作品タイトル不明
第51話 仮初の日常 2
「ねぇ、あの子じゃない?」
「どれどれ? あっ、ほんとだ! やっぱりカッコいい〜」
「でもあの子、ほとんど授業に出てなかったよね?」
「なんか持病の胃腸炎で、保健室登校してたらしいよ」
廊下を歩くだけで、ひそひそとした声が波のように追いかけてくる。
視線が、刺さる。
正確には――集まってくる、が近い。
アストリアから戻って三日。
俺は、いつの間にか学園内で「話題の人」になっていた。
理由は、分かりきっている。
髪を切ったわけでも、服装を変えたわけでもない。
けれど、鏡に映る自分の目だけが、明らかに以前と違っていた。
九百年。
守り続け、戦い続け、失いかけて――それでも戻ってきた。
その重みを抱えたまま、何食わぬ顔で高校生をやれ、という方が無理な話だ。
「いや〜、今日もハーレムだねぇ、救世主くん」
後ろから、やけに陽気な声が飛んできた。
「拓哉ぁ! お前、何したぁ!」
反射的に振り向き、そのまま胸ぐらを掴んで壁に叩きつける。
乾いた音が、廊下に小さく響いた。
「えー、だって仕方ないだろ。お前を主人公にした俺の小説『スローライフ狙いの転生者、実は伝説の救世主?!』がさ、小説投稿サイトの“なろう部門”で一位取っちゃったんだから」
「人を主人公にすな! 今すぐランキング下げろ!」
心の底からの叫びだった。
頼むから、目立たせるな。
俺はもう、英雄扱いされるのは懲り懲りなんだ。
「無理無理。ほら、見てみろよ。感想欄」
拓哉はスマホを突き出してくる。
画面いっぱいに並ぶ、見覚えのない言葉たち。
――龍夜くんがかっこよくて優しくて大好きです。
――守ってくれる姿に胸キュンしました!
――こんな人が現実にいたら絶対恋する。
「……」
喉の奥が、ひくりと引きつった。
「いやー、俺も鼻高々だねぇ。モデルがいいと、作品も映える」
「勝手に人を主人公にすんな!!」
声を抑えきれず、思わず怒鳴る。
その瞬間だった。
「あーほらほら。三年の廊下から、佐伯先輩様がガン飛ばしてるぞ」
拓哉が、顎で示す。
そちらに視線をやると、確かに――いた。
長い髪、完璧なメイク、堂々とした立ち姿。
三年一軍女子のリーダー格。
佐伯先輩。
目が合った瞬間、背筋に嫌な冷たさが走った。
……やばい。
あの人は、噂話で終わるタイプじゃない。
狙った獲物は、逃がさない。
「お前、ちゃんと断った方がいいんじゃないか?」
「分かってる……」
逃げるわけにはいかない。
下手に誤魔化せば、もっと面倒なことになる。
――放課後。
人気のなくなった校舎の一角。
沈みかけた夕日が、窓から差し込んでいる。
「瀬野くん!」
呼び止められ、足を止める。
「私、あなたのこと……ずっと前から……」
言葉の続きを、俺は待たなかった。
待てなかった。
「あー……先輩。気持ちは嬉しいけど……」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
頭の中に浮かぶのは、ただ一人。
ミユウ。
今もどこかで、孤独と恐怖に耐えながら生きている、俺の恋人で、婚約者で――
九百年前から、変わらず想い続けている存在。
すぅっと、息を吸う。
迷いはない。
「俺、大切な人が……いるから」
一瞬、時間が止まった。
「……はっ?」
佐伯先輩の顔から、みるみる血の気が引いていく。
まずい、と思った時には遅かった。
「分かったわ! もういい!」
声が、裏返る。
「顔だけが好きだから!!」
真っ赤になった顔で、先輩は踵を返し、走り去っていった。
……なんだ、今の。
残された廊下に、俺一人。
夕焼けがやけに眩しくて、目を細める。
「よぉ! 学園のハーレムアイドルくん! 」
いつの間にか、拓哉が背後にいた。
「ついに佐伯先輩までやったか! 」
「拓哉……お前、いい加減に……」
自分でも分かるほど、語気が強くなる。
「そんなに嫌ならさ、『売約済み』の証拠でも買えば? 」
「車かよ」
「違うって! 女子避けのお守りだよ。
ほら、アレ。ゆ・び・わ」
指輪。
その言葉に、胸がどくんと鳴った。
ミユウに渡す指輪。
この世界で生きる証として、繋ぎ止めるための――約束。
「……けどさ。そんなに稼げるバイト、あるか? 」
現実は甘くない。
学生の身で、簡単に大金を手に入れる方法なんて――
「ふ、ふ、ふ」
拓哉は、不敵な笑みを浮かべ、スマホを差し出した。
「そんな龍夜くんに朗報です。アイドル野外フェスのケータリングバイト! 」
嫌な予感がする。
「朝から夜まで一日働いて、十万円。
一週間フルで三十万! どう? 」
「……アイドルとか、一番界隈外なんですけど」
騒がしい場所。
視線。
人混み。
全部、得意じゃない。
「まぁまぁ。いるんだろ? 大切な人」
「……」
否定できなかった。
「じゃ、決まりな! 俺、申し込み出しとくから」
拓哉は、肩を叩いて笑う。
「せいぜい、頑張れよ」
ミユウのためなら、手段は選ばない。
どんな地獄だろうと、耐えてみせる。
明日から始まる、過酷なバイト。
三十万円という夢を、俺は――絶対に諦めない。
仮初の日常の中で、俺は再び、戦場へ足を踏み入れる。