的に動こうとした。レオンを守ろうとした。スキルを発動しかけた。

だがレオンは、エヴィルが動くよりも速かった。

自分で掴みに行き、自分で終わらせた。誰の助けも借りずに。

(——俺はもう、昔の俺じゃない)

さっきのレオンの言葉が、胸の中で反響していた。

あの言葉は、本当だった。

エヴィルは小さく息を吐いた。胸の奥に、安堵と——もう一つ、名前をつけられない感情がある。レオンが強くなったことが嬉しい。守る必要がなくなったことが、頼もしい。

だが同時に。

あの少年がどんどん遠い場所に行ってしまうような——そんな予感が、胸の奥をかすかに刺していた。

◆◇◆

レイノルドは、隊列の後方から全てを見ていた。

表情は変わらなかった。だが、その目の奥に冷たい光が灯っていた。

(魔力吸収のスキルだと——? あの出来損ないが、いつの間にあんなものを……)

シュトゥルムヴォルフの察知。シャッテンギルデの密告。そして今——三つ星中期を素手で圧倒し、魔力を吸収するスキルまで見せた。

(……厄介だな)

レイノルドは静かに目を細めた。

遺跡の中では、何が起きても不思議ではない。事故は、いくらでも起こりうる。

その思考を、レイノルドは表情の奥に押し込めた。