作品タイトル不明
第75話 君と笑えるなら
「いやあぁぁっ!! 」
遠くの観客席から、ミユウの声が引き裂くように響いた。
それはただの悲鳴ではなかった。
心が砕け散る音だった。
喉の奥から絞り出され、震えながら空に溶けていく絶望の叫び。
周囲の女性たちが慌てて彼女を抱き寄せ、背中をさすり、耳元で「大丈夫よ」「まだ終わってない」と囁き続ける。
だがミユウの体は小刻みに震え、頬を伝う涙が止まらない。
彼女の瞳に映るのは、血まみれで倒れかけた俺の姿。
その瞳が、俺の胸を何度も刺した。
他の観客からも怒号が飛び交う。
「立て! 地球の勇者! 」
「龍夜! 諦めんなよ! 」
「このままじゃ終われねえだろ! 」
――やめろ。
――やめてくれ。
――ミユウに、そんな顔をさせたくない。
彼女が泣く顔を見るたび、俺の心は粉々に砕け散る。
そんな顔を二度と見せないために、俺はここまで這いずり回って、血を吐きながら戦ってきたんだ。
四。
五。
拳を強く握りしめる。爪が掌に深く食い込み、熱い血が滴り落ちる。
その痛みが、薄れゆく意識を強く引き戻す。
「お……俺は……っ! 」
言葉を吐くたび、口の中から鮮血が溢れ出す。鉄の匂いが鼻腔を満たし、吐き気がこみ上げる。
片手で片膝に力を入れ、アストラルフレイムを握りしめたまま、震える体をゆっくりと起こす。
膝が笑い、視界が揺れる。血が口の端から滴り、地面に赤い染みを広げる。
それでも俺は立ち上がった。
「絶対に負けねぇっ!! 」
大声で叫んだ瞬間、心臓が激しく脈打ち、胸の傷口から新たな血が噴き出す。
口からも血が飛び散り、地面に赤黒い斑点が散らばる。
「ゴフッ! 」
会場が一瞬静まり返った後、割れんばかりの歓声に包まれた。
その熱気が、俺の背中を強く押す。
ミユウの涙を、拭い去るために。
「ほう? 」
アレスが肩を大きく揺らし、荒々しい呼吸を繰り返す。
胸から溢れる血を手で押さえ、口の端から血を吐きながら、よろめく俺を 愉(たの) しげに眺めていた。
その瞳には、まだ余裕が浮かんでいる。嘲るような、楽しむような光。
「もう死んだと思ったが……まだそんな力があったとはな。だが、そんな体で何ができる」
「はぁ……できるさ」
俺はアストラルフレイムを強く握りしめ、地面を蹴った。
体が浮き上がり、風が耳元で唸る。傷口が焼けるように痛み、血の匂いが強くなる。
視界の端が赤く滲む。それでも俺は上へ、上へ。
青い空が、俺を迎え入れる。
アレスも遅れじと跳躍した。
黒いオーラを纏い、剣を構えたまま俺を追う。
二人の影が、青空に重なる。
高度が上がるにつれ、歓声が遠くなり、風の音だけが世界を支配する。
耳元で唸る風、肺を焼く息苦しさ、血の味。
すべてが、俺を現実に引き戻す。
剣が、まずぶつかった。
金属の激しい悲鳴が響き、火花が爆ぜる。
アレスの剣が俺の左肩を狙い、俺は体を捻ってかわす。刃先が空を切り、風圧が頬を焼く。
即座に反撃。アストラルフレイムを横薙ぎに振るう。青い軌跡が弧を描き、アレスの胸元を狙う。
彼は剣を立てて受け止め、衝撃で体がわずかに後退する。
一瞬の隙。
俺はさらに加速し、上空へ跳ね上がる。
アレスが追う。
二人は渦を巻くように回転しながら、剣を交わし続ける。
右から、左から、上から、下から。
角度を変え、速度を変え、互いの死角を狙い続ける。
息遣いがすぐ近くで感じられる距離。
汗と血が混じり、風に飛ばされる。
アレスの剣が俺の脇腹を掠めた。
熱い痛み。血が噴き出す。
俺は歯を食いしばり、痛みを無視して剣を振り下ろす。
アストラルフレイムがアレスの肩を浅く切り裂く。赤い血が、風に舞って散る。
「くっ……! 」
アレスが低く唸る。
だが、その顔にはまだ余裕がある。
俺の息が荒くなる。肺が焼けるように痛む。血の味が口いっぱいに広がる。
――まだだ。
――ミユウの涙を、止めるまでは。
俺は深く息を吸い込み、全身の力を剣先に集める。
アストラルフレイムが青白く脈打ち、光を増す。
刃が震え、空気が歪む。
周囲の風が、剣の周りに渦を巻き始める。
アレスがそれを感じ取った。
瞳がわずかに見開かれる。
俺は大きく剣を振りかぶる。
体が限界を訴える。骨が軋み、筋肉が引き裂かれそうな痛み。
それでも、俺は叫んだ。
「 星天剣(せいてんけん) ! 」
剣が閃く。
青白い光の奔流が、空を切り裂く。
まるで落ちる星のように、一直線にアレスへ。
彼は剣を構えて受け止めるが、衝撃が強すぎた。
剣が弾かれ、体が後方へ吹き飛ぶ。
空中で何度も回転し、地面へ向かって落ちていく。
土煙が爆発的に上がり、地面に深い溝が刻まれる。
アレスが仰向けに倒れ込む。
剣が手から離れ、数メートル先へ転がる。
俺はゆっくりと降下し、着地した。
膝が折れそうになる。体が前につんのめり、地面に手をつく。
血がぽたぽたと落ち、土を赤く染める。
「はぁ……はぁ……っ」
息をするたび、胸が焼ける。視界が揺れる。
それでも、俺は立ち上がった。
足を踏ん張り、背筋を伸ばす。
アレスは動かない。
微かに胸が上下しているが、起き上がる気配はない。
審判のカウントが、静かに始まる。
「……いち……に……さん……」
十まで、数えきっても、アレスは動かなかった。
「優勝者! 地球の勇者! 龍夜! 」
その声が響いた瞬間、
会場が爆発した。
地響きのような歓声。
俺の名を呼ぶ声が、無数に重なる。
俺は空を見上げた。
青い空は、どこまでも澄んでいた。
風が、汗と血にまみれた体を優しく撫でていく。
――終わった。
――ミユウ、俺は……やったよ。
ミユウの悲鳴が、遠くから聞こえていた。
今は、もう違う。
喜びの声に変わっている。
その声が、俺の胸を熱く満たす。
「龍夜くん! 」
彼女が観客席から飛び出してくる。
大きな羽根を広げ、俺に向かって走ってくる。
涙で濡れた瞳が、俺をまっすぐに見つめている。
その瞳に映るのは、もう絶望じゃない。
信じられないほどの喜びと、溢れんばかりの愛情。
俺は、ただ、微笑んだ。
そして、両腕を広げて、彼女を迎え入れた。
ミユウが勢いよく抱きついてくる。
「わっ! 」
その勢いに押され、俺は彼女を抱きしめたまま、後ろに倒れた。
地面に背中を打ち、息が詰まる。
だが、痛みなど気にならなかった。
彼女の温もりが、すべてを溶かしていく。
「あ……ごめんね」
ミユウが慌てて体を起こし、大きな羽根で俺を優しく包み込む。
温かな光が傷口を覆い、痛みがゆっくりと引いていく。
癒しの力が、体を巡る。
彼女の体温が、冷え切った俺の体に染み込んでくる。
涙が、ぽたぽたと俺の頬に落ちる。
「龍夜くん……すごい……本当にすごいよ……っ」
「ああ……だけど、後一ミリずれていたら、やばかった」
俺は弱々しく微笑み、ミユウを抱きしめ返す。
彼女の震える肩を感じながら、そっと囁く。
「もう泣くなよ……俺、勝ったから」
その瞬間、ミユウのポケットから携帯が振動した。
彼女が急いで画面を開く。
俺もそっと覗き込む。
【 総合順位(リザルト) 】
2位 ミユウ・ネフェルト
500点中490点
「これ……この間の筆記試験の!」
瞬間、俺の中で何かが弾けた。
理性が吹き飛び、胸の奥から熱いものが溢れ出す。
ミユウを抱き上げ、そのまま唇を重ねた。
柔らかな感触。甘い息。
彼女の涙が、俺の頬に混じる。
会場から、割れんばかりの野次と歓声が飛ぶ。
笑い声、拍手、からかいの声。
すべてが、祝福のように聞こえた。
ラステルの風が、汗に濡れた背中を優しく撫でていく。
空はどこまでも高く、どこまでも青かった。
俺たちは、互いを強く抱きしめながら、
ただ静かに、その青を見上げていた。
世界を救うつもりはなかった。
でも、彼女だけは、守りたかった。
彼女の笑顔を、もう二度と曇らせたくなかった。
それが、俺のすべてだった。
そして今、彼女の温もりが、俺の胸を満たしている。
これ以上、何もいらない。
この瞬間が、永遠に続けばいい。