作品タイトル不明
第72話 知識という名の剣
剣術大会三回戦。西の 赤(あか) い 河(かわ) の国の代表、ルシアンとの戦いが始まった。
闘技場の石畳は昼の熱を吸い込み、靴裏越しにもじんわりと温度が伝わる。観客席から降り注ぐざわめきは、遠い波音のように揺れていた。
俺はアストラルフレイムを構える。 掌(てのひら) に吸いつく 柄(つか) の感触。刃は陽光を受け、淡く 蒼(あお) く 煌(きら) めいた。
ルシアンもまた、細身の剣を水平に構える。無駄のない姿勢。風に揺れる赤い髪が、炎のように揺らめく。
力で押す相手ではない。
これは頭脳戦だ。
剣がぶつかった瞬間、鋭い金属音が空を裂いた。火花が雨のように散り、焦げた匂いが鼻を刺す。ルシアンの剣は速い。細い軌道で急所を狙い、寸分の狂いもない。
だが――呼吸が浅い。
俺は連撃を繰り出しながら、彼女の胸の上下を観察する。吸気が短い。肩で息をしている。
息が上がるのは、俺も同じだ。肺が焼けるように熱い。
そのとき、脳裏に浮かぶのは、深夜の自室。机に立てた端末の画面。青白い光に照らされた 如月隼斗(きさらぎはやと) の真剣な顔。
『龍夜、呼吸は意識しないと武器にならない』
オンラインビデオ通話越しに、彼は自分の胸に手を当てて見せた。
『 横隔膜(おうかくまく) を下げる感覚を覚えろ。吸って、止めて、ゆっくり吐く。 心拍(しんぱく) を数えろ。戦場でもできるように、今ここで体に刻め』
画面越しでも伝わる厳しさ。背後には医科大学の研究室の白い壁。夜遅い時間だった。俺は眠気で 霞(かす) む目をこすりながら、必死に 頷(うなず) いた。
――丸暗記じゃない。体で覚えろ。
現実へ戻る。
俺は一瞬剣を引き、鼻から深く吸い、口から細く長く吐く。心臓に意識を集中する。暴れていた鼓動が、徐々に一定の律動を刻みはじめる。
ルシアンの眉が 僅(わず) かに動いた。
次の瞬間、彼女が踏み込む。低く構えた剣が、蛇のように足元を狙う。
俺は跳び上がり、空中で一回転する。風を切る音。着地と同時に 横薙(よこな) ぎ。刃が火花を散らし、衝撃が腕を 痺(しび) れさせる。
さらに三連撃。上段から叩き落とし、 逆袈裟(ぎゃくけさ) に斬り上げ、突きへと繋ぐ。観客席からどよめきが上がる。
だがルシアンも退かない。身を 捻(ひね) り、最小限の動きで受け流す。額から汗が落ち、石畳に染みを作る。
「苦しいか?」
俺は間合いを外し、水筒を放った。
透明な液体が陽光を反射する。だがそれはただの水ではない。アストリアの海水を 希釈(きしゃく) し、微量の毒素を溶かしたもの。筋肉の収縮を鈍らせる。
ルシアンは即座に察知し、剣で弾き飛ばす。水滴が弾け、光の粒となって散った。
「甘いわね」
唇が歪む。
「仕返しよ」
彼女の口から黒い煙が 溢(あふ) れ出す。鉄の匂いを帯びた霧が、俺を包み込む。肺が重くなり、 四肢(しし) から力が抜ける。
膝が石畳に触れた。
神経伝達(しんけいでんたつ) が 遮断(しゃだん) されている感覚。
だが俺は、あの夜の画面を思い出す。
『 末梢神経(まっしょうしんけい) は意識で補助できる。完全に止まる前に、呼吸で酸素を巡らせろ』
如月(きさらぎ) の声が、耳の奥で 蘇(よみがえ) る。
吸え。吐け。血流を上げろ。
指先が震える。足に力が戻る。
「なに……? 」
ルシアンが目を見開く。
俺は立ち上がり、地を蹴った。石畳が砕け、 砂塵(さじん) が舞い上がる。 渾身(こんしん) の踏み込み。剣が蒼い軌跡を描く。
激しい打ち合い。 上段から振り下ろし、地面を 抉(えぐ) る。 破片が飛び散る。その反動を利用して跳躍し、空中から斬撃を浴びせる。
ルシアンの呼吸は乱れ、肩が激しく上下する。酸素が足りない。判断が一瞬遅れる。
その 刹那(せつな) 。
俺は高く跳び上がった。闘技場の上空、眩しい空の中で、アストラルフレイムを大きく振りかぶる。
胸の奥が熱い。
言葉が、自然に溢れた。
「 星河剣(せいこうけん) ――! 」
刃が 脈動(みゃくどう) する。蒼い光が 奔流(ほんりゅう) となり、天から地へと流れ落ちる。 星屑(ほしくず) のような光が尾を引き、まるで夜空の河が 逆巻(さかま) くようだ。
水音にも似た 轟音(ごうおん) 。
光の奔流がルシアンを呑み込み、石畳ごと押し流す。
「きゃああああっ! 」
彼女の身体が宙を舞い、場外へと叩きつけられた。
俺は着地する。膝が震え、視界が揺れる。黒煙の 後遺症(こういしょう) がまだ残っている。
それでも、剣を握る手は離さない。
「龍夜くん! 」
白い羽根が視界を覆う。ミユウが飛び出し、俺を包み込む。温かな光が身体に染み渡り、痺れがほどけていく。
静まり返っていた闘技場が、やがて地鳴りのような歓声に包まれた。
派手な 剣戟(けんげき) と、知識の応酬。
人間界で、画面越しに 叱咤(しった) されながら積み重ねた日々が、確かにこの手に宿っている。
蒼い光の 残滓(ざんし) が、まだ空に揺れていた。
星の河は、俺の剣の中で静かに流れ続けている。