作品タイトル不明
第106話 変わり始めた距離
レイノルドには、想像もできなかった。
自分が雇ったシャッテンギルデの四つ星が、すでにディートリヒに捕捉されていたとは。
後方の森の中で、短い戦闘音が響いた。剣戟の音。魔力の激突する鈍い轟音。それがすぐに止んだ。数分後、ディートリヒの側近が走り戻ってきてディートリヒに耳打ちした。
しばらくして、側近が隊員たちに短く説明した。
「後方に尾行者がいた。シャッテンギルデと見られる。ディートリヒ様の判断で処理した。一名は仕留めた。残りは重傷を負って逃げた」
「シャッテンギルデか……」
「ディートリヒ様が気づいていなければ、遺跡の中で背後から刺されていたかもしれない」
「さすがだ」
隊員たちの賞賛がディートリヒに向かっていく。
レイノルドは黙って歩いていた。
一名が死んだ。残りは逃げた。金を払って雇った四つ星が、ディートリヒに処理された。内心では臓腑が煮えくり返っているが、口に出せるわけがない。まさか「あれは俺が雇った手駒だ」などと言えるはずがない。苦い怒りを、ただ腹の中に押し込めるしかなかった。
ディートリヒが尾行に気づいたのは、なぜか。
——あの時、レオンがディートリヒに何かを耳打ちしていた。
レイノルドの目が、暗く沈んだ。
あの出来損ない。また、あいつか。
——忌々しい。
◆◇◆
シャッテンギルデの件が知れ渡ると、隊内でのレオンへの見方が静かに変わり始めた。
シュトゥルムヴォルフの件と合わせて、二晩で二度——レオンが先に異変を察知し、ディートリヒに情報を渡していた。
この国において、貴族と冒険者の差は単純な身分の問題ではない。
貴族家には、代々蓄積された修練資源がある。上質な魔力強化の薬剤、精製された魔素結晶、家伝の術式書——それらは市場に出回ることなく、家の子弟だけに受け継がれていく。幼い頃から体系的な魔力訓練を受け、成長に合わせて最適な武器と防具を与えられる。
対して冒険者は、自力で資源を調達しなければならない。実戦経験では貴族を上回ることもあるが、器の成長速度という点では同じ才能を持っていても差が生まれやすい。
この探索隊の隊員たちは、そういう環境で育った者たちだ。
だからこそ——資源も家格も下位のセレストルム家の四男が、二晩続けて隊全体より先に異変を察知したという事実は、隊員たちの目に奇妙に映った。
レオンが隊列を歩いていると、何人かが自然に近づいてきた。前日までは誰も話しかけてこなかった。
その中の一人が、ヘレネ・フォン・ハルトマンだった。
◆◇◆
ハルトマン伯爵家の令嬢だった。
年はレオンより二つ上。栗色の髪を緩く編んで背に流し、深緑の旅装に身を包んでいる。腰には細身の片手剣。背筋が伸びており、歩き方に無駄がない。三つ星中期——貴族家の修練体系で丁寧に育てられた、安定した実力者だ。
容姿も申し分ない。だがヘレネは普段、誰に対しても等距離だった。貴族子弟たちの間では「近づきにくい」という印象が定着しており、この遠征でも誰も彼女に積極的に話しかけていなかった。
「セレストルム家の四男ね」
ヘレネはレオンの隣に並び、前を向いたまま話しかけた。
「そうだ」
「シュトゥルムヴォルフの件。あなたが最初に気づいたと聞いた」
「匂いを拾っただけだ」
「昨夜、同じ時間に私も修練していたが、気づかなかった」ヘレネは淡々と言った。「錬金系の術師が、なぜそこまで感覚を研ぎ澄ませている」
「師匠がうるさい」
ヘレネはわずかに間を置いた。
「……あなた、戦闘魔法も使えると聞いた。錬金系なのに」
「使える」
「どの程度」
「足を引っ張る心配はない」
「それは答えになっていない」
「遺跡の中で見ればわかる」
ヘレネは少し間を置いてから、初めてレオンの方に顔を向けた。
「正直ね」
「嘘をついても仕方がない」
ヘレネはわずかに目を細めた。値踏みではなく——関心だった。この遠征が始まってから、ヘレネが誰かにそういう目を向けるのを、周囲の者たちは見たことがなかった。
「一つ提案がある」ヘレネは前を向き直した。「遺跡の中で、私と組む気はないか。私は前衛を担える。あなたは後方支援と情報収集ができる。相性は悪くないはずだ」
レオンは少し考えた。
ヘレネの実力は三つ星中期。前衛として十分だ。だがレオンにはこの遠征に別の目的がある。テラフォーマーの回収——それは単独で動く必要が来るかもしれない。
「基本的には構わない。ただ、別行動が必要になる場面があるかもしれない」
「理由は聞かない」ヘレネはあっさりと言った。「その時はその時だ。——了解した」
それだけで話は終わった。
ヘレネは驚いていた。内心では、だが。
この年頃の貴族子弟は、ヘレネが話しかけると大抵どこか緊張した様子を見せる。背筋が伸び、言葉を選び過ぎ、妙に丁寧になる。だがこの少年は最初から普通だった。緊張も、媚びも、警戒も——何もない。ただ淡々と、対等に話していた。
(……変わった人間ね)
◆◇◆
その場面を、少し離れた場所から見ていた者がいた。
クラウス・フォン・ベルクマンだった。
ベルクマン男爵家の嫡男。年は十七。長身で肩幅が広く、金色の髪を後ろに流している。三つ星前期——この隊の中では中程度の実力者だ。
クラウスの目は、ヘレネに向いていた。
この遠征が始まってから、ヘレネに近づく機会を何度か探っていた。だがヘレネは常に等距離で、誰に対しても関心を示さなかった。
それが今——あの男の隣で話をしている。しかも最後にわずかだが笑った。
あのヘレネ・フォン・ハルトマンが、誰かに笑いかけるところを見たのは初めてだった。
セレストルム家の四男。錬金術師。それがなぜ。
クラウスは眉を寄せ、ヘレネとレオンの横に歩み寄った。
「ヘレネ嬢、何を話しているんだ。俺も混ぜてもらえないか」
ヘレネはクラウスを一瞥した。
「遺跡内の行動方針について。ベルクマン家はご関係があって?」
「あ、ああ……まあ、聞かせてもらえれば」
「では、単独行動はしないでほしい。遺跡内での離脱は危険だ。——それだけ」
ヘレネはそれだけ言って、再びレオンに向き直った。
「旧帝国の封印系の罠について、もう少し聞かせてもらえる」
クラウスは完全に話を打ち切られた形だった。引き下がるわけにもいかず、ぎこちなく隣に並んだまま歩き続けた。
レオンはクラウスを一度だけ見て、何事もなかったようにヘレネに答えた。
「封印系の罠は、触れた魔力を取り込もうとする。近づくとサーキットに微かな引力を感じるはずだ。それが感知できれば、踏む前に止まれる」
「引力……わかった。覚えておく」
クラウスはその会話についていけず、黙って歩くしかなかった。
◆◇◆
さらに少し離れた場所で、エヴィルはその光景を静かに見ていた。
エヴィルにとって、レオンは幼い頃からの顔なじみだ。
ヴァルトシュタイン侯爵家とセレストルム子爵家——家格に差はある。だが幼い頃から家同士の付き合いがあり、二人は自然と言葉を交わすようになっていた。レオンが「出来損ない」と呼ばれ始めた頃も、エヴィルは変わらず同じ距離で接していた。
他の貴族子弟たちは、エヴィルに近づかない。
ヴァルトシュタイン侯爵家の直系。この国の貴族社会において、その名は重い。同年代の子弟たちは自然と距離を取る。気軽に話しかけられる相手ではない、という空気が常にある。
だからこそ——レオンだけが、最初からその空気を無視していた。
幼い頃から。何も変わらず。侯爵家の令嬢としてではなく、ただエヴィルとして話しかけてくる人間が、この少年だった。
エヴィルはヘレネとレオンの会話を、遠くから見ていた。