作品タイトル不明
第48話 問われる覚悟
「――龍夜」
二人きりの静かな時間を、低く、腹の底に響くような声が切り裂いた。
ぬるい安堵に包まれていた思考が、一瞬で現実へと引き戻される。
振り返ると、そこに立っていたのはルゥだった。
いつもより背筋を伸ばし、神妙な面持ちでこちらを見据えている。
その表情から、ただ事ではないと嫌でも悟らされた。
「魔王を失った今、悪魔族は躍起になっている」
ルゥの声は低く、重い。
「統率を失ったはずの連中が、逆に暴走を始めた。指揮系統は混乱しているが、その分、数と勢いだけは凄まじい。すでに斥候が、アストリアの首都近郊まで確認されている」
「……そんな……」
思わず息を呑む。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「もう、本当に時間の問題だ」
その一言が、致命傷のように胸に突き刺さる。
――もう、そこまで来ていたのか。
俺は、何をしていた。
ミユウと過ごす穏やかな時間。
失いかけていたものを、必死に取り戻そうとしていた、その間にも、戦火は確実に迫っていた。
俺の油断だ。
救世主だなんだと持ち上げられながら、どこかで「まだ猶予はある」と、勝手に思い込んでいた。
「お前の、あの力だが……」
ルゥは一瞬だけ視線を伏せ、そして、覚悟を決めたように再び俺を見た。
「限界まで引き出せば、魔王の 核(コア) を、完全に破壊出来る可能性がある」
あの力。
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
制御を失い、何度も飲み込まれた。
理性が剥がれ落ち、自分が自分でなくなる、あの感覚。
力に呑まれ、暴走し、気がつけば、周囲は瓦礫と血の匂いに満ちていた。
あの時、俺は本当に――怪物だった。
思い出しただけで、喉がひくりと鳴る。
「……そこまで覚悟が出来ているなら」
ルゥは、わずかに間を置いた。
その沈黙が、俺の心臓を締め上げる。
「本気で体力をつけろ。精神も、肉体もだ。
あの力を、完全に自分の物にしろ」
逃げ場はない。
ルゥは、俺に選択肢を与えているようで、実際には突きつけている。
――救世主として、生きる覚悟を。
身を滅ぼす覚悟。
そんなものは、もうとっくに出来ている。
俺は一度、深く息を吸い、そして吐いた。
「あぁ、やってやるよ」
声は、不思議と震えていなかった。
「俺は、この世界の救世主だ」
自分に言い聞かせるように。
逃げないと、誓うために。
「龍夜くん……」
小さく、震える声が聞こえた。
振り向くと、ミユウがそこにいた。
不安を隠しきれない瞳で、俺を見つめている。
「また……戦うの? 」
その問いに、胸が痛む。
本当は、もう戦わせたくない。
もう、泣かせたくない。
「そんな顔するな」
俺は歩み寄り、ミユウの頬を両手で包んだ。
触れる肌は、驚くほど温かい。
「俺は、大丈夫だ」
自分でも分かるほど、無理をしている言葉だった。
それでも、言わずにはいられなかった。
そっと、額に、そして唇にキスを落とす。
「お前は、俺を信じろ」
囁くように、言葉を紡ぐ。
「たったそれだけで、俺はどこまでも強くなれる」
「……ん……」
ミユウは耐えきれなくなったように、俺の胸に顔を埋めた。
嗚咽混じりの息が、布越しに伝わってくる。
ジャケットが、彼女の涙でじわりと濡れていく。
だが、そんなことはどうでもよかった。
これは、ミユウが俺を信じてくれている証だ。
そう思うと、胸の奥が熱くなった。
――失うわけにはいかない。
その時、不意に、身体がふっと軽くなる感覚がした。
輪郭が曖昧になり、指先が透けていく。
視界が歪む。
人間界への帰還の時が、近づいている。
「……愛してる」
消えゆく時間の中で、俺は必死に言葉を絞り出した。
「魔王を倒して、この世界が平和になったら……俺と結婚してくれ」
「……結婚? 」
ミユウは、きょとんと目を瞬かせる。
「あぁ。夫婦になって、ずっと一緒に暮らすってことだ」
未来を語るのは、怖かった。
約束をして、守れなかった時のことを思うと、喉が詰まる。
それでも――言わずにはいられなかった。
「……うん……! うん……! 」
ミユウは、何度も何度も頷いた。
涙に濡れたまま、それでも、精一杯の笑顔で。
俺は、その小さな身体を、もう一度、強く抱きしめる。
必ず、この手で未来を掴む。
ミユウと、二人で生きる未来を。
魔王。
今度こそ、この手で貴様の 核(コア) を、丸ごとぶっ壊す。
何度でも復活してみろ。
その度に、俺が終わらせてやる。
恐怖も、絶望も、すべて引き受ける。
救世主であることが呪いだというなら、その呪いごと背負ってやる。
俺はミユウを抱きしめたまま、アストリアの暗い空を睨みつけた。
この闇を、俺の光で打ち消す。
そして、美しいアストリアで、ミユウと二人の未来を作る。
――そのためなら、なんだってやってやる。
決意を確かめるように、俺は、ミユウを強く、強く抱きしめた。