作品タイトル不明
第76話 揺るがぬ誓い
剣術大会(けんじゅつたいかい) のあと、ラステルの街は派手な祭りの渦に呑み込まれていた。
石畳を踏み鳴らす足音が夜気を震わせ、屋台からは焼いた肉の匂いと甘い蜜酒の香りが立ちのぼる。
色とりどりの旗が風に翻り、通りの両脇に吊るされた灯りが橙に揺れて、薄闇に沈みかけた街並みをやわらかく照らしていた。
空を見上げれば、腹に響く轟音とともに花火が弾ける。
大輪の光が夜空に咲き、青や紅や金の火の粉がきらきらと降りそそぐ。そのたびに歓声が波のように広がり、ラステルはまるで巨大な生き物みたいにうねっていた。
人々は俺を囲み、大仰に歌い、踊り、笑いながら胴上げする。
「おい! やめてくれ! 俺はまだ十六だ。酒とかまだ飲めねーよ。」
宙に放り上げられながら叫ぶと、下から陽気な声が返る。
「固いこと言うなよ、地球の勇者よ! これを機に、パーっと飲めや」
……さすが異世界だ。現代日本みたいな堅苦しい法律はないらしい。
だが、この騒ぎは今の俺にはきつすぎる。
いくらミユウの力で体の傷が塞がっても、朝から晩まで剣を振り続けた疲労までは消えない。
筋肉の奥に残る鈍い痛み。喉の奥に張り付く乾き。歓声が頭蓋に反響して、くらりと眩暈がする。
それに、俺はもともと目立つのが好きな性分じゃない。
この剣術大会に出たのだって、船の修理代を稼ぐのが表向きの理由で、本当はミユウを守れるだけの強さが欲しかっただけだ。
救世主だの英雄だの、そんな肩書きが欲しかったわけじゃない。
ふと周囲を見回す。
……ミユウの姿がない。
総合順位(リザルト) で二位を取って、浮かれて変な連中に絡まれていなければいいが。
胸の奥が、ひやりと冷える。
俺は歓喜の渦をそっと抜け出し、喧騒の向こうに意識を澄ませる。
人の気配の中から、慣れ親しんだ気配を探す。小さく、やわらかく、けれど芯のある光のようなそれを。
しばらく歩くと、華やかな通りから少し外れた一角で足が止まった。
宝石店の前だ。磨き上げられた硝子越しに、灯りを受けてきらめく宝石が並んでいる。
そのショーウィンドウに、顔の跡がつくんじゃないかと思うほどぺったりと張り付いている小さな影があった。
ミユウだ。
羽根をかすかに震わせながら、ある一点をじっと見つめている。店から出てきた女性店員に何やら話しかけられ、慌ててぺこぺこと頭を下げ、また硝子に顔を近づける。
今度は懐から取り出した携帯電話の電卓を睨みつけ、指先で数字を打ち込み、眉間にしわを寄せたかと思えば、ぱっと目を輝かせ、すぐにまたしょんぼりと肩を落とす。
ころころと変わる表情があまりに可笑しくて、俺は思わず笑いそうになるのを必死で堪えた。
「おい」
わざと気配を殺し、背後から肩を叩く。
「ここで何してるんだ。お姫様」
「え? わ、ひゃっ! 」
本気で飛び上がった。羽根がばさりと広がり、俺の鼻先をかすめる。
「あっ、えっとぉ、なんでもないよぉ? 」
両手を顔の前でぱたぱたと振り、視線を泳がせる。明らかに挙動不審だ。
俺は半歩前に出て、ショーウィンドウを覗き込む。
そこに並んでいたのは、指輪。中央に淡い光を宿す石が嵌め込まれ、細工は繊細で、見ただけで高価だと分かる。値札に目をやった瞬間、思わず眉が上がった。天文学的、とはこのことだ。
呆れて、俺はミユウの額をこつんと叩く。
「お前なぁ……」
「えっと、だって、剣術大会で優勝したし、それに……」
もじもじと指先を絡め、ちらりと俺を見る。その視線はどこか期待に満ちていて、けれど自分でも無茶を言っている自覚があるのか、すぐに逸らされた。
「それに? 」
促すと、ミユウは自分の左手の薬指をひらひらと掲げる。そこには、俺が前に渡した指輪が光っていた。小さな石だが、確かに彼女の指で輝いている。
合点がいった。
「バカか。そういうのはいいんだよ。そんな金、持ってねーだろ」
「で、でも……」
唇を尖らせる。目は真剣そのものだ。あの指輪と並べて、同じだけの価値を返そうとしているらしい。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
俺はため息をつきながらも、そっと彼女の口元に人差し指を当てた。
「本番はこれからだ」
耳元で低く囁くと、ミユウの肩がぴくりと震える。
「ラフィセルの気配が動き出してる。魔王も、じっとしてない。だけどな」
俺は彼女を引き寄せる。華奢な体が胸に収まり、甘い花のような香りがふわりと鼻をくすぐった。細い腕が、遠慮がちに俺の背に回る。
「お前を守る力は、もう手に入れた。今度は、絶対に負けない」
言葉にすると、胸の奥の炎がはっきりと形を持つ。剣を握ったときの感触が蘇る。
あの闘技場の土の匂い、血の味、観客の叫び。全てを乗り越えた先で、俺は確かに一段、強くなった。
「うん」
ミユウの声は小さいが、まっすぐだ。俺の胸に頬を押しつけ、ぎゅっと服を掴む。
花火がまた夜空に弾けた。光が降りそそぎ、俺たちの影を石畳に長く伸ばす。
遠くから聞こえる笑い声と楽器の音。祭りの熱気はまだ冷めない。
けれど、俺の内側は不思議と静かだった。
次の戦いは、きっと今日よりも苛烈になる。ラフィセルの底知れない気配が、街の外縁で蠢いているのを感じる。魔王の影も、確実に近づいている。
それでも、恐れより先に立つものがある。
世界を救う自信なんてない。そんな大それた理想を背負うつもりもない。
ただ。
この腕の中の温もりだけは、絶対に失わない。
ミユウの指に光る指輪を見つめながら、俺は静かに息を吐いた。
いつか、もっと堂々と胸を張って隣に立てるように。そのときまで、何度でも剣を取る。
俺はラフィセルの気を感じ取りながら、ミユウをきつく抱きしめた。
祭りの喧騒の向こうで、夜はゆっくりと深まっていく。
だが、俺の闘志は、消えない。