軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第81話 血の螺旋 昇る殺意

虚空黒王城の最奥、魔王の玉座へと続く螺旋階段は、果てしなく続く闇の螺旋だった。

石段は百年、いや千年分の苔に覆われ、乾いた血の染みが黒ずんで固まり、足を踏み入れるたびにぬめりと微かな粘着音が響く。

壁面には古のルーンが刻まれ、淡い紫の脈動を繰り返し、まるで巨大な死にゆく心臓がまだ息をしているかのように、ゆっくりと、ゆっくりと鼓動していた。

外の虚空を切り裂く嵐が、遠くで雷を落とすたび、塔全体が低く唸り、階段の石が微かに震える。

内側に手すりなどなく、一歩踏み外せば底の見えない奈落が口を開けている。風が吹き抜けるたび、冷たく湿った空気が肺の奥まで入り込み、息苦しさを増した。

俺の心臓は、もう限界を超えていた。魔力を消費するたびに激しく痙攣し、胸の奥で鉄の爪が抉るような痛みを繰り返す。額に冷や汗が滲み、視界の端が時折白く霞む。

それでも俺は一歩、また一歩と階段を上り続けた。背後にいるミユウの小さな吐息を感じながら、彼女を絶対に守るという思いだけを支えに。

その瞬間、聞き慣れた、甘く粘つくような声が螺旋全体に反響した。

「ここまで来たんだ。さすが勇者だねぇ」

階段の数段上、闇の濃い部分に浮かぶように立っていたのは魔王子ラフィセルだった。

彼はミユウをまっすぐに見つめ、赤く染まった瞳を細め、唇の端を妖しく吊り上げた。

「へぇ、ミユウちゃん。とうとう 最高天使(イリゼ) になっちゃったんだ。綺麗だよ、本当に。……それならさ、僕と一緒に 虚空国(まかい) の支配者になろうよ。永遠に、二人で」

甘い毒のような 誘惑(テンプ) の言葉が、空気を満たす。

だがミユウは微塵も揺らがなかった。

「……効かないわ」

呆れたように小さく息を吐き、彼女は両手を胸の前で組み合わせた。指先から淡い光が溢れ、瞬時に凝縮する。

「貫け――天柱の 矢(アストロ・アロー) !!」

黄金の光が収束し、一条の巨大な光の槍となって一直線にラフィセルを貫こうとした。

しかし、ラフィセルは片手を軽く掲げただけだった。

カチリ、と金属が弾けるような音。

天柱の矢は、まるで紙のように彼の掌の前で弾かれ、螺旋を描きながら虚空の彼方へ消えていった。

「……なに!? 」

ミユウの瞳が見開かれる。

黄金の羽根が震え、肩が小さく跳ねた。信じられない、という表情が凍りついたように固まる。

光の残滓が頬を照らし、瞳に映るのは、自分の力が無力だったという残酷な現実だけだった。

△△△

胸の奥から冷たい波が広がっていく。膝が震え、指先が白くなるほど強く握りしめても震えは止まらない。 最高天使(イリゼ) として目覚めたはずのわたしが、こんなにも脆く、こんなにも無力だったなんて――。

「ふぅん。 最高天使(イリゼ) の力って、こんなもの? まるでそよ風のダンスみたいだね」

ラフィセルの声は嘲るでもなく、ただ事実を述べるように平坦だった。

ミユウの肩が、悔しさと無力感で震えた。

「ミユウ! 下がれ。こいつは俺が倒す! 」

俺は前に出た。

アストラルフレイムを握りしめ、青白い炎が刃に宿る。

魔力を注げば注ぐほど、心臓が悲鳴を上げる。それでも構わなかった。彼女だけは、守りたかった。

「そんな状態で、まだ気づかないの? 威勢がいい割に、頭は弱いんだね」

ラフィセルがくすりと笑った。

「なん……だと? 」

俺は胸を押さえ、喘いだ。

「 魔王(パパ) はね、君の心臓に呪いをかけたのさ。君が絶望に陥るように。戦意を奪うように。……ほら、もう感じてるでしょ? 胸の奥が、ずきずきって」

その言葉が、俺の心臓に直接突き刺さった。

血の気が引く。視界がぐらりと揺れ、膝が折れそうになる。

呪い。魔王の呪い。病なんかじゃなかった。俺の苦しみは、すべて仕組まれたものだったのだ。

絶望が黒い波となって胸を覆い尽くす。息が詰まり、喉の奥で嗚咽のような音が漏れた。

こんなにも長く、こんなにも苦しんできた痛みが、ただの策略だったなんて。

自分の命が、玩具のように弄ばれていたなんて。

「……黙れ! なら魔王を倒せばいいんだろ! 」

叫びは掠れていた。

「ふふ。それじゃ、ここで終わりにしてあげるよ」

ラフィセルが低く吐き捨てた。

その瞬間、彼の姿がゆっくりと変わり始めた。

肌は死人のように白く、透き通るほど薄くなり、青白い血管が網の目のように浮かび上がる。

長い角が螺旋階段の天井を優しく撫でるように湾曲し、黒く艶やかな表面に闇が溜まっている。

背中から生えた漆黒の翼は端がぼろぼろに裂け、腐った布のように垂れ下がり、わずかな風にも不気味に震えた。

瞳は完全に血のように赤く輝き、底知れぬ怒りと殺意だけが渦巻いている。

口元は一切動かず、声だけが直接脳に響く。

「終わりだよ」

感情の欠片もない、氷の刃のような声。

手にした「虚無の鎌」は、柄が生き物の血管のように脈打ち、刃は闇そのものを切り取ったような漆黒。

ゆっくりと鎌を横に構える動作は、人形の糸が引かれているかのように滑らかで、不自然だった。

瞬間、鎌が音もなく振るわれた。

黒い刃の軌跡が 螺旋階段(らせんかいだん) の内壁を這うように回転し、俺に襲いかかる。

狭い空間。避けようがない。

刃が左肩を深く抉り、肉が裂ける音が響いた。血が噴き出し、赤い飛沫が螺旋を描きながら奈落へと落ちていく。激痛が脳髄を貫き、視界が白く瞬く。

「ぐっ……! 」

歯を食いしばり、俺は一歩踏み込んだ。

アストラルフレイムを逆手に持ち、壁を蹴って跳躍。螺旋の回転を利用して体をねじり、ラフィセルの脇腹を狙う。刃が空を切り、マントを僅かに裂いた。

だがラフィセルは表情一つ変えない。

ただ、赤い瞳の奥で何かが蠢いた。

翼をわずかに開き、背中を階段の中心柱に預けるように体を反転させる。

重力など存在しないかのような動き。剣と鎌が激しく交錯し、火花が青白く壁を照らす。

衝撃で石段が三枚同時に砕け、破片が奈落に吸い込まれていく。

「狭い空間だな」

ラフィセルが感情のない声で告げる。

「お前の剣は、ここでは振り回せない。……無駄な努力だ」

左手をゆっくり差し伸べると、影の触手が手すりから這い上がってきた。

それは生き物のように脈打ち、冷たい粘液を滴らせながら俺の足首に絡みつく。

腐った腸のようなぬめりと生温かさが皮膚を這い、吐き気を催す。

バランスを崩し、体が螺旋の外側へ傾く。

背後には果てしない闇。

指先が必死に壁を掻きむしるが、苔で滑る。

ラフィセルは一歩も動かず、ただ黒い瞳でその光景を眺めていた。昆虫の死を観察する学者さながらに、冷ややかで、一切の感情がない。

「……落ちろ」

囁きとともに、触手がさらに強く締め上げる。

「龍夜くん! 」

ミユウが手を伸ばし、必死に俺の腕を掴んだ。勢い余って二人は壁に叩きつけられる。ミユウのドレスが裂け、黄金の羽根が数枚、はらはらと落ちた。

「大丈夫か……? 」

俺はミユウを抱き上げ、血まみれの声で問う。

「平気……これ、お守りがわりに持っていて。きっと龍夜くんを守ってくれるから」

震える手で、ミユウは自分の黄金の羽根を差し出した。

俺はそれをポケットにしまい、血まみれの剣を振り下ろす。アストラルフレイムの青い光が触手を焼き払い、影が蒸発する。

だがその隙に、ラフィセルが静かに迫っていた。

鎌の刃が脇腹を掠め、制服を深く裂き、肋骨にまで達する傷を刻む。

血が噴き出し、赤い滴が螺旋を描きながら落ちていく。

「ふぅん、まだ生きてるんだね」

ラフィセルの声は、相変わらず平坦だった。

「興味深い。……もう少し、苦しめてみようか」

鎌を軽く振り、階段の壁に新たな亀裂を走らせる。

黒い霧が噴き出し、視界をゆっくり蝕み始める。

心臓がどくどくと脈打ち、浅く早い呼吸しかできなくなる。魔王の呪い。確実な死の宣告。

それでも俺は、アストラルフレイムに全ての魔力を注ぎ込んだ。

刃が眩い青白い光を放ち、螺旋階段全体を照らし出す。光は影の触手を蒸発させ、黒い霧を一瞬押し返す。

「……今ここで、お前を斬る! 」

魔王子は、初めてわずかに首を傾げた。

その仕草さえ、人間離れした不気味さがあった。

「頂上まで……生き延びられると思う? 」

俺たちは再び螺旋を駆け上がる。

剣と鎌が交わるたび、階段が大きく震え、壁に亀裂が走る。足を踏み外せば即死。息を吸う間もない間合い。

俺の血が螺旋を描き、魔王子の影がそれを飲み込もうとする。

冷徹な視線は、一切の揺らぎなく俺を捉え続けていた。この戦い自体が、ただの退屈な儀式であるかのように。

血と魔力と、静かな殺意が螺旋を描きながら、天へと昇っていく。

その先には、まだ魔王が待っている――。