作品タイトル不明
第6話 守護者の目覚め
俺の腕の中で、ミユウが突然悲鳴を上げて飛び起きた。
「いやぁぁぁっ!」
その声は、夜の静寂を切り裂く鋭い刃のようだった。アストリアの神殿の豪華な壁に反響し、俺の耳を貫き、心臓を鷲掴みにする。
月明かりが薄い窓から差し込み、埃の舞う空気を淡く照らす中、彼女の小さな体が激しく痙攣していた。
額には冷や汗がびっしりと浮き、銀色の髪が乱れて頬に張り付き、普段の天真爛漫な笑顔はどこにもない。
俺は慌てて上半身を起こした。毛布がずれ落ち、冷たい夜気が肌を撫でる。
さっきまで穏やかに寝息を立てていたミユウが、こんな風になるなんて想像もしていなかった。
「ミユウ! どうした、ミユウ!」
呼びかけても、彼女の瞳は虚ろで、俺の存在など認識していないようだった。
両手を振り回し、爪を立てるように空を掻き、俺の胸を叩く。痛みよりも、その必死さが胸を締めつけた。
「やめて……やめてよぉ……! お母さん……お父さん……! みんな……!」
その声は、いつもの幼い、甘えた調子とはまるで別物だった。
底なしの恐怖と、絶望の淵から這い上がろうとするような、壊れそうな泣き声。
まるで世界の終わりを告げる子どもの叫び。俺の心臓が、どくどくと重く鳴り始めた。
昔の出来事――昼間、ルシウスが言っていた。癒しの力を使いすぎたせいで、体の成長が止まった、と。
あの時、ぼんやりと語った「みんながいなくなった」という言葉が、今、鮮明に蘇る。
きっと、あの悪夢だ。彼女の過去に潜む、深い闇が、今ここで牙を剥いている。
俺は咄嗟に、彼女の細い肩を掴んだ。震えが手のひらに伝わり、熱い。
恋愛経験なんてゼロの俺が、女の子を抱きしめるなんて、あり得ないはずだった。
異世界に来てからも、こんな場面は想像したこともない。スローライフを夢見て転生したのに、こんな重いものを背負うことになるなんて。
それでも、体が勝手に動いた。
俺は彼女を強く引き寄せ、胸に抱き締めた。小さな体が俺の腕の中にすっぽりと収まる。
骨が浮くほど細い肩、華奢な背中。震えが俺の体に直接伝わってくる。
彼女の髪が頬をくすぐり、微かな花のような甘い香りが鼻をくすぐった。普段はうざ可愛いとしか思っていなかったその匂いが、今は切なくてたまらない。
「落ち着け、ミユウ。俺がいる。ここにいるぞ」
声が震えていた。自分でも驚くほど優しい、穏やかな声だった。普段の俺なら、こんな状況でどう声をかけていいか分からず、固まっていたはずだ。それなのに、今は自然に言葉が出てくる。
「もう大丈夫だ……誰もお前を傷つけない。俺が、俺が守るから」
自分でも信じられない言葉だった。でも、それは嘘じゃない。本心だった。この小さな体を、この震えを、二度とあんな恐怖に晒したくない。
救世主だの、伝説だの、そんな大層な肩書より、今はこの子の温もりを守りたい。それだけが頭を占めていた。
ミユウの暴れていた手が、徐々に力を失っていく。代わりに、俺の服をぎゅっと掴む小さな指。爪が食い込むほど強く、それでも俺は離さなかった。
彼女の顔が俺の胸に埋まり、熱い涙がシャツに染み込んでいくのが分かった。
「龍夜くん……怖かったよぉ……みんな……みんな死んじゃって……私……私だけ……」
嗚咽が漏れる。言葉は途切れ途切れで、でもその一言一言が俺の心を抉る。
彼女の過去に、何があったのか。家族を失ったのか。村を、仲間を、すべてを。癒しの力を持つ少女が、どれほどの重荷を背負ってきたのか。想像するだけで息が詰まる。
俺はただ、黙って背中を撫で続けた。ゆっくりと、優しく。
髪を梳くように指を通し、震えが収まるのを待つ。彼女の体温が少しずつ落ち着いていくのを感じながら、俺の鼓動だけがうるさいほどに鳴り響いていた。
どれくらいそうしていただろう。部屋の中は静かで、外からは虫の声だけが微かに聞こえる。月明かりが床に長い影を落とし、二人の姿をぼんやりと浮かび上がらせる。
ミユウの泣き声が次第に小さくなり、代わりに規則正しい寝息が聞こえてきた。涙で濡れた睫毛が、月光にきらめいている。
俺はそっと彼女を毛布の上に横たえた。それでも手を離せなかった。
細い指を握ったまま、寝顔を見つめる。普段の無邪気な笑顔とは違う、どこか儚げで、痛々しい表情。眉が少し寄っていて、まだ夢の中に恐怖が残っているようだった。
(こいつ……一体、何を抱えてるんだ)
天真爛漫で、うざ可愛いとしか思っていなかった少女が、こんな深い傷を隠していたなんて。
俺はこれまで、彼女の明るさに胡散臭さすら感じていた。でも今は違う。
あの笑顔は、きっと自分を守るための仮面だったんだろう。過去の闇を押し込めて、必死に前を向こうとしている。
胸が熱くなった。怒りでもない、悲しみでもない。ただ、純粋に、この子を守れるくらいには強くなりたいと思った。
異世界転生して、スローライフを夢見た俺が、こんな感情を抱くなんて笑える。でも、もう後戻りはできない。
俺は自分の鼓動が早鐘のように鳴っているのに気づいて、苦笑した。顔が熱い。恋愛経験ゼロの高校生が、こんな夜に女の子を抱きしめて、心臓バクバクなんて。恥ずかしい。
でも、同時に――悪くない。むしろ、こんな気持ちになれる自分が、少し誇らしい気さえした。
ミユウの寝顔に、そっと指で涙の跡を拭う。冷たくなった頬が、俺の指先に温かさを返す。
「もう泣かなくていいぞ。俺がいるから」
小さな声で呟いた。彼女は答えず、ただ穏やかな寝息を立て続ける。
外の月が雲に隠れ、小屋の中がさらに暗くなった。それでも俺は、彼女の手を握ったまま、朝まで離れなかった。
この子のために、俺は何ができるのか。救世主としてじゃなく、ただの瀬野龍夜として。
答えはまだ出ない。でも、今はこの温もりを守ることだけでいい。
そう思って、俺は静かに目を閉じた。夜はまだ長い。でも、もう一人じゃない。