軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第84話 絶対に負けない

俺はミユウに支えられ、やっとの思いで魔王の玉座の前に辿り着いた。

「はっ……はぁっ……!」

さっきまでなんとか落ち着かせていた心臓が、魔王を前にして再び狂ったように悲鳴を上げ始めた。

「龍夜くん!」

ミユウが小さな悲鳴を上げる。

「だ……大丈夫だ……あ……愛してる」

喘ぎながら、必死でミユウへの愛を口にする。

(鎮まれ! 鎮まれ、心臓……!)

痛みも、恐怖も、無理やり押し殺して、何度も何度もミユウへの愛を繰り返す。

魔王は以前よりずっと巨大で、青白い肉体を青い炎が這うように取り巻いている。胸の真ん中で、真っ赤な心臓がドクン、ドクンと脈打っていた。

「遅かったな、救世主。だがもう遅いぞ。貴様がどれだけ足掻こうと、この世界も、人間界も終焉を迎える」

「なん……だと?!」

額に冷や汗が流れ、心臓がまた悲鳴を上げる。

「見てみろ」

魔王がパチンと指を鳴らす。瞬間、水晶玉が浮かび上がり、人間界の惨状が映し出された。

俺は息を呑んだ。

街は、まさに阿鼻叫喚の地獄だった。

夕暮れの繁華街。ネオンがまだ瞬いているはずの道路に、突然いくつもの黒い裂け目が走る。

そこから這い出てくるのは、人間の姿を借りた悪魔どもだ。

角を隠したスーツ姿の男、影のように溶け込む黒コートのやつ、子供の姿をした小さな影……。一見、ただの通行人。だが次の瞬間、目が赤く輝き、牙を剥き出す。

「うわあああっ!」

悲鳴が爆発した。サラリーマンが鞄を投げ捨てて全力で逃げ出す。

母親が子供を抱きかかえて転びながら逃げる。

車が急ブレーキをかけ、クラクションが狂ったように鳴り響く。

でも遅い。悪魔の一匹が手を振るだけでアスファルトが溶け、逃げる女の足が絡め取られる。次の瞬間、彼女の体は影に飲み込まれ、断末魔の叫びだけが残った。

「助けて! 何あれ! 怪物だ!」

若いカップルが路地に駆け込む。だがそこにもう一匹が待ち構えていた。

男の首を一瞬でねじ切り、血しぶきが壁に飛び散る。女は絶叫しながら後ずさり、地面にへたり込む。

悪魔はゆっくり近づき、彼女の顔を優しく撫でるふりをして——指が眼球を抉り取った。

空からは黒い翼を持つ上位悪魔が舞い降り、ビルの屋上を次々と破壊していく。

ガラスが砕け散り、落下する人々が雨のように降ってくる。地下鉄の入り口からは逃げ惑う群衆が溢れ出し、押し合いへし合いの中で踏み潰される者、悪魔の爪に引き裂かれる者……。誰もが我先にと逃げ回っているのに、どこにも逃げ場がない。

俺は拳を握りしめた。胸の奥が熱くなる。

この惨状は、魔王が俺に見せつけるための「未来」だ。

人間界が悪魔に侵食され、俺の知る街が、俺の知る人々が、ただの餌に成り果てる光景。

「未来だと言いたいのか? 馬鹿な思い上がりめ。お前が俺に跪けば、この惨劇を少しは遅らせてやってもいいぞ」

魔王の嘲笑が響く中、俺は水晶玉を見つめたまま、歯を食いしばった。

次に映ったのは、俺の家族だった。

最初に胸を抉ったのは、純粋な恐怖だった。

妹の 葵(あおい) の叫び——「龍夜お兄ちゃん! 助けてぇ!」——が、水晶玉を通じて俺の鼓膜を直接震わせる。

まだ小学生のあいつが、ランドセルを背負ったまま、地面から這い出てきた影のような悪魔に追いかけられている。

あの笑顔しか知らない妹が、恐怖で顔を歪め、涙と鼻水を垂らしながら必死に走る姿。

俺は思わず手を伸ばし、水晶玉を叩き割ろうとした。

だが指はただ冷たい水晶を滑るだけ。届かない。絶対に届かない。

この無力感が、喉を締め上げる。息が苦しい。胃がねじれ、吐き気が込み上げる。

「くそ……葵……お前は、俺が守るって約束したのに……!」

次に襲ってきたのは、激しい自己嫌悪と罪悪感だった。

母さんの姿が映る。

エプロン姿で玄関に飛び出し、血まみれになりながらも妹を抱きしめ、震える声で俺の名前を呼ぶ——

「龍夜……! あなたはどこにいるの!? お願い、助けて……!」

あの優しい母さんが、こんな目に遭うなんて。俺が幼い頃、毎晩読み聞かせをしてくれた母さんが、悪魔の爪に肩を裂かれ、床に血だまりを作りながらも、妹を庇うように体を丸めている。

俺はここにいる。魔王の玉座の間という、こんな異界の場所で、ただ眺めているだけ。

家族を置いて、俺一人だけが「選ばれた」せいで——いや、俺が魔王の誘惑に抗えなかったせいで、この惨劇が始まったのかもしれない。

もし俺がもっと早く気づいていたら。もっと強く戦っていたら。

母さんの涙、妹の絶望……全部、俺のせいだ。胸が焼ける。心臓が引き裂かれるような痛み。

涙が溢れそうになるのを、歯を食いしばって堪えた。泣くわけにはいかない。

泣いたら、家族の苦しみを認めてしまう気がしたから。

映像が切り替わり、父親の姿が映った瞬間、俺の感情は爆発した。

怒りだ。純粋で、黒く煮えたぎるような怒り。

駅前の道路で、父親がスーツ姿のまま鞄を盾にし、血を流しながらも「みんな逃げろ! 怪物だ!」と叫んでいる。

隣で同僚が首をねじ切られ、血しぶきが父親の顔を汚す。

父さんはスマホを握りしめ、母さんと妹の安否を祈りながら、独り言のように俺の名前を呟く——

「龍夜、お前は……お前だけは生き延びろ……!」

あの厳しくも優しかった父さんが、こんな無様な逃げ姿を晒している。俺の胸に、熱い塊がこみ上げる。

そして、星隆医科大学では、 如月隼斗(きさらぎはやと) が、冷静な判断で生徒たちを避難させていた。

魔王への憎悪。悪魔どもへの殺意。そして、自分自身への苛立ち。

なぜ俺はここにいる? なぜ家族を守れない?

この怒りが、俺の体を震わせ、視界を赤く染める。拳を握りしめすぎて、血が滴り落ちる。

痛みすら、今は心地いい。この怒りを力に変えなければ、俺は壊れてしまう。

でも、それだけじゃない。

一番深いところに、静かな絶望が横たわっていた。

家族の姿を見ていると、過去の記憶がフラッシュバックする。

夕食のテーブルで笑い合った日々。妹の誕生日を祝った公園。あの平凡で、温かくて、俺が守りたかった日常が、今、血と影に塗りつぶされている。

俺はもう、人間界に帰れないのかもしれない。心臓病を抱えたまま家族の元に帰ったとしても、ただの負担になるだけではないか。

そんな恐怖が、胸の奥を冷たく蝕む。孤独。誰にも頼れないこの状況。水晶玉の向こうの家族は、俺のことをまだ「英雄」みたいに信じているのに、俺はただの無力な観客だ。

「どうだ、龍夜。美しいだろう? お前の家族が、こんなにも無力に、こんなにも美味そうに泣き叫ぶ姿……」

魔王の嘲笑が背後で響く。

俺はゆっくりと顔を上げ、魔王を睨みつけた。涙はもう乾いていた。代わりに、燃え盛る決意が瞳に宿る。

……許さない。

母さんの涙を、妹の叫びを、父さんの祈りを、全部、魔王のせいだ。

この怒りを、罪悪感を、絶望を——全部、力に変えてやる。

俺は跪かない。魔王に屈しない。たとえこの心臓が悲鳴を上げ続けても、魂だけは人間のままで、家族を救う。

この阿鼻叫喚を、俺の手で終わらせる。

今、この瞬間から、俺の戦いは本当の意味で始まる。

家族の声が、俺の胸に刻み込まれている限り——

俺は、絶対に、負けない。

水晶玉の向こうで、まだかすかに息づいている家族の灯を、俺はもう二度と手放さないと、心の底で誓った。