軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第59話 冒険の始まり〜嫌な予感〜

「……っは! 」

喉の奥に焼けつくような痛みが残っていた。肺に冷たい空気が流れ込み、胸が軋む。

天井は白く、高い。重厚な梁には、淡い金の装飾が施され、朝の光が薄いカーテンを透かして部屋の中に溶け込んでいた。

アストリアの宮殿――俺の部屋だ。

身体を起こそうとした瞬間、鈍い痛みが背中を走る。

力を使いすぎた反動だ。記憶が途切れたあとのことは曖昧だが、倒れた俺をルゥが抱えてここまで運んだらしい。

視線を巡らせる。

静まり返った室内。磨き上げられた床に、陽光が四角く落ちている。だが――。

「ルゥ! ミユウは?! 」

自分でも驚くほど焦った声が出た。

胸の奥にざらつく不安が広がる。あいつは放っておくと、すぐ一人でどこかへ行く。しかも大抵、ろくでもない方向へだ。

部屋の隅に立っていたルゥが、淡々と答える。

「ミユウは学校に行った」

「……学校? 」

言葉が、ひどく場違いに聞こえた。

俺でさえ、まともに通った記憶のない場所だ。戦いと逃避の連続だった人生に、机と黒板の匂いは似合わない。なのに、あいつが?

疑問が渦を巻く。胸の奥が落ち着かない。

「学校って、どこにあるんだ? 」

「アストリア中心部だ。……何をしに行く」

「迎えに行く」

即答だった。

悪魔族がどこに潜んでいるかもわからないこの街で、のんきに学生生活などさせておけるか。

過保護だと笑われても構わない。守ると決めた以上、俺の役目だ。

それに――ここでじっとしているのも、性に合わない。

宮殿を出ると、石畳の道が陽を弾いていた。アストリアの街は今日も穏やかだ。

白壁の家々、色鮮やかな花、行き交う人々の笑い声。

だが、どこかで歪みが口を開けていることを俺は知っている。平穏は、いつも薄い膜一枚の上に乗っている。

中心部に近づくにつれ、建物は洗練され、空気も澄んでいく。

やがて見えてきたのは、水色を基調にした、丸みを帯びた建物だった。

壁面はなめらかな曲線を描き、ガラス窓が空を映している。

尖塔の先には、白い羽を模した装飾。いかにも選ばれた者たちが通う場所、といった風情だ。

場違いな気がして、思わず鼻で笑う。

門の前で足を止めると、校庭の向こうから楽しげな声が聞こえてきた。

ミユウだ。

友達らしい女の子と並んで歩いている。風に揺れる金髪が陽を受けてきらめく。

以前よりも少し背が伸びた気がした。笑うと、目尻がやわらかく下がる。その表情が、胸を不意に締めつける。

あいつは俺に気づいた。

ぱっと顔を明るくし、こちらへ駆け出そうとした――その瞬間だった。

「あ、ミユウさん! 」

「俺と付き合ってください! 」

「いや、僕と!」

あっという間に男子生徒に囲まれる。

……は?

白い制服の少年たちが、競うように手を伸ばす。花でも取り囲むつもりか。ミユウは困ったように視線を泳がせ、群れの隙間から俺を探す。

その目が、俺を見つける。

助けを求めるような、戸惑いを含んだ瞳。

胸の奥で、何かが音を立てた。

熱い。理屈じゃない感情が、内側から噴き上がる。自分でも持て余す、醜い独占欲。

「おい! 」

気づけば、俺は群れをかき分けていた。

少年たちの肩を押しのけ、ミユウの手首を掴む。

「え、救世主様……? 」

「彼氏?」

「彼氏じゃねーよ」

喉の奥から出た声は、思ったより低かった。

「婚約者だ。九百年前からのな」

一瞬の静寂。

「えーーーっ?! 」

絶叫が校庭に響く。

俺は構わずミユウの手を引いた。温もりが、指先から伝わる。逃がさないように、強く。

校門を抜け、石畳の道に出るまで、ざわめきは背後で続いていた。

「あの、龍夜くん? 」

戸惑い混じりの声。

振り向くと、ミユウは少し頬を染めていた。怒っているというより、どうしていいかわからないといった顔だ。

「ったく……」

胸の鼓動がまだ早い。

「お前は俺のだって、自覚持て」

口にした瞬間、自分でも子どもじみていると思った。だが、引っ込める気はない。

ミユウの肩を引き寄せる。柔らかな身体が腕の中に収まる。街のざわめきが遠のいた。

ほんの少し乱暴に、唇を重ねる。

驚きで、ミユウの身体が小さく震えた。だが、逃げない。やがて、そっと応えるように唇が触れ返してくる。

陽射しの匂い。風の音。遠くで誰かが息を呑む気配。

それでも、その瞬間だけは、世界が二人分に縮んだ。

夜。

宮殿の高台から見上げる空は、息をのむほど澄んでいた。星が降るように瞬き、月は静かに街を照らしている。

隣に座るミユウの肩が、かすかに触れている。

「髪、伸びたな。背も」

指先で、さらりと金髪をすくう。絹のような手触り。指の間をすり抜けるたび、時の流れを実感する。

「なんで急に学校なんか行き出したんだ?」

問いかけると、ミユウは少しだけ視線を伏せた。

「あのね」

首元の鶴のネックレスを握りしめる。小さな指が、強く。

「 最高天使(イリゼ) になれたら、なんでも一つ願いを叶えてくれるんだって」

最高天使(イリゼ)

その名に、夜気がわずかに冷える。

「私……龍夜くんのこと、ちゃんと思い出したいなって」

星明りの下で、ミユウは笑った。

無邪気で、真っ直ぐで――胸が痛むほど優しい。

こいつは、俺のために。

言葉が出ない。喉の奥が熱くなる。

そのとき、空気が揺れた。

「龍夜」

ルゥの声が背後から落ちてくる。

――今、いいところだったのに。

苛立ちを飲み込み、振り返る。

「……で、今回の冒険は? 」

「ラステルだ」

その地名を聞いた瞬間、喉がひりついた。

ラステル。ミユウがかつて 誘惑(テンプ) に惑わされた場所。甘い罠と、底知れぬ悪意が絡み合う街。

無意識に拳が握られる。掌に汗が滲む。

「今回は船で行く。地上は悪魔族が多い」

「剣術大会に出場して、剣の力を 掌握(しょうあく) しろ」

船。

その一言で、背筋に冷たいものが走った。

海。揺れ。終わらない波。

俺は、生粋の船酔い体質だ。

戦いでは剣を握っていられても、甲板では膝をつく未来が見える。

思わず、隣のミユウの手を握る。ぎゅっと、縋るように。

ミユウが不思議そうに俺を見る。

星空は相変わらず美しい。だが胸の奥では、別の嵐がうずいている。

ラステル。剣術大会。悪魔族。そして――船。

この冒険、始まる前から嫌な予感しかしない。