軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第90話 この痛みさえ、君と

俺はミユウの、まるで 氷(こおり) の 塊(かたまり) のように 冷(つめ) たい体を、 壊(こわ) れ物のように——いや、 壊(こわ) れても 構(かま) わないとさえ思えるほど、強く 抱(だ) きしめていた。

胸(むね) の 奥(おく) で 暴(あば) れ 狂(くる) う 鼓動(こどう) が、 彼女(かのじょ) の 細(ほそ) い 背中(せなか) にまで 響(ひび) き 渡(わた) っている。

まるで 俺(おれ) の 命(いのち) そのものが、 必死(ひっし) に 彼女(かのじょ) をこの 世界(せかい) に 繋(つな) ぎ止めようと 叫(さけ) んでいるようだった。

ミユウの 息(いき) は 細(ほそ) く、 途切(とぎ) れ 途切(とぎ) れで、ほとんど 聞(き) こえないほど 弱(よわ) い。

頬(ほお) は 血(ち) の 気(け) を 失(うしな) って 紙(かみ) のように 青白(あおじろ) く、 唇(くちびる) は 紫(むらさき) 色(いろ) に 変(か) 色(しょく) し、長い 睫毛(まつげ) は 微塵(みじん) も 動(うご) かない。

まるで 魂(たましい) が、そっと 体(からだ) から 抜(ぬ) け 出(だ) して、どこか 遠(とお) くへ 飛(と) んで行ってしまった 抜(ぬ) け 殻(がら) のようだった。

「しっかりしろ! ミユウ! 死(し) ぬな! 俺(おれ) を 置(お) いてくな!」

何度(なんど) 目(め) かの 叫(さけ) びだった。

肩(かた) を 激(はげ) しく 揺(ゆ) さぶり、 頬(ほお) を 軽(かる) く 叩(たた) いても、 反応(はんのう) は 一切(いっさい) ない。

瞼(まぶた) の 下(した) で、 彼女(かのじょ) の 世界(せかい) はもう 閉(と) ざされ、 俺(おれ) の 声(こえ) さえ 届(とど) いていないのかもしれなかった。

世界(せかい) なんて、どうでもいい。

最初(さいしょ) から、そんな大それた 使命(しめい) など 背負(せお) うつもりはなかった。

神託(しんたく) も、 古代(こだい) の 予言(よげん) も、 選(えら) ばれし 者(もの) という 言葉(ことば) も、 俺(おれ) にはいつも 遠(とお) い 他人事(たにんごと) にしか 聞(き) こえなかった。ただ、ミユウと 出会(であ) ってからだけは、すべてが変わった。

彼女(かのじょ) だけは、 別(べつ) だった。

この 体(からだ) に 巣食(すく) う 黒(くろ) い 呪(のろ) い—— 魔王(まおう) が残していった 心臓病(しんぞうびょう) 。

いつこの 命(いのち) が 砕(くだ) けるかもわからない。

痛(いた) みにも、 絶望(ぜつぼう) にも、 慣(な) れているはずだった。

なのに、今、目の 前(まえ) でミユウがこのまま 消(き) えてしまうかもしれないという 恐怖(きょうふ) だけは、どうしても 耐(た) えられなかった。

胸(むね) の 底(そこ) から、 黒(くろ) い 波(なみ) が 一気(いっき) に押し 寄(おしよ) せてくる。

喉(のど) が 焼(や) けるように 熱(あつ) く、 息(いき) が 詰(つ) まる。 涙(なみだ) さえ 出(で) ない。ただ、 焼(や) けつくような 痛(いた) みだけが、そこにあった。

「…… 戻(もど) ってこい! ミユウ!」

呼(よ) びかけは、いつの 間(ま) にか 切実(せつじつ) な 命令(めいれい) になっていた。

震(ふる) える 指(ゆび) で 彼女(かのじょ) の 顎(あご) をそっと 持(も) ち 上(あ) げ、 冷(つめ) たい 唇(くちびる) に自分の 唇(くちびる) を重ねた。

あまりにも 冷(つめ) たい。

まるで、 命(いのち) の 灯火(ともしび) が、もう今にも 消(き) えようとしているみたいだった。

唇(くちびる) が 触(ふ) れ 合(あ) う 瞬間(しゅんかん) 、 俺(おれ) の 体温(たいおん) も、 魔力(まりょく) も、すべてが 彼女(かのじょ) の 中(なか) へ 吸(す) い 込(こ) まれるように流れていった。

俺(おれ) の 熱(ねつ) を、 想(おも) いを、 愛(あい) を、すべてを 注(そそ) ぎ込むように、 深(ふか) く、 必死(ひっし) にキスをした。

舌先(したさき) が 触(ふ) れ 合(あ) うたび、わずかに 俺(おれ) の 魔力(まりょく) が 彼女(かのじょ) の 体(からだ) に流れ 込(ながれこ) む 感覚(かんかく) があった。でもそれさえ、すぐに 冷(つめ) たい 壁(かべ) に 阻(はば) まれる。

お 前(まえ) が、いなくなったら。

俺(おれ) の 世界(せかい) は、ここで 終(お) わる。

生きてくれ。 頼(たの) むから、生きてくれ……!

その 瞬間(しゅんかん) ——

ミユウの長い 睫毛(まつげ) が、かすかに 震(ふる) えた。

ゆっくりと、 瞼(まぶた) が 開(ひら) く。 翡翠(ひすい) 色の 瞳(ひとみ) に、 俺(おれ) の 姿(すがた) が 映(うつ) った。

けれど、そこに 浮(う) かんでいたのは 喜(よろこ) びではなかった。

深い 悲(かな) しみと、 激(はげ) しい 自己嫌悪(じこけんお) 。自分が 許(ゆる) せないとでもいうように、 瞳(ひとみ) が 揺(ゆ) れていた。

「……どうして…… 助(たす) けたの」

震(ふる) える、 掠(かす) れた 声(こえ) 。

「わたしの 最高天使(イリゼ) の 力(ちから) を 全部(ぜんぶ) 使(つか) っても…… 龍夜(りゅうや) くんの 病気(びょうき) は 治(なお) せなかった。わたしなんて……ほっといてくれたほうが、よかったのに……!」

大粒(おおつぶ) の 涙(なみだ) が、 頬(ほお) を 伝(つた) って 落(お) ちる。その 一粒(ひとつぶ) 一粒(ひとつぶ) が、 俺(おれ) の 心臓(しんぞう) を 鋭(するど) く 抉(えぐ) った。

そんなこと、 絶対(ぜったい) にない。

俺(おれ) はすぐに 彼女(かのじょ) の 細(ほそ) い 手首(てくび) を強く 掴(つか) み、 胸(むね) に 引(ひ) き 寄(よ) せて 抱(だ) きしめた。

もう 二度(にど) と 離(はな) さない。この 腕(うで) の中で、 永遠(えいえん) に 守(まも) る。

「いいんだよ、ミユウ。そんなに 自分(じぶん) を 責(せ) めるな」

静(しず) かだが、 確(たし) かな 声(こえ) で、ゆっくりと 言(い) った。

「お 前(まえ) を 失(うしな) うより、この 痛(いた) みを 抱(かか) えたまま、お 前(まえ) と一緒に 生(い) きていくほうが、 俺(おれ) はずっと 幸(しあわ) せだ」

俺(おれ) は 彼女(かのじょ) の 額(ひたい) にそっと 唇(くちびる) を 寄(よ) せた。まだ 冷(つめ) たい 肌(はだ) に、 俺(おれ) の 息(いき) が 触(ふ) れる。

「 世界(せかい) を 救(すく) うつもりなんて、 最初(さいしょ) からなかった。だけど 彼女(かのじょ) だけは 守(まも) りたい——お 前(まえ) だけは、 絶対(ぜったい) に 守(まも) りたいんだ」

そのとき、ミユウの 腰(こし) に下げられた小さな 革袋(かわぶくろ) の 中(なか) で、 微(かす) かな 振動(しんどう) が 起(お) きた。

ミユウは 俺(おれ) の 胸(むね) の中で、 一瞬(いっしゅん) だけ 息(いき) を 止(と) めた。

革袋(かわぶくろ) から取り 出(だ) した携帯電話の 表面(ひょうめん) に、 冷(つめ) たくも 運命的(うんめいてき) な 文字(もじ) が 浮(う) かび 上(あ) がる。

【 最高天使(イリゼ) の 任務(にんむ) 完了(かんりょう) 】

【 選択(せんたく) :】

1. 人間(にんげん) に 生(う) まれ 変(か) わる

2.このまま 最高天使(イリゼ) の 仕事(しごと) を 続(つづ) ける

ミユウの 指先(ゆびさき) が、 震(ふる) えながら 携帯電話(けいたいでんわ) に 触(ふ) れた。

俺(おれ) は、 彼女(かのじょ) の 背中(せなか) をそっと 撫(な) で 続(つづ) けた。 何(なに) も 言(い) わず、ただ 待(ま) った。 彼女(かのじょ) の 選択(せんたく) を、 静(しず) かに 見守(みまも) った。

迷(まよ) いは、ほんの 一瞬(いっしゅん) だけだった。

涙(なみだ) で 濡(ぬ) れた 瞳(ひとみ) を 俺(おれ) に 向(む) けたまま、 震(ふる) える 指(ゆび) で「2」を 選(えら) んだ。

瞬間(しゅんかん) 、 部屋(へや) 全体(ぜんたい) を 柔(やわ) らかな 光(ひかり) が 包(つつ) んだ。

窓(まど) の 外(そと) 、 夜(よる) の 空(そら) の 上(うえ) に、 無数(むすう) の 淡(あわ) い 光点(こうてん) が 浮(う) かび 上(あ) がる。

金色(きんいろ) の 羽根(はね) を 広(ひろ) げた 天使(てんし) たちが、 静(しず) かに、 優雅(ゆうが) に 舞(ま) い 踊(おど) っていた。まるで 祝福(しゅくふく) の 舞(まい) のように、 夜空(よぞら) を 彩(いろど) っていた。

天(てん) が、 彼女(かのじょ) の 選択(せんたく) を 認(みと) めているかのように。

俺(おれ) はただ、ミユウをさらに強く 抱(だ) きしめた。

彼女(かのじょ) の 体温(たいおん) は、まだ 低(ひく) かった。

でも、さっきよりは 確(たし) かに 温(あたた) かくなっている。 俺(おれ) の 魔力(まりょく) と、 彼女(かのじょ) の 涙(なみだ) と、 天使(てんし) たちの 光(ひかり) が 混(ま) ざり 合(あ) って、わずかながら 命(いのち) の 灯(ひ) を 灯(とも) し 続(つづ) けている。

この 痛(いた) みさえ、 彼女(かのじょ) と一緒に 背負(せお) えるなら。

俺(おれ) は、それで 十分(じゅうぶん) だ。

窓(まど) の 外(そと) では、 夜(よる) がまだ 深(ふか) く、 星(ほし) 々が 静(しず) かに 瞬(またた) いていた。

これからも、きっと多くの 試練(しれん) が 待(ま) っているだろう。

それでも——

俺(おれ) は、ミユウの 手(て) を 離(はな) さない。

彼女(かのじょ) だけは、 絶対(ぜったい) に 守(まも) る。